第二十一話 穏やかな日々

「おはようございます」

「おはようございます!」

私が挨拶をすると最初は驚いていた使用人たちも笑って挨拶を返してくれるようになった。広大な城を維持管理するには、驚くほど大勢の使用人が必要なのだと初めて知った。


ずっと姿を見せなかった使用人たちは、実は涙ぐましい努力で姿を見せないようにしていたと城守に聞いて、エゼルバルドも私も普通に廊下や通路を歩いていいと許可を出した。


王城や貴族の屋敷は当たり前のように使用人用の通路が存在しているのに、この城には使用人通路というものがない。主に姿を見せない為の細かすぎる努力の詳細を聞いて、申し訳ないけれど笑ってしまった。


 私が厨房に行くことはこの国のルールで禁止されている。『女が厨房で働く城は滅ぶ』という言い伝えは、きっとローディアがライトゥーナを滅ぼした時の作戦が元になっているのだろう。


 厨房以外の場所へ自由に行き来することも許されて、エゼルバルドや城守が護衛としてついてくるのは仕方ないけれど、行動範囲が少しだけでも増えると単調な生活にも変化が産まれてくる。


 エゼルバルドに城のカーテンの色を相談されたので、明るくて落ち着いた淡い緑を選んだ。しばらくしてカーテンが替えられると重苦しい雰囲気だった城の内部が一気に明るくなった。


「カーテンが変わるだけでこうも違ってみえるものなのか」

「そうですね。外したカーテンはどうするのですか?」

「堅苦しい返事は不要だと言っているだろう? ……外したものは洗って保管する。またあの色が良いと思うこともあるだろう。もったいないしな」


 エゼルバルドの得意気な笑顔に、ついつい笑ってしまうけれど、王子に対して砕けた物言いでいいのか悩む。普段通りでいいと要請され続けているので、意識はしていても難しい。


     ■


 数日に一度、玄関のホールでエゼルバルドにダンスを習うようになった。ドレスを着て髪を整え、軽く化粧も行う本格的なもので、意外と体力が必要。運動不足を感じていた私には丁度良い。


「出来た!」

 満足気な声を上げ、エゼルバルドが鏡越しに笑顔を見せた。

「ありがとうございます」

 顔が赤くなりながらも私は、髪を整えてくれたエゼルバルドにお礼を言う。


 ツーサイドアップにして細い三つ編みを作って後ろで一つにするのが今日の目標だったらしい。ゴムなんて便利な物はないので、細い紐できつく結んで、毎回ハサミで紐を切ることになる。

 三つ編みの際の真剣な顔を鏡越しに見ていると、恥ずかしくて居たたまれない。


「今日はこの淡い緑のドレスにしよう」

 ドレスの着付けもエゼルバルドが手伝ってくれる。いつの間にか髪を結うことも、綺麗にリボンを結ぶことも習得していて、理由を考えると恥ずかしくて仕方ない。


 慣れないダンスの習得は遅々として進まないけれど、いつも決まって最後の一曲は魔法によるダンス。肩に入っていた力も抜けて、魔法で誘導されるままに踊るのは楽しさだけを感じることができる。


「昔、ダンスの授業が苦手だった」

 踊りながらエゼルバルドが笑う。この国の王子のファーストダンスは、公爵家の女性、大抵は婚約者候補と踊ることになる。それまでは女性と踊ることが許されないので、教師や側近が女装をして相手を務めていたらしい。


「普段は真面目な教師が派手なドレスを着た上に化粧までするから、最初に腹筋が鍛えられたな。王子が臣下や国民を見て笑うなんて、絶対に許されないからな」

 眉を下げたエゼルバルドの表情につられるようにして、男性教師のドレス姿を想像してしまった。これは笑ってはいけないと思っても、私なら絶対に耐えられない。


「ドレスは誰かのものだったの?」

「それが恐ろしいことに特注品だった。そうだ……サイズの合わないドレスでは美しく踊れないと言っていたな……」

 エゼルバルドが遠い目をしてしまったので、ついに私も笑ってしまう。


「笑ったな? よし、もう一曲踊ろう!」

 エゼルバルドの言葉に私は頷いた。


     ■


 エゼルバルドが休憩時間に楽器を奏でることを許可したので、毎日お昼過ぎには楽器の音が流れてくるようになった。これまでは城内での使用人の娯楽は一切認められていなかったけれど、賭け事以外は柔軟に認める方向でいくようだ。


 一番上手いと思えるのは竪琴を得意とする中年の男性。間違うことがないので、ダンスの時は主旋律を務めている。楽し気な曲から哀愁漂う曲まで弾けて本当に幅広い。エゼルバルドに感想を告げると、時折お茶の時間に演奏してくれるようになった。


 演奏が終わった後に拍手をすると、恥ずかし気な笑顔で会釈をして部屋を静かに出て行く。この城の主は城守以外の使用人の名前を憶えてはいけない規則で、名前を教えてもらえなくても顔は覚えた。


     ■


 図書室の扉は一定量以上の魔力がなければ開かないとわかった。

 ジェイクは塔の図書室の本を読んで私が帰る方法を探してくれているらしい。毎日のように読み方のわからない文章の確認をされている。


 温室の植物は、少し世話をしただけで完全に回復した。毎日世話をすると貴重な薬の材料になる花や種が次々と収穫できる。


 塔の一階、噴水のある部屋は元々薬を作る為の部屋だった。木の作業台を持ち込んで比較的簡単な作業工程でできる薬茶を作り始めた。疲労回復や膝や腰の痛みに効く物、喉に良い物、さまざまな種類の薬茶は、まずは使用人の為に控室へ置いておいて、好きなように飲んでもらうことにした。


 久しぶりに、誰かの為に何かを作ることができて安心した。これまでずっと、世話をされるだけの存在だった。料理も裁縫も、専門の使用人がいる状況で、私ができることは薬を作ることしかない。


 異世界だろうとどこだろうと誰かの役に立っていると思えることは、心細さと寂しさを支える勇気になると知った。誰かの為にといいながら、本当は自分の心の為なのだとも知った。


     ■


 中庭には精霊ではなくて普通の蝶や小鳥が白い花の蜜を目当てに現れるようになっていた。餌場と水盤を設置すると、さまざまな種類の小鳥が現れる。朝は鳥のさえずりで目が覚めることもある。


「エゼルバルド、起きて」

 私の方が早く目を覚ました時は起こして欲しいと言われているので囁くと抱き込まれた。

「起きてたの?」

「……いや……今、起きた」

「絶対、嘘」

 軽いキスをすればエゼルバルドが笑顔になる。私から深いキスは恥ずかしくてできない。元の世界に帰るつもりなのに、エゼルバルドの腕の中は温かい。


 エゼルバルドが覆いかぶさってきて、ゆっくりとしたキスが始まった。身勝手な話だけれど、求められると安心する私がいる。私を必要としているのだと思えて嬉しい。


 そっと唇を触れ合わせながら、大きな手が背中を静かに撫でるだけで体が震える。


 くるりと上下が入れ替わった。最近エゼルバルドはこういった悪戯をする。体の上に乗った私が恥ずかしい顔をしているのを見て楽しんでいる。


「ミサキ、好きだ」

 エゼルバルドが明るい笑顔で囁いても、私はまだ一度も答えたことがない。


 正直言ってエゼルバルドが好きなのか、依存なのかよくわからない。

 いつもドキドキしていたヴァスィルの時と違って、エゼルバルドの腕の中は温かくて落ち着く。時々鼓動が跳ねても、それは大抵魔女の記憶によるもので。


 答えることができない私は、エゼルバルドの胸に顔を埋める。

 エゼルバルドは、優しく私の髪を撫でてくれた。

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