第32話 魔獣前線(9)


 その声を聴いた途端、全員がそれぞれの手段で加速し現場に駆け付ける。ミリアは持ち前のマナ強化と身体能力で。マリーは鍛え上げた技術で。魔術師は風で体を浮かせて、突風のごとき勢いで。


「――なぜ、なぜ決闘を止めなかった! 決着は」

「彼の勝ち、そうでしょうガリア? それに無事なんだから構わないだろう」

「……ッ! 結果論に過ぎない! それに……何が無事なものか!」


 そこには、いつも冷静沈着なガリアからは想像もできないほどの怒気を孕んだ声。急いでいた、ミリアたちの頭に冷水をかけられた気分になるほど珍しい光景だった。来訪に気付いた、フェールムはにっこりと笑ってガリアに再び話しかける。


「とりあえずさ、彼の治療をしようよ。ほら、お客さんもきているし」

「……そうだな。ああ、そうだとも。話はそれからだ」

「ガリア団長……」


 労わるようにミリアが話しかける。小さいときからの知り合いで、剣を教えてくれた相手でもある。そんな相手が見たこともないくらい取り乱していては接し方も遠慮がちになってしまうものだろう。


「殿下……そうですか。もう到着なされたのですか」

「ええ、転移があるからね。それより何があったの?」

「……ええ、実は――」


 ガリアはここまでの経緯をかいつまんで端的に話していく。出来事だけを並べてしまえば、冒険者に絡まれてただ決闘しただけ……ということになるのだろうが、ガリアですら話しているうちにまた、怒りが募ったのか徐々に声のトーンが落ちていく。

 そこで、事情を把握したミリアたちは必死に呼びかけているティーアの下に近づいて、治療のために顔を覗き込むと――


「……っ、誰!?」

「え、あ……ちょっと待って! 私たちは別にその人に危害を加えようとはしな……い、から……」

「……何?」


 機嫌悪そうに、問いただすティーア。しかし、ミリアはその問いに答えているほど心の余裕はなかった。なぜなら……そこで、倒れていたのは、傷だらけになっていたのは……ミリアのよく知る顔だったのだから。

 何がどうしてそうなったのか、腕は肘からぐしゃぐしゃに折れ曲がり全身も何か固いもので何度も叩きつけられたような痣と水たまりに用に広がる血だった。


「……ヴィルッ!?」


 人目も気にせず、ティーアを押しのけて駆け寄るミリア。

 悲鳴のように、叫びだしたい衝動をこらえて怪我の具合を確認する。……無理だ。一つ一つの怪我は大したことなくても、その数が多すぎる。これでは、手持ちの回復薬では癒しきれない。


「……っ」


 ギシリと奥歯に力が入る。こういう肝心な時に、私の才能は役に立たないと嘆く。誰かを傷つけ、殺すことしかできないこの剣はどこまでいっても癒すことはできない。けれど、そんな暇はなく急いで高位の治癒術師に診せなければいけない。

 けれど、それでは間に合わない。せめて時間稼ぎにでもと貴重な回復薬を振りかけていく。


「姫様! 一体何を……」

「マリーッ! 今はあなたの説教とか、聴いている暇はないの……そこで、おとなしくしていなさい」

「…………承知致しました」


 もともと、この回復薬はミリアのために様々な効果が施されている。きっと値段にすれば平民の一家くらいは買い取れる。それくらい貴重な物を何本も消費していく。

 作り手の少ない回復薬は、効果が薄くても高価ではあるが、これは素材からしてめったに手に入らない。そういうものだ。


「……これで、当分は大丈夫……なはず。けど、絶対とは言えない」


 ならばどうすると、焦る。しかし、この短い時間でこの重傷を癒せるような知り合いは知らない。戦場に出ても怪我をしないミリアは、そんな知り合いがいるはずもなかった。

 どうする……どうする……と思考が坩堝にはまり始めるミリアの肩に手を置くガリア。


「……落ち着け。今の回復薬ならば数時間は効果は続く。その間に本来の自己治癒能力で回復する」

「……ガリア……本当でしょうね?」

「ああ。勿論ですとも」

「であるならば、構いません。それよりもガリア、これは一体どういうことですか」

「……説明する前に、随分と少年によくするその理由を、安静な場所に運んだあとに聞かせてもらえますかな? 一応、関係性くらいは把握しておかねばなりませんので」

「はい……隠すこともないですし、そこの方のためにも事情はきちんと説明させていただきます。代わりにと言ってはなんですが、どうしてヴィルがガリアと……ガリア団長と一緒に居るのか、聞かせてもらいます」

「無論。というか、昔みたいに呼び捨てで構いませんよ殿下」

「……一応、騎士の立場としては下ですし、王女としての身分が絡めばややこしいことになりますので」

「そうですか。それは残念」

「では、運びましょう。……何をするのですか」

「……私が、ヴィルの……姉弟子で先輩」


 運ぼうとヴィルに伸ばす手を掴むティーア。邪魔をされたミリアは当然、不思議に思い理由を尋ねるも返ってきたのは『姉弟子と先輩』という言葉だけ。

 しかしミリアには察することができてしまった。


「……つまり、見ず知らずの関係もわからない相手には任せられないと」

「そう……」

「ですが――」

「なに? 早く手を納めて」

「私の方が体格的にも、運びやすいでしょうし……身分だって、ガリアが保証してくれます」

「……」


 ミリアのその決定的な一言が、場の空気を凍らせる。凍ったのはガリアの表情だけだが。そこそこ付き合いの長いガリアだけが、変わらない無表情から、怒りを感じることが出来た。


「……任せて、いられない。あなたには」

「はい……?」

「私が、運ぶ」

「……」


 今度は、マリーの表情が凍る番だった。幼い頃から付き従い、一から十までをメイドとして感知することができるマリーだけが、非常に不愉快・・・・・・であることを理解できた。


「どうして……」


 そう。どうして。

 あれだけ、最初は突き放すように接してきたくせに、それでも構わなかったけれども……むしろ心地よかったけれども、そんな態度を取っていたくせに自分以外の女の子と仲が深いのか。騎士学院の立ち位置だと他には友だちなんていないはずのヴィルに、女の子の知り合いがいるという事実が、自分だけ仲良しという特別感を刺激する。

 だから、目の前にいる女の子――いや人に対して、初めての感情を抱く。

 ……羨ましい、妬ましいと。


「……? ともかく、ヴィルを運ぶのは私です。一刻も争う事態なのですから、安定して運べる私のほうがいいはずです」

「…………むぅ」


 その発言が正しいと理解できるからこそ、ティーアは押し黙る。けれど感情の部分では、納得はいっていない。

 いきなり現れて、初めてまともに接することができて、一緒に訓練した大切なヴィルを横から出てきた女に預けられるのか? と頭の片隅にいるもう一人の自分がささやいてくる。

 今は、そのせいか長文で話せているけど、そんなことに気付かないほど、悔しかった。

 ……自分が助けてあげたかった。……先輩として。


「……やっぱり――」

「はいはい。喧嘩するくらいなら、俺が運びましょう。それでいいですね?」

「……わたくしも賛成です。姫様にそんなことを指せるわけにも参りませんし、怪我人を安全に運ぶならガリア騎士長が適任でしょう」

「「……はい」」


 二人そろって、項垂れて……反省する。それすら、気に食わなくて心にモヤがかかる。





 この日を境になにかと意見で対立してしまう、ティーアとミリアの関係は傍から見て、気になる異性を取り合うただの女の子にしか見えないと、誰かが呟いたそうだ。

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