第3話ㅤ質素なパン

 中庭には大型犬のアンバスがいる。世話をするというより様子を見にきた。

 少ししてから足音がし、アンバスにご飯をやりにやってきた騎士だろうかと振り返ればその者は、今日ここに新しく来た騎士であるユーリス。

 なぜここに、と睨むがユーリスの視線は他にいく。


「アンバスって犬のことだったんだ。かわいいね」


 こんな大型犬のことを可愛いと言うとは。確かに顔は可愛い。


「何も話すことはないわ」


 視線を向けられツンと顔を背ける。これもわざとだ。早々に立ち去ってほしい。

 普通の騎士ならここで無言で退却するところだろう。悪くもないのに詫びの一言を添えて。

 普通の騎士なら。


「僕も。何話していいかわからなくて」

「私はそういう意味で言ったわけじゃない」

「知ってる」


 ずいぶんはっきりと言う。


「だったらなんで来たの」

「妹さんが行ってくればって言ってくれたから」

「ルナが……。妹に何か言ったの?」


 恐る恐る聞くとアンバスを触りながらにユーリスは答えた。ふさふさな毛が揺れている。


「何も」

「だれがなんのタメ新しい騎士に私の元へ行けと言うの?」

 何もなければ妹がそんなこと言うはずがない。

「気になっている視線を向けていたからだと思う」

「はっ?」


 おかしな発言にノノアントまでおかしな声を上げる。これほど不意をつかれたようなことは始めてだ。率直なのは良いが、そうであるべきどころが間違っている。

 十年も会っていなかったがこういうやつだったのかと今更ながら硬いバリケードを築く。

 よくもまあ恥ずかしがらずにそんなことが言える。


「貴方は妹の騎士。騎士が警護対象から無闇に離れることは禁じられている」

「警護対象が離れていいって言ったら離れてもいいんだよ。プライベートもあるから」

「だとしても」

「本当に危ない時は守るよ」


 切実な瞳を見て、よくわからない気持ちが混じる。決して妬いているわけではない。けれど、大切な人がいる人というのは守りたいという気持ちが内にあるのだろう、いいな、とノノアントは微かに思った。


 とりあえず、騎士としての役割はちゃんと備わっているようだ。

 屋敷内で危険な目に合うことはない。だから外出時にさえ付き添っていればいい。

 ルナは小さい頃からよく外に出たがる子だったから両親たちが騎士をつけるようにした。騎士が傍にいる時なら外出していいと。それ以外の時に出れば連れ戻される。

 方向音痴のルナが屋敷に戻るには騎士に見つかるしか方法がないが。


「それならまあ、いいわ」


 その時、誰かのお腹がぐううう~と鳴った。

 朝食を抜いてしまったノノアントは気にしていないふりをする。こちらが気にすれば気をつかわれる、それは嫌だ。

 新しい騎士が来ると知ってそれが誰なのかを知って朝食を取るどころではなくなった。間接的に言えば今目の前にいる人のせい。


「お腹、空いてるの?」

「別に。慣れているから平気」


 口から出任せがでる。前まで多分慣れていたのだろう。慣れていたというより、そうするしかなかったから耐えていただけか。

 何も気にせず聞いてくるユーリスは乙女というものを知らない。


「パン食べる?」


 何やら腰に下げている袋から取り出した小ぶりのパン。そこまで飢え死にしそうではない。


「いらないわ」


 断っているそばから差し出される。


「だからいらない」


 餌ずけされるようである。


「じゃあ半分」

「半分……?」


 ユーリスの分がなくなるとかそういうことを気にしていたわけではないのだが、とりあえず仕方なく受け取った。

 そして凝視し悩んだ結果口にした。


「何も味がしない」

「無味。だけどそれが美味しいんだ」


 不思議。


「舌がおかしいの?」

「そうなのかな。でも本当に美味しいんだ」


 なぜか嬉しそうに笑う。

 おかしいのは頭の方か。

 二度も同じことを言って。

 彼にとってはこのパンは美味しいそうだ。何の味もしない見た目質素なパンを。

 人の好みをどうこう言う趣味はないが。


「これ、犬でも美味しいとは思わないわよ」


 本音が口を滑る。

 珍しく黙るユーリス。どんなことでもポジティブな返しをしてくるものだと思っていた。

 顔を伺えば。


(え? 泣いている?)


 瞳から涙が流れて。悲しげな表情で。

 男のくせに、今は傷つけようとしていたわけではいないのに。


「どうしてここで泣くの。ここで泣くならもっと他に泣くべきところがあったでしょ」


 ここまでたくさん嫌味な言葉を発してきた。ここで泣くなら、傷つくならその時にしてほしい。

 なんだか納得いかない。

 もしかして暴言ダメージが少しずつ蓄積されていったのか。それは目に見えない変化で。塵も積もれば山となる現象が起こったのか。

 山といえば今は噴火状態。


「泣く……? え? あれ? 僕泣いてる?」

「泣いてるわよ。わからないの?」


 とんだ鈍感だ。


「いやなんか嬉しくて」

(嬉しい?)


 対義語だろうか。

 でなければ本当に頭がおかしくなったのか。


「会えて。こうやってまた一緒に食べることができて」


 泣き笑顔。妹が子供の頃によくしていた表情だ。だけど何かが違う。

 ズキッと心が震えた。傷つくことではないのに彼の表情が痛々しく見えて、それでもって幸せそうに見えて。二つの感情が伝わってくる。

 妹の笑顔と違うと思ったのはただの男女の違いなのか。


「一緒に食べてないじゃない」


 一口もかじられていないユーリスのパン。

 馬鹿なの? は控えておいた。

 また泣くのではないかと冷や冷やするのは嫌だから。


 泣き止んだユーリスは笑顔だけを浮かべる。


「でもノノアントがパンを食べるところ、また見られて良かった」


 馬鹿なのではなくて。


(変態なの?)



 子供の頃、一緒にパンを食べた記憶はあるがそれほど大事なことだとは思っていなかった。

 これほど感情豊かな男の子が傍にいたのによく感情を全面に出さずに耐えれていたなとも思った。

 こんな男の子が傍にいれば自分も、と素をだしてもよかったかもしれないのに。

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