第3話 滴る朱殷

 



 はぁ……はぁ……


 何がどうなってるのか分からない。


 はぁ……はぁ……はぁ……


 誰がなんて言ったかすら分からない。

 ただ俺達は、村に向かってひたすら走っている。


 村に起こった異変は一目で分かった。けど、それを夢だと思いたくて仕方がない。例え、


 道すがらにあるナナイロの樹が、何本も無残な姿になっていようと、

 そこにあるはずの建物が消えていても、

 立ち込める煙に焼ける様な焦げ臭さを感じても、

 村の中で最も立派な建物である学校に、岩の塊が突き刺さっていても……


 それは変わらなかった。


 夢であって欲しい。

 無事で居て欲しい。


 それだけを信じて走った。


 隣にあるレンガで出来たアスカ達の家。それすら無残に崩れ去っている。

 もちろんその影にあるはずの俺の家は……ない。


 それでも……それでも……



「はぁ……はぁ……」


 家があったはずの場所に、誰かが倒れている。


「母……さん?」


 俺は母さんと2人で暮らしていた。

 だからここに居るのは……倒れているのは……母さんしか有り得ない。


 けど、


「母さん?」


 声を掛けても、


「母さん? 母さん?」


 何度声を掛けても、返事は……ない。


 助けなきゃ

 そんな言葉が頭の中に響いても、その姿を前にしても体は言う事を聞かない。

 震えているだけで、これ以上近付く事が出来ない。


 ただその震えも、次第に溢れ出す赤いモノを目にした瞬間……ぴたりと治まった。

 それどころかグチャグチャだった頭の中が急に軽くなって……楽になる。

 まるで、目の前の現実を受け入れろと言わんばかりに。


 当たり前だ。返事なんてするはずがない。

 来た時には既に倒れてたじゃないか。

 それも上半身は家の残骸の下敷きになってただろ?


 だったら別人の可能性も? それはない。自分が1番よく知ってるはずだ。あのズボンは今朝母さんが履いてた物。それも父さんに買ってもらったって言って……お気に入りだったやつじゃないか。


 それを理解した瞬間、何も考えられない。なんの感情さえ浮かばない。


 ただただ、母さんのズボンが……真っ赤に染まっていくだけだった。



 ◇



 唐突に左手に感じる冷たさに、一気に体が強張る。

 それはまるで夢から覚めたかのような感覚に似ていた。


 小刻みに震えている感覚。

 ゆっくりと包み込まれる感触。


 そして、


「クレ……ス……」


 聞こえてくるか細い声。

 視線を移すと、そこにはホノカが居た。


 顔は俯き、徐々に強まっていく手の力。それはまるで何かに耐えているような気がした。

 そんなホノカの姿に、俺は少し安心する。


 あぁ、この光景は俺だけが見てるまぼろしなんかじゃないんだ。


 悲しい。

 けど、不思議と涙は出ない。

 むしろ今まで見た事の無い様子のホノカが心配で仕方がなかった。


「ホノカ……オジサン達は?」


 その様子を見れば、どんな状態なのかは予想はつく。でも一筋の希望を込めて俺はホノカに問い掛けた。


「……分からない。お父さんもお母さんも皆の姿が見えないんだよ。瓦礫の下敷きになってるかもしれないし、もしかしたら……畑に行ってるのかもしれない」


 ナナイロ畑か……だったら無事な可能性もある。


「そうか。アスカは?」

「畑見に行ってる……」

「まだ希望はあるな」

「でっ、でも……リッ……リーナさんが……」


 その名前にゆっくりと視線を戻すと、そこにはさっきと変わらない光景が広がっていた。

 いや、強いて言うなら……真っ白だった母さんのズボンが半分以上赤く染まっているくらいの些細な変化。


「あぁ。母さんは……ダメだった」

「なっ、なんで! なんで!」


 必死なホノカの声はなんとなく嬉しかった。

 自分の母親の為に、ここまで感情をぶつけてくれる。それだけで、その存在の大きさが認められている気がして……けどそれは俺も一緒だ。


 母さんはダメだった。でも、まだオジサン達が生きているかもしれない。

 その可能性が、今の俺にとっては最後の希望だった。


「ありがとな……ホノカ。でも……」



 ヒュッ!



 それは一瞬だった。

 そんな言葉を投げ掛け、ホノカの頭に触れようとした瞬間に耳に響く風切り音。

 余りの近さに、思わず右耳を抑える。


 触れた感覚はない。だが、何かが触れたかのような感覚さえ覚える程の音。

 しかしゆっくりと抑えた手のひらを見てみても……何の異変もない。


 何だ……今の……


「どうしたの? クレス」


 途中で話すのを止めた俺を不思議に思ったのか、ホノカが心配そうに声を掛けてくる。

 いや、気のせいか?

 そう結論付けて、返事をしようとした時だった。


 バキッ!


 まるで大きな木が折れる様な音が響き渡る。

 それは気のせいでも何でもない。

 反射的に、音がした後ろを振り返る俺とホノカ。そこには見事にど真ん中を岩に突き破られ、宙に浮いてる学校の姿があった。


 それだけでも十分異様な光景であることは間違いない。しかし、俺達の目線は……別の物に向いていた。


 だらりとぶら下がるように、斜めになっている学校の屋根。

 そこに向かい合うように平然と立っている……


 2つの影だった。



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