第14話 崩落現場に立ち向かえ

 何日も激しい雨が降り続いた。

 文永二年(一二六五)六月初旬のことである。

 誰の恨みか、豪雨に鎌倉中が没した。

 朝は明けたが辺りは紗幕の中で視界が途切れた。昼頃に山崩れが起きた。一か所ではない。亀谷から泉谷までの山々が崩れ、大きな家も小さな家も押し流がされ土に埋もれた。老若男女が逃げまどい泣き叫んだ。

 雨は上がり薄っすらと太陽も出ている。利息取りは、雨が降ろうと槍が降ろうと怠ってはいけないが、さすがにこの豪雨で仕事が滞っていた。山崩れが起きたと素早い噂も届いている。利息取り立てがてら、山崩れの様子も見てこなければならない。

 今日も波丸、勝次、末吉の順番で出かけた。さすがに波丸も小袖に野袴の軽装だ。

 利息の受取仕事を終えた三人は、亀谷の崩落現場へ向かった。

 遠くからやとを這って、嘆き悲しむ声が満ちて来る。

 向かう路は、土砂を引き連れて、多くの樹木が倒れ道をふさいでいる。

 辺りは地獄の様相で、土の中から掘り起こした倒木が無念な死骸を引き連れている。悪魔の爪痕を除き道を戻さなければ、その先の被災部落を救いに行くことも出来ない。

 人足と馬が、すでに疲れて、緩慢に動いている。その脇を遠慮気に通り過ぎた波丸の鼻を異臭が掠めた。崩落現場に土の匂いがするのは当然かと思ったが、焼け焦げた匂いも混じっているような。

 僅かに首を振って鼻を蠢かした波丸を轟音と土煙が襲った。風圧に倒れた波丸の下半身を土砂の流れが覆っていた。

 山際に向けた顔が土砂の外にあった。小さく息をつき土砂から抜け出し、ふらつく頭を背後に向けた。

「末吉、勝次さん」

 大声が出せない波丸は、それでも素手のまま辺りの土砂をかき分け始めた。すぐに、勝次の頭を発見した。その頬を叩き「カツジ、勝次」と大声を出していた。

 勝次は薄目を開け、もぞもぞと動き出した。

「末吉、スエキチー」

 半狂乱の体で、波丸は土砂をかき分けて行く。その手は三人の人足の体を掘りあてていた。押し流されたのか末吉はまだいない。あせる波丸の目に、ぼんやりしている勝次の姿が映った。

「勝次、何をしている。末吉を助け出すのだ。早く手伝え」

「へぃ、ただいま」

 波丸の怒声に、思わず答えた勝次も必死の形相で土砂をかき分けだした。

「スエー、末吉」と勝次も叫んでいる。

 馬の足に触れた波丸は、(すまぬ、許してくれ。お前を助けていては、末吉を助け出すことが出来なくなる)と心で詫びながら、方向を変えて掘り進んだ。幾人かの人足は、自力で這い出してきていたが、朋輩を助け出す余裕はない様で、ぼんやりとしている。そんな中で、先ほど波丸が引っ張り出した若い男が、馬の足に飛びついた。「ハヤ、ハヤ」と叫んでいる。

 波丸は振り返り、男と供に馬の体を引き出した。馬はすでに死んでしまったのか、起き上がろうとはしない。馬に縋りつく男を見つめた波丸の頭はふらつき、視界が霞んだ。

「スエー、すえー、末吉」と叫ぶ勝次の声が一段と大きくなった。

 はっとした波丸は、立ち上がることなく、勝次の声に向かって這い進んだ。

 末吉は、ぐったりとして息をしていない。波丸は、末吉を抱え上げその両手を胸の前で交差させ、後ろから腕を引き活を入れた。二度三度、繰り返すが、末吉は戻って来ない。泥だらけの末吉の顔を、しばし見つめた波丸は、左手の指を末吉の顎に当て、指の先に力を入れた。わずかに開いた末吉の口に右の人差し指を突っ込み、泥を掻き出すこと数回、更に拡げた末吉の口に、覆いかぶさると口吸いのように唇を重ね、息を吹きいれた。

 末吉の胸が少し動いたか、勝次は、両手を差し出したまま三白眼を剝いて見つめている。

 末吉の顔を下に向け、その背中をバンバンと乱暴に叩いた。何時もの波丸にはない乱暴な動作だ。思わず、波丸の肩に右手を伸ばした勝次を振り払い、鋭い眼差しを向けた波丸。

 二人の睨みあいを押し止めるように、げえげえとえづく音が立った。口から鼻から泥を吐き出して、末吉が戻って来た。薄っすらと目を開けた末吉を抱きしめ、「末吉、末吉」と叫びながら波丸は涙を流していた。勝次は、二人を見つめ鼻をすすった。

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