第5章 あなたの心のために_その4
〇
久しぶりな気がする本部との直通回線で、フィリスはこちらが出した結論をすべて伝える。
総隊長は黙って聞いていた。話が終わるや、
『何があった?』
通信画面越しでも、総隊長はアッシュの変化に一目で気付いていた。
「久しぶりにぐっすり眠っただけさ。だろう、フィリス?」
「はい。……総隊長。詳しい説明は、任務を無事終えてからで構いませんか?」
その呼び方だけで、総隊長はアッシュに何が起こったのかを察した。重々しく目を閉じ、
『……任務なら既に失敗したようなものだ。最終救済兵装の使用は、上層部より直接下った命令だ。これが天使災害を防ぐための最適解だとな。それを、拒否するというのだな?』
「阻止はするさ。僕がして欲しいのは、少しの支援と、あなたがたった数十時間その上層部をごまかすだけのことだよ。それとも別のエージェントをよこすかい? 今から?」
これほど眉間に
『信じられん……。お前が、作戦に背くとは』
「うるさい男がいてね。仕方がないから、代替案で妥協したってわけ」
総隊長は画面外でPCを操作し、どこかへの指示を出した。かつては現場で銃を握っていた男だが、こうした根回しも得意なことをアッシュは深く承知している。拾いものの殺人鬼をエージェントに仕立て上げたのは誰あろうこの男だ。
『私を恨んでいるか?』
「どうしてそう思う?」
『お前を利用した。その心に付け入り、力だけを磨き上げてな』
「逆に聞くけど、あなたはそれを後悔しているのかい?」
アッシュを見返す男の目は、最初に出会った時と同じく、まったく揺らぐことがない。
『していない。お前の働きによって多くの人々が救われたのは紛れもない事実だ。罪に問われようが誰に呪われようが、私はそれを誇る』
「ならいい。罪なんて今更さ。そんなのはお互い様だろう、『破門者』?」
信仰する「神」の名のもとに、
総隊長が提案を受け入れたことは、そこに確かな勝算を
そして最後に、彼自身の判断でもって、告げる。
『──第Ⅰ種救済兵装の無制限使用を許可する。無事、任務を達成してみせろ』
通信が終わる。
PCを閉じ、静かな時間が戻る。部屋の外は
「……天使を、助けるなんてね」
「アッシュ……」
「『いいの?』と聞きたいんだろう? 天使は姉さんの
思いっきり図星という顔をされた。
フィリスの言いたいことなどお見通しだった。話がここまで進んでいて今更といえば今更だが、どうも彼女はいちいちそういうことを気にする性質らしい。姉とは大違いだ。
「天使は災害みたいなものだ。きっと、それ自体には悪意なんて無いんだろう」
天使は謎だらけだ。アナテマでの活動中、アッシュは閲覧できる限りの資料を
「でも、もし話ができるのなら、一つだけ聞きたいことがあった。いい機会ってことだろう」
「……はい。私も、
その
「実はもう一つ聞きたいことがあって……いえ、あなた自身に言われたので……」
「何」
「お姉さんって、私に似てたんですか?」
「全然。姉さんの方がずっと
「なぁッ」
ころころ変わる表情はまあ、確かに姉には似ても似つかない。打ちひしがれるフィリスを横目に残し、アッシュはわずかに
〇
『駄目じゃ』
「いやいや、待て待て、一回聞け一回聞け」
『ならん。危険すぎる。許可できん』
こっちの上司は一点張りだ。頑固者は承知の上だが、まさかここでNGが出るとは。
『──おぬしもわかっておると思うが、
最初に死んだ時、ミソギは
放置された
次元を
それは、死者の
だが、そうして生まれたものが一つきりだったなどと、誰がどこで保障しただろうか。
同じく
そういう意味では、
「わかってる。だからこそ頼んでるんだ」
沈黙。小さな
『……やはり、危険じゃ。おぬしがハイドのようにやれる保証は無い』
「ぶっつけ本番は得意だ。最初もそうだったろ」
『最悪、おぬし自身が目に
「けど、やらなきゃまた幽界現象が起こる。そうなったら今度こそおしまいだ」
たとえ色んな損得の
「何度でも言うぞ。オレにかけられた、
『…………どうしても、やるのか』
「自分で決めたからな。ここで引いたら、オレは多分、本当の意味で死ぬ気がする」
また、沈黙。──電話の向こうで深い呼吸。
続いて、どすんっ! と重い音と振動が伝わった。何かものすごくでかい判子を書類に
「ありがとな。いつも世話んなる」
『そう思うなら結果を出せ。まだ借金も残っておるでな』
「ああそうそう、それだよそれ。結局あいついくらになるんだ? まだ聞いてねえぞ」
そちらに関しても、試算はとっくに終わっているようだった。
『──ハイドは
「ごじゅ」
絶句。指折り数える。五十億といえばこの十年で必死に稼いだのとほぼ同額だ。今後の活動資金をかなり大きめに差し引いても、一気に完済まで近付くではないか。
「五十……億。ふふ、ふふふふ……」
『おい、額面は言うたが欲を張るなよ。相応の相手ということぞ。聞いておるのか?』
「わかってるよ。ありがとな
話はまとまった。終わった後の
『それとな。ハイドの本名が、わかった』
「マジか?」
『
ミソギは少し考えた。気になると言えば気にはなる。
だが少し笑って、きっぱり断った。
「あいつは『ハイド』だ。それでいい」
どこの何者だろうと同じだ。死神ミソギの仕事は、魂を取り立てることだけだから。
返答を聞いて
「……うっし。やるか」
右目に炎を宿し、ミソギは大きく肩を回した。
〇
ホテル・ブギーは完全防備だった。支配人もスタッフも失った抜け殻には、
「はぁ~~~……にしても、天使ねぇ……」
最上階のラウンジで、
天井いっぱいに広がる大きな翼は、やわらかい金の
「その翼には触れない方がいい」
「うわっと。こりゃ失礼」
いつの間にかハイドが戻っていた。彼は計画の最終段階を実行するため、都合のいい場所を探して
天使こそ幽界現象の鍵だと、ハイドは言う。
「しかし、よく人の皮を
ハイドは
「……天使の翼は、体のどこかが変質し、あることに特化した器官として体外に露出したものだ。どこの器官かは個体によって違う。こいつの場合は、肺ということになる」
「肺? ──てこたぁ、これ全部が内臓!? うげげ……!」
「天使とは、翼から連想された自然発生的な通称に過ぎない。実態はそういう形態の、そういう生命体というだけのことだ」
開いた口が塞がらない。「生き物」ならば、
「……どうしてそこまで詳しいんで?」
「研究した」
ハイドは淡々と「実験」の経過を観察する。
このラウンジには今、彼ら以外に何人もの
眠っている
すぅうっ────
────はぁぁっ。
光り輝く呼気となって、排出された。
「……!」
「これが、
カプセルを取り出し、ひと呼吸ほどの分量を密閉する。これを適量で希釈するだけで、百人からの
「まさか……
「正確には少し違う。
少女は、生きて動くモノの「魂」を嗅ぐ。その純度と質を直感的に察知し、最終的には吸収してしまい、純粋な生命エネルギーへと変換して翼から放出するのだ。
その
向かい、取り込まれ、同化しろ。あの翼へ──と。
「こいつ自身も中毒症状だったのは、己の力を制御できていなかったからだ。だが今は違う」
ハイドは手を伸ばし、眠り続ける
「魂を吸収すればするだけ、翼の力は増幅される。一度に吸い取る魂の量と範囲が広がり、吐き出す風で
「……それで、どうなります?」
「血の満月は、現世が最も冥界に近付く夜。覚醒した『第六の天使』の呼吸は、あちら側の魂も吸い寄せるほどになる」
ただ淡々と、ベルトコンベアの操作手順を説明するように、ハイド。
次元を超えて、地獄の
「合わせて、俺がこの目を開き、地獄への道を通じさせる」
いかに地獄と
いわば、たっぷりのダムに開いた小さな穴だった。
「──それが始まりだ。等しく混ざり合った、平穏な死の世界が来る」
「ん……ぅ……」
と、目を開く。
「どうした。何を泣いている」
「……ともだちが、死んじゃったから」
ミソギたちのことだ。
彼女は自分が何をしたか覚えておらず、あの二人を死んだものと記憶している。
「……そうか。悲しいか?」
「かなしいよ。だって仲良くなれたのに。……優しい、とうめいなにおいのするひとだった」
ざわめく大きな翼に触れ、ハイドは静かに語りかける。
「誰もが死ぬ。それは当然のことだ。遅かれ早かれ、みな同じになる」
くん──と、
「……おなじにおいがする。あなたも、優しいひと?」
「優しいさ。この世はすべてがそうあるべきだ」
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