第三話 妖怪に勝つ方法

 ぼくが、ごくり、とつばを飲み込むと、マタヲは「ニャッハッハッ」と笑った。

「ふん、もうあやまってもおそいわ。人生にはな、あやまってもゆるしてもらえんことが、たーくさんあるんやで!」

 くるりと向きをかえ、リビングへと駆けていくマタヲ。こういうときは猫らしく四本足の猛スピードだ。ぼくは「ま、待てよ」と慌ててあとを追う。

「待つかいな、ぼくは怒っとんのやで」

 マタヲはソファに飛び乗ると、投げてあったランドセルを抱きよせた。

「ニャーハッハ」

 高笑いするマタヲ。きらーんっと前足の爪を伸ばす。

「マ、マタヲ。早まるな!」

 最悪の予感に震えあがるぼくに、マタヲは顔がさけそうなほど大きな笑みを浮かべる。

「かしこい子や。ぼくが何をするかわかったようやね」

「だ、だから。ジュースならあげるから」

「あかん。もうジュースくれてもゆるしたらんわい。ぼくだって胸が痛い。ちくちくする。でも、これはきみのためなんや。きみが人に優しくすることを覚えるためや!」

 猫だろ、お前。

 うっかりツッコミそうになるぼくだったが、ぐっと言葉を飲み込む。

 マタヲはそんなぼくの姿に調子をあげたのか、ますます邪悪な笑みをして宣言した。

「いまからトモキくんのランドセルを傷だらけのローラにしてやんねん。明日、学校で恥かくといいわっ。悪い子はボロンボロンのランドセルで登校したらええんや!」

 ああっ、ぼくのツルツルのランドセルがっ。

 小五の今日まで、ぼくのランドセルはツルツルの新品のような姿をキープしていた。

 カズヤなんかは、入学早々に大きなキズをつけ、いまではダメージジーンズ並みに損傷をうけけている。でもぼくのランドセルは目立ったキズもなく、すり切れて白くなったところもない。ぞんざいに扱っているようでいて、物持ちがいいのがぼくの自慢でもある。

 それがっ! ああっ!!

「覚悟せいや、トモキくんっ。悪さすっと、こういうことになるんやでええええ」

 鋭い爪を高々と振り上げるマタヲ。きらーん。ぼくは蒼白になりながらも頭をフル稼働した。

 そうだ。ひらめく。ぼくは、カウンターテーブルへと振り返り、アレを手にしてマタヲに向けた。

「おい、マタヲ」

 ぼくはそいつを高々とかかげた。

「こいつがどうなってもいいのか?」

「ダッちゃん!!」

 ぼくは『だちだちの花』が入る、あのビンを片手ににやりと笑う。

「うっかり手をすべらせてもいいんだよ。大丈夫さ、たぶん割れないよ。たぶん、ね?」

 リビングの床はフローリングだ。このビンの強度はわからないけど、落とすだけでは衝撃が少ない気がした。ぼくは横に二歩進み、スチールラックの前に立つ。

 背丈ほどのスチールラックの前で、ぼくは勝利を確信した。

「マタヲよ。お前の大切なダッちゃんは、ビンから出ても生きていけるのかい?」

「トモキくんっ。あ、あかん。ダッちゃんは……、ダッちゃんは、そのビンの中だけでしか成長せんのや。ビンは、ビンは割ったらあかん、ひびも入らんようにせんと」

 がくがくとモフモフの毛を震わせるマタヲ。さっきまでとび出していた爪もすっかりひっこんで、むっちりとした前足はランドセルにすがりつき、ひしと抱きしめている。

「ほう。もし、この花が枯れたら?」

「そ、それは」

 口ごもるマタヲ。ぼくはビンの中にある緑色のくきや葉を横目で見た。

 どこにでもある花に見える。まるい葉にしっかりとしたくき。バラに似ているだろうか。トゲはないけど、葉のかたちはよく似ていた。てっぺんにひとつだけ、ぷっくりまるいつぼみ。

「あー、なんだか手がだるくなってきたなあ」

 ぼくはよろめくふりをしてスチールラックによりかかる。ガシャと音がして、マタヲが「ヒィ」と悲鳴をあげた。

「おっと、割っちゃったかな?」

 ぼくは大げさな動作でビンをながめまわした。音が鳴ったのはビンではなく、スチールラックにあった菓子箱だとわかっていたけど。

「ト、トモキくん。きみを甘くみとったようや」

「へー、バカにしてたの」

「ち、ちがっ。そ、そんな恐ろしいことをする子やとは思ってなかったんや。悪いことは言わん。とりあえず、そのビンは安全な場所に置くんや。もし、もし割ったりしたら……」

「したら?」

 マタヲはぷるぷると全身を震わせる。

「も、もしや。もし、ダッちゃんが枯れたり、元気がなくなったら……」

「たら?」

「ぼ、ぼくも」

「マタヲも?」

 マタヲはすっかり怯えていた。白黒の毛の下でわかりにくいが、血の気が引いた顔をして、モフモフだった毛も、この短時間でぺたんこになり、ツヤも悪くなったように見える。

 ぼくだって、何もマタヲを脅して楽しむ趣味はないんだ。

 すっかり老いぼれて、道路に捨てられた軍手のようなマタヲに、ぼくも優しい声が出る。

「わかったよ、マタヲ。ちょっとムキになりすぎた。だからお前もランドセルを」

「……そやね。ぼくも大人げなかったわ」

 ランドセルをソファに置くマタヲ。ぼくも『だちだちの花』が入ったビンをカウンターテーブルに戻した。と、そのときだ。

 ドン

「あ」

 マタヲが声をあげる。何事かと振り返ると、マタヲが何かを床から拾い上げていた。

「す、すまんトモキくん。ぼくのプリチーなおしりがテーブルにあたってもうて」

「……落ちたのか、タブレット」

「そ、みたいやね。いやー、その。画面が真っ黒やけど、ダイジョブかね?」

「かせ!」

「へい」

 手渡されたタブレットは、映していたはずの動画どころか、スタート画面すら表示しなくなっていた。うそだ、こんな簡単に壊れるなんて。

 信じられなくて電源ボタンを何度も押したり画面を連続でタップした。でも真っ黒い画面のまま、うんともすんとも変化がない。

「もー、なんだよ。これ、お母さんのなのに。どうすんだよ、マタヲ!」

「ぼ、ぼくが壊したとは言いきれんのんとちゃうかな。ほら、前からお母さんも言うてたで。『なんだか、調子悪いわー。そろそろ買い替え時かしらね』って」

「だからって」

「大丈夫や、トモキくん。しれっとテーブルに置いとき。あんさんが壊したとはバレ…」

「お前のせいだろ!!」

「ち、ちがっ。タイミング、そうタイミングが悪かってん。たしかに、ぼくがテーブルから落としたで。でもその前から画面はしずかー…になってた。うん、きっとそうや」

 泣きそうになりながらも、マタヲをにらみつけていた。

 すると、玄関のドアが開く音がした。

「帰ったわよー。トモキー、上にいるのー?」

 お母さんが帰って来た。

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