第4話 前世と土下座


 夢を見ている、というよりは、記憶を辿っている、という方がしっくりとくる。

 眠りの中でエマはそんな体験をしていた。


 とある世界のとある少女の物語。

 彼女は幼少期を大好きな先生たちと、大好きな大勢の兄妹たちに囲まれて過ごした。

 十八歳を節目に皆と別れ、一人立ちをした。

 小さな町会社で雑用事務としての仕事をこなし、代わり映えは無いが、それなりに充実した日々を過ごしていた。

 木造二階建ての格安ボロアパート。

 死因はズバリ、これだった。

 タバコの不始末により、一階から火が立ち上り、二階に住んでいた彼女は焼死した。

 火の回りは速く、逃げる暇も無かった。


 ──そういえば、こんな風に短い人生だったんだっけ。


 エマは深海からゆっくりと浮上するように明るくなっていく意識の中で、そう思った。



 ──熱い、熱い。


 またいつもの夢だ。

 そう思ったが、体が内側から燃え上がっているような熱さが、どうにもリアルに感じられる。


「ぅぅ……」


 全身が熱くてだるい。頭も痛い。

 重たい瞼をこじ開けると霞んだ視界の先には──


「エマァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」


 汚い声で泣き叫ぶ父の姿があった。


「……お父さんうるさい……」

「え!?!?!?!?!?!?!?」


 だからうるさいって、と思うが、喉がカラカラで返事をする気にもなれなかった。


「エ、エマが……! エマが、お父さんって! お父さんって!! いつもは単語か、必要事項しか口にしないエマが! 社交用の『お父様』呼びでもなく! 僕を、お父さんって……!」


 感動に打ちひしがれているレオンの傍ら、エマは上体を起こしてベッドサイドにある水差しに手を伸ばした。

 するとエマの手が届くよりも先に、側に控えていたニーアが慌てて水をコップへと注ぎ、差し出した。


「あ……ありがとー……」


 言いながら受け取り、喉を潤す。

 そんなエマの姿に、部屋にいたもの全員が呆気に取られ固まった。


「エ、エマ……? 大丈夫……?」

「? 見ての通り具合は悪いけど……ただの熱っぽいし、わりと大丈夫そうだよ」

「大丈夫じゃありませんね!! 早くお医者様を呼んできましょう!!」


 堪らずといった様子で声を上げたのはニーアである。

 大慌てで部屋を出て行く使用人達。

 三者三様に『なんかおかしいお嬢様』のためにバタバタと働き始める。


 熱でぼんやりしていた頭が少しずつ冴えてきたエマは、周りの慌てように複雑な心持でいた。


(私ってそんなに酷かったかな……………………酷かったか……)


 これまでの十年間、消し去りたいくらいの言動で溢れていた。


 エマは前世を思い出した。

 平凡な世界で平凡な暮らしをする平凡な自分を思い出した。

 そうした記憶が経験としてエマの中に入ってきたことにより、突然の成長を迎えてしまったのだ。


 中身が丸々前世の自分とすり替わったのではなく、これまでの自分と前世の自分が融合されている今のエマには、十年間の暴挙の自覚も、イライラ星人だった自覚もしっかりとある。

 ただそれらを、なんで私あんなことしちゃったんだー!と悔やむ平凡さと、黒歴史を恥じる知性がついてしまっただけだ。


 結局のところ何がインストールされようとエマはエマに変わりなく、これといった問題は無いのだが、そうは問屋が卸さない。


 熱が治まってからも、王国の名医を屋敷に定期的に呼びつけ、精神診察や、除霊魔法まで行われた。

 別に頭がおかしくなったわけでも、何かにとり憑かれているわけでもないので、当然何の効果もなく、日を追うごとに記憶も馴染み、すっかり健全さを取り戻した。

 寧ろイライラ星人卒業により精神衛生は以前より抜群に良い。

 というのに、レオンや、ニーアを含めた使用人たちは物珍しそうにエマを見ては、もう少し看てもらっておこう、なんていうのだ。


 しかしそんなことを繰り返しているうちに「思春期が終わっただけ」と主張するエマの言葉が少しずつ浸透していき、数日あれば屋敷の中はいくらか落ち着いた。



「みんな大袈裟すぎ……」


 エマは自室の窓辺で大きな溜め息を吐いていた。

 窓枠に頬杖をついて外の景色を見渡す。


 魘され続けた悪夢の理由やその内容を思い出せて、頭の中はいくらかすっきりとした。

 それでも付きまとう自己嫌悪感の理由は、悪夢とはまったく別のところにあったというのもわかった。


 自分には魔女の血が流れている。


 幼かったエマは、その事実がずっと受け入れられないでいた。

 精神年齢と平凡さがプラスされた今だからこそ思えるのは、『これについては悩んでも無駄』ということである。

 そういう形で生まれてきてしまったんだから、仕方がない。

 変えられるものではないのだ。だったら、考えるだけ時間の無駄だ。


 この考えに辿り着いた時、エマの中で何かが開けた。

 世界が変わった瞬間だった。


「これからは穏やかに生きていくぞ…!」


 そんな緩い宣言を掲げていれば、部屋にノックの音が響いた。

「どうぞー」と間延びした声で応える。


「お嬢様、ユーリ殿下がいらっしゃいました」

「んぇ? なんで?」

「お嬢様の面会謝絶が解かれましたので、今回の件の謝罪にと」

「え?」


 自分のことでいっぱいいっぱいだったエマは、事の発端が庭園での騒動であったことをすっかり忘れていて、思わず目を丸くした。

 ちなみに自分が面会謝絶状態だったことは今知った。


「え……や、やだ……会いたくない……」


 エマは顔を真っ青にして震えながら言う。


「どうしてですか? いつも会いたがっていた大好きな殿下ですよ?」


 だからである。

 過去の己の媚び具合を思い出すだけで、叫び出したくなるほどに恥ずかしい。


(完全なる、黒歴史……)


 ベッドに飛び込みシーツに丸まったエマは、思い起こされる自身の痴態にガタガタと震えた。


「むり……」


 そう漏らすエマに、ニーアはわかりやすく溜め息を吐いた。


「お嬢様、あまりお待たせするわけには……」

「……あのさ、ニーアは今回の件、あっちに非があると思う?」

「……正直なところどっちもどっちと言いますか……結果的にお嬢様に大事がなかったので旦那様方は『子供たちが起こした些細な事故』ということで水に流しておられますよ」

「じゃあユーリ様が謝りに来る必要なくない?」

「怒っておられるとお思いなのでは?」

「わ、私が?」

「はい」


 確かに、王宮にいた生物に火を噴かれて失神したのだ。これまでの自分であれば『イライライラ~』と悪魔の角を生やして、事を大きくし、殿下に負い目を感じさせようとでもしただろう。

 しかしよくよく考えれば、立場は逆だったかもしれないのだ。火を吹かれでもしなければ、あのままエマの魔法が暴発し、リュカだけでなく殿下まで傷付けていた可能性もあった。そうなっていればルソーネ家はお終いだった。


「怒ってるわけないし、先に空気悪くしたの私だし……やっぱり謝罪されるいわれはないよ……」

「ご自身でお伝えになってはいかがです?」

「……ニーア、最近辛辣だよね……」

「失礼しました、つい」


 エマが丸くなってからというもの、屋敷の雰囲気は良い。

 使用人に避けられることもなくなり、エマ自身もこれまでより気持ちのいい過ごし方ができるようになっていた。


 イライラして、怒り、エネルギーを使い、またイライラ。そんな悪循環から脱却できたエマは、もっと早くこうしておけばよかったなあ、なんて今更ながらに思っている。


「とにかく、私は会いたくない……」

「そう言われましても、わざわざ来ていただいて、やっぱり今日は会えませんというのも」

「体調不良……なんて言ったら今回の件を引っ張ることになるよね……あぅぅ……どうすれば……」

「素直にお嬢様から謝られてみては?」

「そ、そっか……! そうすればさっさと話が済みそう……!」


 ちょっと練習してもいい? と言い出したエマは、


「この度はわざわざご足労いただき、ありがとうございます。先日の騒動ではご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした」

「お、お嬢様……! それはやりすぎです!」


 ベッドの上で正座をし、額をシーツに擦り付け、所謂土下座のポーズを取り始めたエマを、ニーアは慌てて止める。


「む、無理……わかんない……だって、相手は王子様だよ……? どういう謝り方が適切なのかわかんない……」

「お嬢様しっかり……! 今まで無神経なりにやってきていたではないですか!」


 プルプルと震えるエマの肩を励ますように支えるニーア。

 どさくさに紛れて酷い言われようだが本人の耳には届いていない。


 そんな図が面白くてつい、


「──ッぶは」


 ユーリは吹き出した。


 え、と声を揃えて振り返ったエマとニーアの視線の先、開きっぱなしだった扉の隙間から、握りこぶしを口元に当ててクツクツと笑い声を立てる少年が見えた。


「ユ、ユーリ様……」


 愕然とするエマに更に吹き出したユーリは、体を丸めながらしばらくの間笑い続けた。

 その間に、エマはもごもごとやりきれない表情を浮かべながらベッドから降りる。


「……ユーリ様」


 つい、じっとりとした視線を送りながら呼べば、


「く、っくく……ふ、すみませ…だって、おかしくて……」

「……」

「エマ様って、家ではそんな感じなんですね」


 ひとしきり笑って気が済んだのか、目の端に堪った涙をすくいながらユーリは言った。


「いえ……最近、自分の中で革命がありまして……」

「クッ…!」


 素直かつ謎すぎる返答に再び吹き出すユーリに、エマは更に白けた視線を向けた。

 こっちこそ、あなたがそんなにゲラだとは知りませんでした。

 そんな気持ちだった。


「はー、笑った」

「笑いすぎです……ていうか、なんで殿下がこの部屋に……」

「失礼。あなたを待っている間、少し暇だったので屋敷内を見させてもらっていたのですが、声がしたので」


 お嬢様がメイドに土下座をして慌てさせている、そんな図を思い出したのか、ユーリはまだ若干笑いを引きずったままに話す。


「ど、どこから聞いてたんですか……?」

「やだ、会いたくない、の辺りから」

「全部じゃないですか……」

「あはは」


 笑い事じゃないんですが、と絶望するエマとは打って変わって、晴れ晴れとした表情を浮かべたユーリは、上質な革靴の底を鳴らしながら、エマに近づき、


「お元気そうで何よりです。怪我がなくてよかった」

「はあ……って、そうだ…! そ、その節はご迷惑をお掛けしまして……」


 思い出したように謝罪を始めるエマの手を取り、ユーリはゆっくりと首を横に振った。


「あなたを危険な目に遭わせたのはこちらです。こちらこそ、申し訳ありませんでした」

「そ、そんなそんな」

「リュカも、キュウ──あの魔獣の名ですが、彼らも反省していました。ですが、エマ様が望むのであれば罰を受けるつもりです。もちろん、私も」


 エマは震えた。そんな恐ろしいこと望んでもいないし、望めるわけもない。

 ブンブンと首が飛びそうな勢いで拒否した。


「ふふ。では、今回のことは僕らも水に流しましょうか」


 多分狙ってやっている笑顔なのだ、今になってそうだとわかるが、何度見ても驚くほどの麗しさである。

 眩しい。

 エマは目を細めたくなった。


 仮にも公爵家の令嬢だというのに、住む世界が違うなと、そんな風に思ってしまった。

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