第18話 「大検」の実像 ~ 大検を利用した人たち 1

 大検は本来、家庭の事情などで高校に行けない青少年に大学進学の機会を与えるための制度であった。

 この制度を利用したのは、向学心あふれる貧困家庭ばかりではなかった。

 このような進路に関わる「情報」に敏感でかつ利用に余念がないのは、貧困家庭よりむしろ、ある程度以上裕福な家庭のほうではないか。


 秋田銀行頭取の息子で後の商法学者・前田庸氏もまた、大検から大学に進んだ青年の一人である。

 前田少年は旧制中学時代に肺結核にかかり、療養所に入ったため、新制高校に通えなかった。新制高校の初期の学年だから、まさに、「(新制)高校を降りた若者」の走りの世代といえよう。結局、療養しつつ大検を取得して、前田青年は22歳で東京大学に入学した。

 卒業後は金融機関に進みたかったものの、年齢と病気の再発の可能性が原因で断られ、結局、商法学の大家であった鈴木竹雄教授の研究室に入り、学者としての一歩を踏み出した。前田氏は後に学習院大学教授となり、司法試験委員も歴任された。

 

 芸能人として多忙な10代を送りつつ、大検を利用して早稲田大学に進学した、吉永小百合氏のような例もある。

 彼女は言うまでもなく、日本の大女優である。芸能人が通っていることで有名な堀越高校のような学校も東京にはあるが、超の字がつく売れっ子ともなれば、そうそう学校にさえも行けない。

 吉永氏の例は、一見特殊例のように見えるが、よく見ると、典型的な「勤労学生」の一例でもあると言えよう。これは決して、詭弁ではないはずだ。

 ちなみに彼女は大検には全科目合格できなかったが、早稲田大学が高校卒業レベル以上の学力があると認めたため、早稲田大学に進学できたわけである、言うならば彼女は、「大検名誉合格者」と称されてしかるべき人物であろう。


 前田氏や吉永氏のような例を並べると、さぞかし、大検は難しいものというイメージを持たれるかもしれない。

 実際、戦前のいわゆる「専検」と呼ばれる大検の前身は、「ラクダが針の穴を通るほどの難関」と言われていた。当時の史上最年少の15歳で合格した元大蔵官僚で政治家の山下元利氏のような傑出した人物もいたが(当時の新聞でも取り上げられたという)、そういうのはもちろん、当時の社会でもレアケースだ。


 もっとも、専研、大検そして高認合格者をWIKIPEDIAで見てみると、意外と有名な人物がこの制度を利用して身を立ててきたことがわかる。


 さて、実際の大検は、どうだっただろう。

 少なくとも私が受験した1980年代の半ばは、それほど難易度の高いものではなかった。合格率が低く見えたのは、受験者に対しての最終合格者の数を比較しただけの話で、一部科目合格者を含めれば、さしたる難関でもなかった。テスト自体は、全体の6割程度を取得すれば合格だ。その難易度に至っては、公立の普通科進学校(岡山であれば県立朝日、東京であれば同日比谷、大阪であれば同北野、広島であれば同国泰寺などの、旧制中学時代からの名門校を想定されたい)の生徒であれば、高校入学後から対策すればその年のうちにも、少し失敗したとしても高2の夏までには高得点で楽々合格しうる試験であった。

 当時の試験は年1回、8月の初旬に4日間かけて行われていた。

 試験時間は必須科目が80分(午前中の最初)、選択科目が60分。

 解答が早く終われば、一定時間が過ぎると、答案を提出して退席することが認められていた。

 

 大検のテスト自体は、私の受験した頃はまだ記述式であった。

 私はほとんどの教科で、退出可能な時間が来る頃には十分答案が仕上がっていたため、さっさと退席していた。

 当時の岡山県の受験会場は、県立岡山工業高等学校校舎の教室を利用して行われていた。試験が行われていたのは、旧暦上もまだ夏の時期。そういういうこともあり、受検生の待合室として利用されていた教室もあった。

 そこには、冷たいお茶のタンクと湯飲みが置かれていた。今ほど「水分補給」を言われていない時期だったが、あのお茶のタンクとやかんと湯飲みは、妙に、印象に残っている。当然、冷房などなかった。


 ちなみに、当時の司法試験の論文式試験は、7月中旬の3日間、岡山大学構内でも実施されていたのだが、こちらも冷房はなかった。冷房設備のある教室でも、公平さを担保するために、冷房はつけられなかった。そんな熱い中で、1日最大3科目の試験を、1科目2時間で、2通の答案をボールペンで書かされていたわけである。

 司法試験は過酷な試験であったが、大検は、同じ時期に試験を行っていたとはいえ、それほど過酷とは思わなかった。

 大検が受験数の増加に伴いマークシート方式が導入されたのは、私が大学に入学して間もない1989年のことであった。

 この時期、大検受験者・合格者とも、毎年のように過去最高をマークしていた。

 「専研」の時代など、とっくの昔に終わっていたのだ。

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