不匿の英雄

「まずは礼を言う。お前のおかげでシーラの命は救われた。村の被害も最小限で済んだし、猪肉も手に入った。本当に助かった」

 白髪の老人が言う。普段ならば老人の傍らには護衛を兼ねた世話係が付き従うのだが、この時は外していた。老人の前にはただ一人、昼にイノシシを仕留めた男があぐらをかいている。

「礼には及ばないさ、長老オヤジ。俺の務めだ」

 男は猪肉に噛り付きながら返事をする。仕留めたイノシシの最も美味で希少な部位を一飲みに平らげてしまう。大皿の周囲には怪物討伐の褒賞として幾許かの金品が差し出されていたが、男は一掴みだけ手に取って残りを差し返した。

「これだけあれば生活には困らねえ。あとは村のために使えよ」

 長老は一瞬呆気にとられたが、すぐに納得したように頷いて受け取った。

「ああ、お前は本当に素晴らしい息子で、真の英雄だよ。ただな…」

 一瞬前までの柔和な表情を無理やり険しく引き締め、覚悟を決めるように一呼吸おいてから続ける。

「何故わざわざ姿を晒した? お前ならあんな風に身体を光らせずとも、暴れ猪エージャを倒すことはできただろう。それどころか隠れたまま殴った方が早かったはずだ。いや、姿を晒すのは良いんだ。儂とて息子の勇姿が村の民に認められるのは嬉しい。しかしな、どうしても姿を見せるのであれば、せめて服を」

長老オヤジ

 良い終わらぬ間に男が制した。長老は溜息をつき、言葉を譲る。

「確かにあの程度の獣なら単純に殴り合っても勝てた。だが湯は熱し続けなければ水に戻ってしまう。能力というのは常に研鑽する必要があるんだ。普通に勝てる相手だからこそ思い付きを試す余裕があった」

 長老は黙って先を促す。自分から振っておいてなんだが、本題はそこではない。

「それに姿を見せる意味なら大いにあるぞ。長老の息子たる俺が村の英雄であることが大事なんだ。“謎の英雄”ではなく“長老の息子”だ。だからこそ皆の感謝と尊敬は長老オヤジに集まる。アンタ以上にこの村の事を考え、皆を導ける人間はいない。アンタがずっと村の長でいるべきだ」

 息子が父たる自分を思って行動していることが嬉しく誇らしい。思わず顔が綻びそうになるが、必死に険しい顔を保つ。本題はこの次なのだ。長老はさらに先を促す。

「そして、英雄として姿を見せるのであれば最も誇り高い姿でなくてはならない。神の与えたこの変幻自在の肉体を、俺が鍛え上げた。これ以上の誇りは無い」

「そこだ」

 長老はようやく重い口を開く。そこなのだ。完璧な英雄のただ一点の曇り。鍛え上げられたその姿は見方によっては美しいともいえよう。数十年前であれば賞賛を浴びたかもしれない。しかしながら人々の意識は文化と共に変容するのだ。急速に近代化したこの村ではもはや“全裸の英雄”は受け容れづらいものとなっていた。人々も助けられている手前強く批判はできないものの、ここ数年は徐々に不満の声も増えてきた。皮肉にも長老自身が旗振り役となって推し進めてきた施策が、彼を追い詰めようとしている格好だ。

「お前が村のため、儂のためを思ってやってくれていることは有難い。だがもはや裏目なのだ。頼む、服を着てくれ」

「やはりその話か。なあ、長老オヤジ。村の皆が裸を恥ずべきものだと考えているのは知っている。だが俺は人前でこの身を覆っては誇りを持って英雄を続けることができない。何も皆に脱げと言っているわけじゃないんだ、これが妥協点にならないか」

「ならんのだ。時代は変わった」

 英雄は暫し目を閉じて思案していたが、意を決したように目を開いた。

長老オヤジ。前々から言おうと思っていたんだが、村を出ようと思う」

 予想外の言葉に長老は面食らう。服を着るかどうかの話をしていたのではなかったのか。どうしてそうなるのだ。言い方が悪かったのか、話す手順を間違えたか。

「突然どうしたんだ、そんなに服を着たくないのか」

「ああ誤解しないでくれ、村を捨てるわけじゃない。しばらく外の世界を見たいんだ。実はこれまでに何度か出たことはあってな…俺と村の皆とで考え方が違うように、外の連中と俺たちも考え方が違う。村の皆は恥ずかしさを隠すために服を着るが、外の連中は何か誇りを持って服を着ているように見えるんだ。前々から興味はあった。彼らの考え方をもっと知りたいんだ。今回はいい機会だと思う」


 

 

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