第6章 死神くらい殺してみろ_その5


    〇


「どういうことだ!? くくりは正気に戻ったんじゃねえのか!?」

「おそらく、境界が緩んだままなんだ」

 十年前の惨劇の当事者である二人は、これが予兆であることに気付いている。

 ぶちから聞き出した計画によれば、くくりの「呼吸」が最高潮に達したところで、ハイドのじようがんで裂け目を開くという。穴が開いたダムのように、引き寄せられた魂の圧がそこに集中し、ついには決壊すると。

 だがハイドは倒した。裂け目が開かれることはもう無い……が。

 思い至り、ミソギは頭を抱える。

「ああクソ、さっきのアレでぽんぽん飛びすぎたからか!? あれが悪いのか!?」

「可能性はある。このかいわい全体の次元が綻んでいるとすれば、あとは向こう側からの圧力でこじ開けられるのは時間の問題だ……!」

 互いのじようがんで、地獄からモノを呼び出すなり飛ぶなりなんなりしすぎた。ああしなければ倒せなかったとはいえ、食い止めるために全力を尽くした結果がこれとは皮肉なことだ。

 満月が大きく脈打ち、ついにその輪郭を崩して。

「冥界の門が、開く……!!」

 赤い月が、水風船のように、割れた。

 瞬間、天蓋の「穴」から赤い滝が落ちる。

 十年前と同じだ。血と油と火、にくでいの入り混じったドロドロの液体。燃え盛るその中から死者の細い手が無数に伸び、幾千幾万ものうめきが唱和する。

 触れれば即死。逃げ場所は無い。間に合わない──!

「ふぅっ…………!!」

 くくりが、翼を大きく広げた。

 縦ではなく、横へ。翼はたちまち変形して、幾重にも層を作り、四人どころかしん宿じゆく全体を覆い隠す巨大で分厚い屋根となる。

くくりさん!?」

 どどどっ────!!

 白い翼に、赤いドロドロが食い止められる。だがそれは蛇口全開の水を洗面器で受け止めるようなものだ。いずれあふれてしまうし、何よりも中心にいるくくりが無事では済まない。

「バカ、何してんだ!? お前から先に死んじまうぞ!」

「だ、……だい、じょうぶ、だから」

 くくりは、あろうことか、笑ってみせた。

 無数の命を秘めた天使の翼は、ドロドロに触れても平気なのか。だとしても、中心に立つのはきやしやな子どもだ。すさまじい量の不定形の「死」が今なお彼女にのしかかり、翼の上で燃え、腐り、えんの叫びをあげ続けている。

「……っ!」

 不意にくくりが顔色を変えた。ドロドロの中から突き出した無数の手が、彼女の翼をつかみ、むしり始めたのだ。

「あぅ、っぐぅう!」

くくりさん! もうやめて! そんなことしたら、あなたが……」

「大丈夫だから!!」

 くくりの叫びには、決意があった。

「みんな……あたしのために、がんばってくれたから。次は、あたしの番だから! こんどは、あたしが……ともだちを、守るから……っ!」

 老せさらばえた死人の手が、翼に深く深く食い込む。金の光が徐々に薄れ、炎に塗り潰されていく。フィリスは何もできず、せめてくくりの体を守るように抱きしめた。

「──射出プラットフォームは、まだ軌道上にある」

 覚悟を秘め、アッシュが静かに告げた。

 彼の首には、薄汚れてなお輝く金色の翼がある。

 最終救済兵装『裁きの杖アビン』。アッシュ自身をマーカーとする、規格外の衛星兵器。

 赤い月は天体ではなく、幽離都市の天蓋にのみ現れる一種の怪現象だ。衛星軌道から放たれる質量爆撃なら、あるいはあれを上から一直線に撃ち抜き、ドロドロを焼き尽くせるかもしれない。幽界現象を、止められるかもしれない。

 だがそれは、この場の全員を犠牲とした最終手段だ。

「可能性はゼロじゃない。……がわくくり。もう少し耐えてくれたら、君を楽にしてやることはできる。僕らも道連れになるけどね」

「アッシュ、そんな……!」

「慌てるなよ、フィリス。最終結論じゃない。──ミソギ、もう一回だけ聞くぞ」

 アッシュの視線が、死神に注がれる。

「代案はあるか?」

 ミソギは数秒、目を閉じた。考えて考えて、考えて考えて考えて──短く濃い数秒の思索の果て、開いた目には、炎が宿る。

「…………あるに決まってんだろ」

「聞こうか」

「オレので来ちまったんなら、そいつでまた送り返してやるだけだ」

 ミソギはじようがんを再び開く。握りなおしたほたるまるに刀身が戻り、四人の顔を力強く照らした。

 簡潔な説明を聞き、アッシュは皮肉気にくちげる。

「……最後の最後まで、もうじやと手を組むことになるとはね」

「乗りかかった船だ。こうなりゃとことんまで付き合ってもらうぜ……!」


 アッシュはくくりとフィリスのすぐそばに立った。

 真上には翼の屋根。うごめくドロドロが、ひしめもうじやどもの手が、今にも突き破ってれ落ちようとしているのを感じる。

「今から、『裁きの杖アビン』を落とす」

 耐えるくくりと、彼女に寄り添うフィリスに告げる。

つえは天から一直線に僕に落ちてくる。落下軌道のもうじやもドロドロも貫いて、そのまま地面に着弾し……僕らを消し飛ばすはずだ」

 ──の話だ。この作戦には「その先」がある。

 プランはシンプル、チャンスは一度、いつものように命懸け。修羅場などもう幾つも通過している。その都度、いちいち助かることなど考えてもいなかった。

 だがアナテマの人喰い鴉レイヴンは、今宵こよいに限って別のことを思う。

「……ここまでやって死ぬのもしやくだ。賭けに出る。いいね、二人とも?」

 フィリスはくくりを抱きしめ、力強くうなずいた。

「だいじょうぶ……お願い」

「やってください、アッシュ!」

 上等だ。アッシュは真上をにらむ。翼に腐った赤色がみつつある。その向こう、長い長い死の滝の果てに冥界の門があり、空があり、宇宙があり、最終兵器がある。

「最終救済兵装コントロールシステムにアクセス──コード、天使災害エンゼルハザード。ターゲットマーカーオン──リンク完了。『つえ』の装填完了、スタンバイ完了、射出可能。……罪なき子らのため、天より注ぐ聖なる呪いを──」

 信号は天に届き、月と死の滝を挟んで、アッシュと衛星を一直線につないだ。

「──アクセス。『裁きの杖アビン』、射出……!」

 とうきようの空で、ひときわまぶしい光がまたたいた。


 天が流星を放つ。

 低軌道上より秒速約三六〇〇メートルで襲来するつえが、地上に到達するまで、十数秒。

 ミソギは既に空中にあった。

 飛び込む/転送/転送/転送──裂け目から裂け目を上へ上へと飛び渡り、空へ。

 急激にスイッチする景色。繰り返す転送で、ミソギは滝の中腹あたりに飛び出した。

 月と地上を一直線につなげるような、途絶えることなき一直線のぼう。白い翼にらい付き、今まさにこぼちて地上を殺し尽くさんとするしかばねの大河だ。十年前とまったく同じ。どうしようもないものを前にすると、人は神やら仏に祈りたくなるという。

 冗談じゃねぇ──ミソギは他の誰でもない、己の右手で刀を握る。この世には神も仏もいない。あるのは地獄と仕事、ついでに借金。全部自分だ。自分の手でつかんで切り開いて、自分の足で進み、死にながら生き抜かねばならない。

「これで最後だほたるまる! 斬りッ────」

 空中で身をひねる。大河を狙い、しやくねつの太刀を、全身の力を使って、

「────開門ひらけェッ!!」

 ッ!!

 それはただの斬撃ではない。刃を起点に生み出す境界の裂け目そのものであり、ひとたび開けば強度もサイズも無関係に分割してのける次元切断の絶技。

 大河が分断される。ねばついた飛沫しぶきが飛び散り、もうじやたちがばらばらに散っていく。一度斬った程度で流れはとどめられず、半固形のドロドロはなおも天より注がれる……が。

 来る。

 風を穿うがち、音よりも速く、それは墜落した。

 大気圏を撃ち貫いてなお軌道を変えず、表面を赤熱化させたままあおい光をまとい、芯の銀にもうじや殺しの規格外の破壊力を秘める、アナテマの最終救済兵装。

 ずご、ととどろく音と衝撃は、一瞬遅れてしん宿じゆくの空をしんかんさせた。

 つえは真上から、大河の中心に沈み込んだ。すさまじい衝撃力を伴ってなお止まらず、肉をえぐり血を焼いていささかも勢いを衰えさせない。ぜた飛沫しぶきは塩となって散り、圧倒的な浄化の力に大河が焼き尽くされていく。先端はまっすぐ地表に向けられている。

 直下、二本の脚で地を踏みしめ、アッシュはつぶやく。

「……天に、ちて──」

「地獄に、祈れッ!!」



 ミソギの叫びに応じ、閉じていた巨大な瞳が開くように、裂け目が、開いた。

 その幅、実に数百メートル。ミソギの気迫がそのまま威力になったかのように、斬撃は空間を駆け抜け、空中に巨大なクレヴァスを開いてのける。

 アッシュが「落とし」、ミソギが「開く」。それが最後の賭けだった。

 つえが落ちるのは地表ではない。斬り開いた裂け目の向こう──地獄だ。

 狙いはドンピシャだった。大河をぶち抜く巨大なつえは、勢いをそのままに地獄の闇へと吸い込まれていく。ミソギはその様をしかとたりにして──

 どくん、とみぎが強くうずいた。

 頭から奈落へ落ちていく感覚。予感していたことではあった。今開いた巨大な裂け目は、ミソギ自身の限界をも超えたものだ。まれる──えんの危惧していたことが、起こる。

(ああクソ、やっぱ逃げらんねぇか──)

 崩壊するもうじやたちにからめ取られ、もろともに落ちる。今度はさすがに戻ってこられる気はしない。えんの計らいも届くかどうか。最も深い地獄の底で、何十年、何百年、何千年──

『俺の合図で、みぎを閉じろ』

 ──あぁ?

 頭の中から声がした。こちとら疲れているのに、どういうつもりか問答無用だった。

 みぎから、炎が噴き出た。

 は見る間に形を取り戻し、最後に残った魂の力を振り絞るように、あの見覚えのあるしゃれこうべを形作る。続いて現れた右手には、ぶっとい鉄の枝が握られていた。

「ぶべッ!?」

 いきなり、馬鹿力で殴り飛ばされた。

 思いがけぬ角度からたたまれた衝撃は、ミソギを裂け目の外まで吹っ飛ばす。

 今だ、と声がした。誰の声かその時やっとわかった。

「ハイド! あんた……ッ!!」

『お前の手では落ちん』

 旋転する視界の向こう、閉じゆく裂け目の中に、燃える二つのが輝いていて──

『俺は、俺にしか従わない────』

 ────ろ、地獄門。



    〇


 赤い満月は、変わらず天蓋にある。


 さっきまでとの違いは、今やすっかり元の形に戻っていることだ。中心を衛星兵器にぶち抜かれておきながら、「私は天体でござい」と言わんばかりに幻の像を浮かべている。

 やがていい気なもので、何事もなかったかのようにゆっくり西に傾き始めた。

 戦いから六六六秒、七、八──。時は進み、夜明けに近付いていた。

 ボロボロの四人が、横並びに荒野を行く。

 車が無いので普通に歩きである。こうなるとしんどい。互いの無事を喜び合うのもほどほどに、帰るまでがもうじや狩りとばかり、ぽてぽてふらふら歩く歩く。

「これって作戦完了なんでしょうか」

「どうだろうな。間違っても当初の命令通りではなかったけれど」

「あ、オレの査定どうなってんだろ……後で聞いてみるか」

「この後どうしましょう?」

「とりあえず飯。あと寝る。もうやだわ疲れたわオレは」

「総隊長殿への言い訳を考えておかないとな」

「ねぇ」

 と、くくりが口を開く。

 三人が振り向くと、彼女はその場に足を止めて、光る翼をぱたぱた動かしていた。

「あたし、返さなきゃ。これまでたくさん吸っちゃったから」

 彼女が吸い取った数え切れないほどの魂は、今なお小さな翼に秘められている。

 それを、みんな返そうというのだ。

 とはいえ──ミソギとアッシュは目を見合わせた。何をすればいいかさっぱりだ。まさか一人一人の体をかき集めるわけでもなし。この男二人はけんならめっぽう強いが、いざ予想外のことを言われると結構たじろぐ。

 すんなり受け入れたのはフィリスだけだった。彼女はくくりの表情からすべてを察していた。

「……方法は、わかるのね?」

 くくりは笑顔でうなずく。

「うん。だから、ちょっとだけ手伝ってほしい」

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