第23話 殺してしまった

 十六歳になった末吉は、背も伸びて厳つい体つきが出来上がり、いっぱしの男だ。そんな末吉が今しがたまで、さえずっていた言葉を押し殺し、波丸の顔を上目使いに伺いながら歩いている。

「ナミマルゥ、何か怒っているのか。おれが何かしたかぁ」

 物思い勝ちな波丸は、寂し気な笑みを浮かべ、隣に歩み寄った末吉の背を撫ぜさすった。

「怒ってなんかいないさ。ちょっと疲れただけだ」

「そうか、おれのこと嫌いなのかと思ったよ」

「末吉、お前はわれの命の恩人じゃないか」

「うん、でもよ、おれは波丸にいっぱい教わった。水練も波乗りも剣術だってよ、上手くなった。ほんとは、波丸なんて呼べないんだ。お師匠さまっていわなきゃいけないんだ。おれだって、そんな事分かっているぜ」

「いいのだ末吉。吾とお前は友達だ。吾も末吉には、多くの事を教えてもらった。鎌倉の歩き方や山菜の採り方、関東言葉に末吉言葉……」

 照れくさげにほほ笑んだ二人は、朝比奈の切通しに差し掛かっていた。

 この切通しは、鎌倉七口のひとつ。鎌倉と六浦の湊を結ぶ重要な切通しであった。名執権北条泰時により建設された。進まない工事を憂い、現場を差配しようと泰時さまがお出ましと聞き、上から下まで多くの人々が石運びに参加したという。

 自然の良港である六浦むつらは、房総へ奥羽への足掛かりでもあった。六浦辺りには塩浜があり、山を越えて商売をしていた塩売りは、朝比奈切通しを喜んだことだろう。


 鎌倉を流れる主要河川の滑川の水源地でもあり、ひやりとした冷気が切通しを包んでいる。

 汗ばんだ二人は、ほっと吐息をはき、しばし足を止めた。

 辺りに人が絶えて、チチチチッと名も知らぬ鳥の長閑な鳴き声に、突然、デデーポーポーとキジバトの無粋な声が飛び込んできた。

 切通しの天の縁を見上げえた波丸の耳が、穏やかな二人の時間を脅かす気配を捉えた。悪意は一つ、いや二人か。剣呑な気配に波丸は身構えた。末吉は、まだ、せっせと汗を拭いている。

「な、なんでぇ、おめえ等は……」

 末吉の威勢のいい声が切通しに響いたが、二人の男は黙然と波丸一人に向かい切りかかってきた。波丸は、末吉を左手の切通しの壁に押しやり、壁を背後に短い脇刀を抜いた。

 正面の男は、片眼を穴あきの宋銭で覆っている。残ったその目に怒りを宿し、親の仇のように向かってくる。

 その隻眼せきがんを押しのけて、右手の男が刀を振るう。その剣先は、波丸を気遣うように甘い。

(どけっ)とばかりに、怒りの隻眼が挑む剣は、容赦なく殺意の塊だ。


 切なくも幼い日々が両手を拡げ、波丸を覆い尽くす。

 怒りに満ちた幼い木刀が、振り下ろされた。微塵の優しさもない目にめがけて、何年もの恨みを解き放した。結果は期待しない。反撃の刃を覚悟の上で、もうお終いでいいと思った。血しぶきが飛び、敗れるはずの少年の目を覆った。一拍遅れて「ギャー」と悲鳴が上がった。少年も「ぎゃー」と応えて、気を失った。片眼を失ったのは、自分ではなく、手ごわい相手の方だった。

 それから、如何したのか、覚えていない。残された目が今、恨みを湛えて迫ってくる。

 正面に振り下ろされる刀の元に滑り込む。

 崖壁に突き飛ばした末吉が、木刀を構えて、右手の男の後ろに回った。心配するには及ばない。男は難なく背後の木刀を弾き飛ばす。末吉に、向き直った男の剣が面倒くさげに振り下ろされた。

「よせぇー、斬るなぁ」

 波丸の叫ぶ声が消える前に、末吉の体は反対側の壁に向かい血飛沫を上げ転がっていた。

 末吉の安否に気を取られた波丸は、起き上がる間もなく、悪意の隻眼に組み伏せられた。

 右腕を強く押し付け、男の身体は、僅かに斜めにのしかかる。波丸は、右足と左手が少し動かせるだけだ。左に傾けた波丸の目が、見つめるもう一人の敵の目を捉えた。煌く光が波丸目がけて飛んでくる。その光は、あやまたず波丸の左掌に収まると同時に、のしかかる敵の右脇腹に吸い込まれた。残された片目が歪むのを無視した光り物は、大きく飛んで、隻眼のぼんくぼに収まった。

 無念の身震いは、永遠に続くかと思えたが、男は未練を捨てて波丸の上で果てた。その冷え行く体温を全身に受けとめ、波丸の心は静かに砕けた。

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