怖い話はじめました。

うめもも さくら

第0話 こんな季節だし少し涼んでいきなよ

見慣れない小さな喫茶店きっさてんの前で足を止めた。

たくさんの大きなビルが立ち並んでいる大通りの中にぽつりとひとつ小さくたたずんでいる。

どのビルもどこにでもありそうなそれなりに新しく近代的な建物であるのと比べ、その喫茶店は見るからにレトロなたたずまいだ。

雰囲気があると言えば聞こえがいいが素直な意見を言わせてもらえばその場所だけ異様だ。

たくさんの人で大きな賑わいをみせるビルとは違いその喫茶店には人が入る気配さえ見せない。

人々は当たり前のように喫茶店の横を通り過ぎていく。

まるでこの喫茶店が見えていないかのように。


「こんな季節だし少し涼んでいきなよ」

ぼんやりとその喫茶店をみつめていると、メニューが書かれた黒板を店の前に立てながら美しい少年は声をかけてくる。

看板として使われているその黒板には喫茶店で定番の昔ながらの料理名が並んでいる。

中学生か高校生くらいのまだ幼さの残した少年は薄く笑みを浮かべる。

彼の微笑に胸がドキリと昂らされる。

まだ少年さの残る面差おもざしでありながら、妖艶ようえんさのある笑みに少し戸惑とまどいをおぼえ、言葉を失う。

彼はそんなこちらの心を知ってか知らずか返事を待つことなく喫茶店の扉を開き、手招てまねきをして歩みを促す。

扉に取り付けられたベルが鳴らすカランカランという小気味こきみのよい音に背を押されたかのように一歩前に踏み出した。

そのまま有無うむを言わさぬ彼に導かれるまま、扉をくぐり店内に入ってしまった。

そこは広さはないがきちんとした綺麗な喫茶店の店内で身構みがまえたこちらは少々、肩透かたすかしをくらった心持ちだった。

店内は柔らかい灯りが穏やかな雰囲気を作り出していて落ち着ける空間だった。

異様というよりも異国や異世界にでも足を踏み入れたような心地になる。

すると今まで異様だと考えていたことがとても失礼なことだったと反省し、自分一人で勝手にバツが悪くなってしまう。

そんな自分をよそに優しい声が耳に届いてきた。

「いらっしゃいませ」

カウンターの奥からこれまた美しい顔立ちをした20代後半ほどの男性が出迎えてくれる。

「兄さん、これを彼女に」

席を案内してくれた少年は男性の声に呼ばれて振り返る。

兄さん?

自分の頭はまた不思議な感覚にとらわれる。

目の前で微笑む少年のほうが明らかにカウンターの向こう側で柔和にゅうわな笑みを浮かべている青年より幼く見える。

けれど青年が少年を兄さんと呼んでいるところを見る限り少年のほうが年上なのだろう。

二人の年齢ははっきりとはわからないがおそらく少年に見える彼は童顔なのかもしれない。

それならばあの筆舌ひつぜつくしがたい妖艶さもどこかに落ちるものがある。

人は見かけによらないものだと考えがまとまったところでテーブルにおひやを置いた少年……ではなくおそらく童顔のお兄さんに声をかけられた。

「改めていらっしゃいませ。これがメニューだよ。ここのものはどれも絶品ぜっぴんばっかり。どれを注文してくれても後悔させないよ。でも今のおすすめは断然だんぜんこれ」

彼がメニューを開きながらすらすらと言葉をつむいでいく。

そして彼が最後におすすめだと笑いながら指をさしたメニューの文字を彼が風鈴の音のように透きとおった声で逃げ水のような妖艶な声音で読み上げる。


「怖い話はじめました」

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