第八話 集団とひとりぼっちの子

「前田さん。失礼だと思う。バカバカ言われるなんて、かなしいよ」

 白浜が本当にかなしむようにまゆをハの字に下げる。ちょっと小首をかしげるような仕草は何も裏がないように見えた。

 けど、彼女の周りにいるとりまきたちは、どうしてもにやにや笑いがこぼれ出るらしく、互いに小づきあったり視線を交わしあったりしている。

「前田さん。あなた、もうちょっとみんなと仲良くする努力をしたほうがいいよ」

 白浜のアドバイスに、

「そうだよ」「うんうん」「感じ悪いもん」「ねー」

 と声が上がる。低学年の子が「ねー、先生呼ぶ?」とつぶやいていたが、誰かに「しっ」と黙らされていた。

「前田さんはさ……あ、ちがった。セイメイさんは、自分以外は全員おバカさんだと思っているみたいだけど、わたしたちだって、ちゃあんと心があるのよ?」

 白浜は本当に弱り切ったという顔をしながら、前田のほうへ近づく。

 前田はふんぞり返っていたが、さすがにまずい状況だと思ったのか、言い返すことができないでいた。

「ねー、みんな。わたしたち、前田さんのせいですっごく傷ついているよね?」

 周囲を大きく見回す白浜は舞台女優みたいだった。完全にスポットライトは彼女にあたっている。

 また低学年らしき子の声がした。ねー、セイメイてなに? と聞く。

「セイメイていうのは……」

 ぼくとはべつのクラスの子が、説明している。

「安倍晴明ていう陰陽師がいて。知らない? 平安時代の妖怪退治をする」

「映画観たことある」

「わたしは本で」

 あちこちで声があがる。どうやらぼくのクラス以外にも、前田が転校初日に言った、生まれ変わりや転生の話が伝わっているらしい。

 誰かがプッと笑った。すると爆発するようにクスクスにやにやの笑いが広がる。図書室中が前田を笑っていた。

 白浜はにこりとしていた。その顔は満足げに見えた。

 ぼくは視線をそらした。カウンターに貼ってある「貸出スペース」と書いてあるテープの文字を目で追った。

 笑い声がやみはじめていく。完全には終わってないけど、静まり返りつつある。

 もうこれで解散かな。そう思った。

 もうすぐ休み時間が終わるはずだ。こんなにも早くチャイムが鳴ってほしいと思ったのは初めてかもしれない。いつも休み時間が終わるチャイムは、聞こえなきゃいいのにと思っているから。

 それでも白浜は終わりにする気がなかった。

「ねー、前田さん。おかしなことを信じるのはいいと思うの。自由だもん。でも、人のことバカバカいうのは、やっぱりいけないことだと思う」

 軽やかに弾むような声で白浜は言った。「だよね」「わたしもそう思う」との声があとを追う。きりりと空気が張りつめた気がした。

 視線をあげると、白浜は愛想よく微笑んでいて、いつものかわいい顔で前田を見ていた。目をそらさず、まばたきも少ない。

 前田は口をかたく引き結び、そんな白浜をにらみつけている。堂々としていた。ぼくのほうが、弱った小鹿のように怯えている。ぼくのひざはカウンター裏で震度7を記録していた。

「前田さん、あ、ごめーん、セイメイさん」

 ぱちぱちとまばたきしながら、白浜は口に手を当てる。

「まちがえちゃった。セイメイだったよね、セイメイ。だって安倍晴明の生まれ変わりなんだもんね?」

 さっと前田の白い頬が赤くそまった。言葉にいためつけられたように、ぐいっと上半身を引く。くすり、と白浜が笑った。

「ね、セイメイさん。わたしたちとっても傷ついているの。だから、あやまってくれる?」

「土下座」

「いいねー」

 男子が横やりを入れる。

「もう、男子やめてよ。そんなひどいこと言ってないでしょ」

 白浜がむくれ顔で抗議する。

 前田に、ごめんね、と手を合わせてかわいくあやまる。前田は口を開いたが、また閉じてしまった。

 前田は、さきほどの男子たちを探すように、じろっと視線を向けたが、彼らは素知らぬ顔をして集団に混ざっていたため、誰が言ったのはわからなかったようだ。

 くやしそうに顔をゆがめ、ぼそっと何か言った。

「え、なに?」

 白浜が近づく。

 また、ぼそり、と前田はつぶやいた。うつむき、小さな声で。

 たぶん、「ごめん」と言ったんだ。口の動きから、ぼくはそう予測した。

 でも白浜は「え?」と大きな声でたずねかえす。

 すると、前田は勢いよく顔をあげ、

「ばああああああか!」

 大声。

 ぼくはプッと吹き出しそうになって、慌てて口を押えて背を向けた。

 ぼくだけじゃなく、他にも笑った子はいたみたいだけど、「えー」とか「ひどーい」の言葉にかき消されていく。

「最低だよ、前田さん」

 クラスメイトだろうか、聞き覚えのある声が鋭く言い放つ。

 振り向くと、白浜は顔を両手でおおい、周りの女子たちに「大丈夫?」「ひどいよね」となぐさめられていた。

「あー、泣かした」

 男子の声。白浜が顔をあげる。本当に泣いていた。涙ぐんでいると言った方が正しかな。目をうるませて、顔を赤くしている。

 ぼくはちょっと動揺した。白浜の泣き顔を見ると、本当に同情するほどかわいそうになる。でも、なんで泣くのさと思うぼくもいて、前田がどうするのか、ハラハラした。

 前田は「嘘泣き」とぴしゃりと言さった。

 驚いた顔をする子が半分、怒った顔をする子が半分といったかんじで、図書室は盛り上がりを見せる。

 白浜のとりまきのひとりが、

「前田さん、ひどすぎるよ。こんなのいじめだよ!」

 と大声をあげる。

「どっちが」

 前田も負けてない。鋭い目で相手をたじろがせている。

 でも、わずかに前田を見直し始めていた空気も、白浜の「ううん、いいの。どうせわたしバカだもん。前田さんに嫌われてもいい。わたしが悪かったの」との言葉に急速にその雰囲気を変える。形勢がいっぽうに傾向いた。

「そんなことないよ、ユメはいつも前田さんに話しかけていたじゃん」

「そうだよ。転校してきて不安だろうからって、仲良くしようって」

「でも前田さんのほうが、わたしたちをバカにしてさ」

「そうそう。ユメが家に遊びに来ないかって誘ったときも、『行かない』て

 言って。『あんたんち、芳香剤のにおいがきつそうだもん』て。ひどいよね」

 ユメんちは良い匂いだよ! と誰かが抗議しているが、白浜は「いいの、前田さんはユメのこときらいなんだよ」としおらしい声で言う。「残念だね」とかなしげに笑って付け足すことも忘れない。

 白浜の勝利だ。

 図書室にいるみんなは全員、白浜に同情して、前田を敵視する。

 前田は微動だにしなかった。ただ白浜をにらみ、口をかたく閉じている。

「なんで転校してきたんだよ」

 誰が言ったかわからない、そんな小さなつぶやきだった。でもよく響いた。

「へんなやつが来たもんだよな」

「学校の治安が悪くなるねー」

「前の学校で問題おこして逃げて来たんじゃない?」

 さざなみのような声。ひそひそ、ひそひそと広がっていく。

 こんなのってないよ。

 ぼくは前田の味方をするつもりはない。でも、いまは集団でひとりを攻撃している。よくない、ぜったい、いいことじゃない。

 たしかに、前田は自分で自分の首をしめるようなところがある。

 口が悪いし、人を見下す、バカにする。

 ぼくだって前田に「ともだちになってあげる」なんて言われたときは、困ったし、関わりたくないと思った。

 前田と仲間だと思われたら、自分だって変な子だと思われる。セイメイの子分とか、彼氏とか言われるかも。想像がつく。きっとカズヤもからかってくる。

 だから、前田の味方でもないし、味方だと疑われるのも困る。

 前田が「わたし今井くんとともだちなの」と白浜の前で言ったときは、「ふざけんなよ!」と頭にかっと血がのぼった。前田と仲良しだなんて誤解されたくなかった。

 でも、それでも、いまのこの状況は、ぼくの目にまちがって映る。

 周りはただ見ているだけのつもりだろう。白浜と前田。ふたりがケンカしている。白浜のともだちはもちろん彼女の味方をする。でも他は? ただ見ているだけ。きっとそう思っている。

 ぼくはカウンターの向こうから図書室全体を見ていた。

 本棚のかげに隠れているつもりの子も、いすに座り、本を読むふりをしながら聞き耳を立てている子も、ぼくには見えていた。

 いま、前田はひとりだ。ひとりでこの集団の前に立っている。

 ぼくだったら泣いてしまうかもしれない緊張感の中、実際に泣いているのは前田リンではなく、たくさんのともだちに囲まれている白浜ユメだ。

 ぼくは前田の味方ではない。ともだちでもない。

 でもこの空気をぶち壊したかった。トゲトゲしい針のような空気のなか、なんの防具もなく立っている前田のために、ぼくは自分のできることをした。

 だーん、と図書室に大きな音が響く。

 がちゃりと準備室のドアが開き、図書室の先生が出てきた。

「どうしたの。あら、今井くん」

「ごめんなさい、落としちゃって」

「まあ、本は大切にしてね」

 ぼくはうっかりをよそおい、返却ボックスをひっくり返した。床に散らばる本の数々。先生と拾い上げながら、こっそり見線をあげると、あたりは何事もなかったかのように、いつもの図書室の風景に戻っていた。白浜の姿も、とりまきたちの姿もない。

 ぼくは前田を探した。彼女は出入り口にいた。手には一冊の本。

「あ」

 思わず声が出た。彼女が持っていたのは、ぼくがさっきまで読んでいた『妖怪なんでも百科――あの有名妖怪の意外な弱点も丸ハダカ!?』だ。

 前田はぼくの視線に気づき、にやっと笑った。軽く本を振って見せる。

 それから、背筋をピンと伸ばして図書室を出て行った。

 最低なやつだ。あんな性格のひねくれた子を、ぼくは他に知らない。

 べつにいい。あの本が読みたかったのは、マタヲの弱点が知りたかったからだ。でもそれはもう知っているし、他のページもどうしても読みたいわけじゃない。

 ぼくは怒ってはいない。前田が何をやろうと、ぼくにはどうだっていいんだ。

 本当にどうだって。どうだって!!

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