第十話 密やかな悪意

 注文していたドレスが届いた。通常は納品時にも仕立て屋がくる筈なのにドレスのみが馬車で届いたとジェイクが首を傾げる。


 居間に箱が運ばれてきて確認するようにと言われて中を見たけれど、流石プロの仕事とは思いながらも密やかな悪意を感じる。

 五着のドレスのデザインはエゼルバルドとジェイクが選んでくれた物。色は口頭でのイメージだけで指定していた。その五色全てが私の肌をくすませる色味の布で仕立てられている。本当に些細なことだから男性は気が付かないだろう。


 私が頼んだ綿のシンプルなワンピースは希望通りに仕立てられていたものの、頼んでいない生成のエプロンが同梱されていた。まるで私は使用人が似合うというメッセージのようで気分が悪い。


 この悪意は口にすれば自意識過剰、気のせいと言われてしまう微細なレベルだからこそ、神経を逆なでする。


 一番大きな箱を開けると、頼んでいない真っ赤なドレスが入っていた。どのドレスよりも手が込んでいて豪華なデザイン。私が着こなせるとは思えない炎のような朱赤だ。違和感を覚えて体に当ててみると、私のサイズではなかった。もっと背が高くて胸が豊満でなければ着こなせない。


「あの……このドレスは私のサイズではないようです。何かの間違いではないでしょうか」

 振り向くとエゼルバルドとジェイクの表情が強張っていた。それ程までに似合わないのだろうかと、少し落ち込みながら箱に戻す。仕立て屋は私が絶対に似合わないドレスをわざと送り付けてきたのだろう。


 密かな嫌がらせの理由がわからない。これが国の為に生贄になる女に対しての仕打ちなのだろうか。それとも異世界人は差別を受ける対象なのか。


「そうですね。こちらは仕立て屋に返しておきましょう」

 ジェイクが苦笑しながら赤いドレスの箱を部屋の外へと運んで行ったので、エゼルバルドと二人きりになってしまった。


「ドレスと服、ありがとうございました」

 私はなるべく顔に出さないようにと微笑んでお礼を述べる。


「ミサキ、何か希望があるなら正直に言って欲しい。私も隠さない。あまり気に入っていないのだろう? 私とジェイクが勝手に決めたからか?」

 眉を下げ、エゼルバルドが初めて気弱な表情を見せたので驚く。気付かれているなら言ってしまおうと私は答えた。


「いいえ。デザインはとても素敵です。……ドレスの色を染め直してもいいでしょうか?」

「色?色が気に入らなかったのか?」


「……私には似合わない色合いです。見て下さいますか?」

 鏡の前でドレスの一枚を首元に当てると肌色がくすむ。取り去ると元に戻る。


「きっと皆さんとは肌の色が違うので、わからなかったのでしょう」

 この世界の人達は肌が白い。ヴァスィルによると褐色や私と同じ黄色もいるらしいけれど、圧倒的に白い肌が多い。だからこの色になったのだろうと無理矢理結論付けておく。私が元の世界に帰っても仕立て屋は仕事を続けていくのだから、王子からクレームが入れば困るだろう。


「次は別の仕立て屋を呼ぼう」

「いいえ。五着もあれば、もう充分です。ドレスは動きにくいので苦手です」


「ミサキ、もう少し何か欲しいと思ってくれないか?」

 エゼルバルドにそっと抱きしめられる。いつもと違う、少し早い心音に包まれると心地いい。


「……何かをこの世界に残したくないのです」

 私の言葉を聞いてエゼルバルドは少し寂し気な微笑みを見せて、温かいキスが始まった。


     ■


 午後にはバスケットを持って塔の温室に駆け込んだ。

 足音を立てて歩く私に、ヴァスィルが目を丸くする。

『ミサキ? どうした?』

「どうしたもこうしたもないわ! あの仕立て屋、私に似合わない色ばっかり選ぶんですもの!」

 エゼルバルドの前では取り澄ましてみたものの、やっぱり腹は立っていた。私は体が動くままに、温室に育つ花や葉を摘んで腕に掛けたバスケットに入れていく。


『ミサキが怒るなんて珍しいな』

「一着二着なら気のせいだけれど、五着全部なんだもの!」

 ぷくりと片頬を膨らませながらヴァスィルの近くに座り込んで、摘んだ花や葉を広げた布の上に載せていく。


『その薬草で何をするんだ?』

「ドレスの色を染め替えるの」

 どの花や葉で染めれば何色になるのか何故かわかる。これもきっと魔女の知識なのだろう。この温室に植えられているのは全て薬草で、触れると名前と効能が頭に浮かぶ。


 手をかざすと緑の温かい光が花や葉を乾燥させた。一種類ずつ紙で包んでワンピースのポケットに入れる。


『その手さげ籠には入れないのか?』

「……持ってる物をチェックされるんだもの。ここを出てから適当に雑草を摘んで帰るわ」

 あからさまではないけれど何を持っているのかはよく聞かれる。私が薬草を持っていたら不審に思われてしまうだろう。出処を探られては困る。


「この国が出来た頃、ここにいた魔女と会ったことある?」

『いや。この国が出来てしばらくはこの城全体に結界が張られていたから近づけなかった。前の国ライトゥーナの巫女になら会ったことがある』


 この城はライトゥーナの人々が建造した物らしい。この塔は、周囲の城壁と透明な通路で繋がっていて、人が空中を歩くように見えた不思議な建物だったらしい。今は透明な通路は無い。


 この世界では戦争に負けると王族だけでなく国民全ても殺されてしまうから、高度な魔法と建築技術は失われてしまった。


 ローディアになってから、この温室は誰も来ないし竜族が常に聞く『世界の囁き』が適度に遮断されるから休憩に適していると竜は笑う。


「『世界の囁き』って何なの?」

『何と言われると難しいな。この世界が生きているという声……心臓の音のような物だ。時折、世界のどこかで様々な『運命』が産まれる声もする。生まれてからずっと聞こえている声だから慣れてはいるが、疲れ切っている時は聞きたくない時もある。ここなら『運命』の声は聞こえるが、他はほとんど聞こえない』


「竜って、いろいろ大変なのね」

『人間だっていろいろ大変だろ?』

 赤い竜が優しい声で笑う。


『ミサキ、その前掛けエプロン似合ってるな』

「そう?」

 深緑色のふんわりとしたワンピースに生成のエプロンは、まるで童話の主人公のようだ。可愛すぎるのではないかと少し心配していた。

『俺は可愛いと思うぞ』

 笑うヴァスィルの言葉に、私の頬が熱くなるのは止められなかった。


     ■


 その日の夜。夢の中で私は黒いローブを着た薄荷色の長髪の女性になっていた。家具や寝具は違っても、この城の寝室だった。大きなベッドの横には丸いテーブルと二客の椅子。片方には男が座っている。


『中庭の木に花が咲いたわ。外に出てみない?』

 扉から入ってきた私は、お酒を煽っている銀髪の男性に話し掛ける。

「外だと!? どうやって外に出るというのだ! 私はこの城から二度と外には出ることが出来ないというのに!」

 エゼルバルドに良く似た緑の目の男が血を吐くような絶叫を上げてテーブルを叩いた。転がり落ちそうになった酒瓶が、緑の光に包まれてテーブルにふわりと戻る。


「……すまない。お前に当たっても仕方ないことだ。お前は国の犠牲者なのに」

 男が頭を抱えてテーブルに肘をついた。

『いいのよ。私が志願したのだもの。私の方こそ謝らなくてはいけないわ。私の魔力がもっと沢山あったなら、貴方を道連れにしなくてもよかったのに』

 私は男の肩に手を掛けて温めるように優しくさする。……ああ、きっとこの人が好きなのだろう。


「好いた男くらいいたのだろう? 良かったのか? 私とこの城に閉じ込められて」

 男がカップを手に取ろうとして目測を誤って倒した。私はそっとカップを戻して男の手が届かない場所へと移動させる。


『好きな人はいたけれど、私は魔力が強すぎるから結婚は諦めていたの』

 ……違う。きっと好きな人はこの人だ。


 肩をさする手を引かれて男の膝の上に載せられた。片手で乱暴に黒いローブの襟元を開かれる。

『待って、貴方も魔力持ちでしょう?』


 この世界で魔力が強い者が性交する場合、相手も魔力を持っていると力が弱い方が精神異常を起こすことがあるらしい。


「測定した時に見ただろう? 私の魔力量はお前とほとんど変わらない。交わっても互いへの影響は打ち消し合うだろう」

 男が自嘲気味に笑って言った。


『もしも均衡が崩れて精神異常を起こしたらどうするの?』

「もう異常はきたしている。これ以上狂う訳がない」

 男はローブとワンピースを引き裂いた。零れた左胸には薔薇と茨の紋様が浮かんでいる。


『……それなら、貴方のことを好きだと思うことにするわ』

 私は微笑んで男の頬に手を当てて撫でる。男の物になることに歓喜を覚えているのが伝わってくる。


「そうか。私もそうしよう」

 男が初めて優しく微笑んで顔を近づけてきた――。



「!」

 飛び起きると元の寝室だった。私はベッドの上で、エゼルバルドと一緒に眠っていた。

「……どうした?」

 夢の中の男と同じ声に体が強張る。……違う。これはエゼルバルドの声。

「酷い汗だ」

 起き上がったエゼルバルドが私を抱きしめて呟いた。全身から汗が流れていて気持ち悪い。


「夢を……見ていました」

「どんな夢だ?」

「目が覚めたら忘れてしまいました」


 私は、また、嘘を吐いた。

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