第7話 「夕焼けニャンニャン」の陰で・・・

 理解者もいない,妨害者だらけの世の中。


 私はそれを、勉強の合間に本を読むことで突破しようとした。

 阪神が日本一になった翌1986年。

 私は、思い立って、ひたすら、図書館にあるプロ野球関係の本を読んだ。プロ野球関係者の本は、私に、孤独に打ち克つ力を与えてくれた。

 そして、養護施設という「サティアン」もどきの環境から飛び出すための心構えを、しっかりと教わった。


 青春ドラマで描かれるような、友情とか仲間とか、そんな言葉をかなぐり捨てる時が来たのだ。

 いつまでも「仲間ごっこ」などをしていては、人生を切り開けない。

 私は、プロ野球関係者の本を読み進めるごとに、その意識を強くしていった。

 それと同時に、毎週水曜日と土曜日には岡山大学に行き、鉄研こと鉄道研究会の例会にも行っていたし、野球本だけでなく鉄道書も読んでいた。そこには確かに、私の「居場所」があった。私の読書力は、この時期に鍛えられた。


 ただ、思いが即文章力につながるわけではない。

 文章を書くのは、30歳に近くなる頃まで、まったくと言っていいほど自信がなかった。今でこそ、文庫本程度の分量ならその気になれば1週間程度もあれば書ききれるが、当時は、原稿用紙3枚程度のことも満足に書けなかった。

 アルバイトも含め、仕事はほとんどしておらず、朝から昼にかけての時間はふんだんにあったから、こういうこともできた。

 しかし、夕方ともなれば、いつも、嫌な思いが頭をもたげた。

 ちょうど、あのおニャン子クラブが出ていた「夕焼けニャンニャン」でおニャン子クラブの同世代の少女たちが底抜けに明るく歌う中、私は、定時制高校に憂鬱な気持ちで向かうわけだ。


 定時制高校には給食というものがあるので、食べに行く。

 これはもともと、勤労青少年の食生活をしっかりサポートする趣旨で設けられている制度である。私にとっても、これは実にありがたかった。

 パンと牛乳程度のものしか出さない学校もなかにはあったようだが、烏城高校は、それなりの料理を提供していた。

 授業は、出席日数に足りなくなるほどまでは休まない。でも、適当に休みつつ、いろいろなことをしていた。

 

 とにかく、自分の勉強が最優先。

 その他は、眼中に入れるに及ばず。

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