第53話 定時制高校の日常 ~ 時代の変化とともに

 本書では、通信制高校を持ち上げ、定時制高校を「あしざま」とは言わないまでも、いささか批判的に論じ過ぎた気もする。

 ここで、定時制高校の典型的な日常を述べてみたい。これは、上中別府チエさんという、83歳の「定時制高校生」が、全国訂通製野球大会を目指す定時制高校の野球部のマネージャーをされたことを描いた本である。


「83歳の女子高生球児」 上中別府チエ 著

2013年11月 刊 ゆうゆうBOOKS


 以下、私が本名名義で執筆していたアマゾンレビューの紹介文からです。


 年長者の視点からの、現代定時制高校事情

  ~ なつかしさと新鮮さとともに


 本書は、76歳から夜間中学、そして定時制高校で学ばれた上中別府チエさん(以下「チエさん」)の高校生活と、野球部員としての活躍を描いた書です。

 本書を通じて、現在の定時制高校事情を改めて知ることができました。というのも、私自身、定時制高校に3年間通った経験があるので、その頃のことも踏まえて、皆さんにお話しさせていただきます。


 私の通っていた高校には、さすがにチエさんほどのお年を召された方はいませんでしたが、当時の私からみて親ぐらいか、それより幾分年上の方も、確かに何人か通っておられました。中学を出てすぐの年齢の少年少女から、先生方のどなたよりも年上のチエさんのような方まで、「学びたい」と思って自分自身のために通うところが、定時制高校です。


 私自身のことを話しますが、高校入試で失敗して、やむなく行ったのですが、当時脚光を浴び始めた大検を活用し、大学に行くまでの3年間、定時制高校を言うなら『利用』させていただいたことになります。しかもその学校は、私が落ちた公立普通科高校の敷地内にありました。正直、通っているときは、気持ちのいいものではありませんでした。学校の授業は適当に流して、昼間はおおむね、ひたすら、大学受験に必要な勉強ばかりしていました。さもなければ、近くの図書館で何かの本を読み漁っていました。趣味の鉄道の本が多かったですが、時間がたつにつれ、プロ野球関係の本もかなり読んでいました。それだけでなく、古い時刻表や新聞を出してもらい、それでいろいろ調べものもしていました。

 部活動などとんでもない。そんな暇もゆとりもありませんでした。

 でも中には、授業後、遅くまで部活動に励んでいた人も、何人かいらっしゃいました。


 定時制高校には、「給食」があります。

 これは勤労学生の食生活をサポートする趣旨で、戦後からずっと続いている制度です。私の通っていた高校は、1時間目の終了後にその時間を取っていましたが、チエさんの学校は、授業前だそうです。そう言えば中学生のころ、アイドル歌手だったマッチこと近藤真彦さんが当時芸能活動の傍ら定時制高校に通っていて、そこで給食を食べている写真が若者向けの週刊誌に出ていました。近藤さんや私の通っていた高校では、それなりの料理が提供されていましたが、なかには、パンと牛乳だけという学校もあるようです。


 授業時間は全日制より若干短めで、1日4限あります。

 教科・科目は学校によりますが、普通の高校とそう変わるものではありません。

 たしかにこの定時制高校というのは、夕方から始まるので、仕事などをしていなければ、朝はゆっくりできてさぞかしいいだろうと思う人もいるかもしれません。しかし、朝から夕方まで仕事や学校に行くこととは、明らかに生活リズムが異なります。仕事をしていればその延長で授業にということでしょうが、仕事をしていない人、例えばチエさんや昔の私のようなケースであっても、生活リズムが朝型でなくなるために、慣れるまでは意外と疲れるものです。


 高度成長期が終わるころまでは、定時制高校は確かに、「勤労学生の学びの場」でした。そこで働きながら学び、難関大学に進学して、弁護士や医師になって活躍された方もいます。戦争などの事情で学べなかったチエさんのような高齢者の方の受け皿としての役割も、以前より担っています。集団就職などで都会に来た青年たちの学びの場としての役割を追ってもいました。

 しかし、社会が豊かになり、高校進学率が高くなるにつれ、定時制高校はその役目を少しずつ変えていきました。

 私がいた1980年代半ばは、それこそ、全日制高校のどこにも入れなかった生徒の受け皿とか、ひどい言い方をされたらそれこそ「おちこぼれの吹き溜まり」のような報道さえされたこともあるほど、それまでの空気とは全く違う状況もありました。

 もちろん、学校側はその状況を改善すべく、日々取り組んでいたことは言うまでもありません。やがて、不登校や高校中退が社会問題になっていく中、そういう生徒たちの受け皿としての役割も追うようになってきました。

 通信制高校や大検こと大学入学資格検定(現在の「高認」、高校卒業程度認定試験)もそうですが、定時制高校という場所は、社会の変化に、実に敏感な場所でもあるのです。


 定時制高校には、いろんな年齢の、いろんな人たちが来ます。高校生ぐらいの年齢の少年少女にとっては、実は、チエさんのような方は、本当にありがたい存在なのです。髪を染めてピアスをした、失礼ながら勉強とは無縁のように思える少女や、いかにも「ヤンキー」という言葉がふさわしいような少年も、あるいは高校生当時の私にしたって、今のチエさんの眼からすれば、孫やひ孫のようなものでしょう。


 個性あふれる異質な者たちが集い、それを認め合いつつ、学んでいく場所。それが定時制高校のもっとも大事な機能なのではないでしょうか。

 私も、定時制高校にいたおかげで、学校とは何か、授業とはどういうものなのか、勉強するということはどういうことかを否応なく、真剣に考えさせられました。

 そのころ学んだことのすべてが、今、この年になって、どんどん活きてくるようになりました。

 全日制の進学校に合格していれば、この世界を知ることはなかったでしょう。


 大学合格による進学のため、私は高校3年次で中退となりました。ですが、通っていた高校からは、今も、卒業生として扱っていただいています。

 大学に合格したときは、それまでお話したことのなかった、親ぐらいの年齢の生徒さんから、お祝いをいただきました。こんなありがたいことはありません。全日制の進学校に進んで大学に合格したところで、そんな経験はまずなかったはずです。


 2014年3月8日記事


 ここに1980年代の定時制高校の日常を、改めて紹介させていただいた。

 確かに定時制高校はこの数十年来生徒数を漸減させており、いずれまた、規模縮小や統廃合などの問題が出てくることは避けられまい。あるいは、通信制高校と統廃合する可能性もあり得るだろう。

 これがいわゆる「二部大学」のような夜間主大学なら、勤労学生だけでなく、社会人入学の大人を受け入れる余地もあるからまだしも、定時制高校の未来は、決して、明るいとは言えない。

 だが、これまで勤労学生の学びの場として、また、全日制高校の受験に失敗した生徒や不登校を経験した生徒たちの受け皿として、闇夜の松明の火のごとく存在し続けてきた定時制高校の果たした役割は、決して小さくはなかった。

 そのことを、申し添えておきたい。

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