第26話 椎名

 教室に入ると、まりこは既に椅子に腰掛けていた。


「まりこってば! 昨日はどうしたの? 心配したんだよ? 」


「ごめん! 椎名より先にクラブに誘われて、外出してて気づかなかったの!許して〜」


 あれだけ外出を控えると言っていたまりこなのに。危機感が薄いのか子犬のような甘えた顔で詫びてくる。返信がこないことはこれまでにも何度かあったが、だいたいそういうときは高良あいな達が一緒で、私とは連絡が取りづらい雰囲気の時に限るのだ。


「えー、そうなの? いーなぁ、私んちラインでも言ったけど昨日お父さんいなくてフリーだったのにぃ」


「そうだったね! ほんとごめんー、また誘うからさ、許して〜」


 高良あいな達がいる場には私も行きたくはないが、まりこを取られた気がしてついつい意地悪を言いたくなる私。


「んー、まあいっか。じゃあ、絶対だよ! 」


「なに? 今日はなんかいやに優しい感じ? 椎名ちゃん」


「えへへ、じつはまりこんちにいかなかったかわりに、お母さんと女子会してさ! なんか結構お母さんも、若いんだなーって思ったよ! 」


「へー、どうして? 最近の流行りとか、詳しいし、なんか大人目線のアドバイスとか、結構ためになったりさ」


「おー、じゃあ今度私も混ぜてよ、女子会! クラブに誘うのと交換条件で」


「ちょっと何で上から目線なの〜? それじゃあ釣り合わないじゃーん! 」


「まあ、いいよ。きっとまりこがいたほうが面白いと思うし、それにねー」


「それに? 」


「これ、買ってくれるって言われてさ! 」


「え! それ今手に入らない限定のやつじゃん! どうやって? 」


「なんか、高校の時の友達が今ここで働いてるらしくて、そのつてで」


「ほー! ずるー、しかもお揃い! なんか、お母さんと並んで歩いたら姉妹かとまちがえられちゃうかもね! 」


「それ、ありえるかも〜、うらやましー!親が綺麗っていいよねぇ」


「まりこの親も綺麗でしょ? 」


「ぜーんぜん。昔は凄かったっぽいこと言うけど、いまはただのおばさんだよ。ああはなりたくない、自分の親ながらに……女子はいつまでも女子でないとね! 」


「昔の栄光を語るおばさんって、痛いよね〜」


「ちょっと、ほんとのことでもそこまで言う? あーもークラブ誘うのやーめたー」


「えー嘘、嘘! じゃあお母さんとお揃いで買ったらさ、まりこに貸してあげるから、二人おソロでクラブにいくのはどう? 」


「いいねえ、それってかなり目立つやつ! 」




「そう言えば、例のストーカーどうなったの? 」

「あー、クラブから戻ったらやっぱり手紙あった」

「うそ?! もう警察いったら? 」

「んー、親に迷惑かけたくないから」

「でもなにかあってからじゃ遅いよ! 」

「けどさぁ。お父さん法律詳しいんでしょ? 弁護士なんだもんね? 」

「そうだけど。私、親孝行娘なんで」

「えー、それってただのファザコンじゃないの? 」

「なにー、言うねぇ。いざとなったら椎名の家に駆け込むよ。頼もしい先輩いるもんね」

「お母さんのこと? いないのにゴマ擦っても仕方ないよ! 」

「けど、おかーさんも昔ストーカー被害にあったことあるって聞いたことあるなぁ……」

「じゃあ。今日ちょっと相談してみようかな」

「そうだよ、兄のカメラもあるし、椎名家で撃退してあげる! 」

「ありがとう。椎名は優しい人だね」


 私はまりこが心配で、一度は断られたがまりこのアパートのドア前までついていく事にした。玄関ドアに面した通路に上がってくると、まりこの部屋のドアノブに何やら袋がぶら下がっているのが目に止まった。


 妙な胸騒ぎに自然と無言で顔を見合わせた私達は、恐る恐るドアへと近づいた。


 無地の紙袋の中には黒いビニール袋に包まれた“何か”があった。


「まりこ! 見るのやめよう、このまま捨てよ? 危ないものかも」


「いや……大丈夫だから」


 責任感にも似た感情で、この事件にオチをつけようとまりこは袋を手にその場にしゃがみ込んだ。そして、ビニールの開け口をそっと開けると……。


「なに、これ……血がついてる」

「血!? 怪我したの!? 」


 私も慌てて真理子の横に並んでビニル袋の中を注視した。


 しかし、わたしの予想は外れ、中には何かの生き物らしいものが血まみれで詰め込まれていた。


「……猫。猫の子猫の死骸よ。しかも、これ、一匹じゃない。いち……に……7匹の子猫だわ。へその緒もついたままみたい」


「……ひっ──」


 思わず息がつまる。このようなおぞましいことができるのはもはや普通の人間の感覚ではないとさえ思える。真理子に対する執着心が、このような狂気を産んだのか。これは紛れもなく嫌がらせであるし、まりこへの警告である。ストーカーの犯行に違いなかった。


「こんなのありえない……。母猫の腹を引き裂いたんだわ。……嘘でしょ、こんな……こんな……」


 まりこの顔は見る見るうちに青ざめていく。口元を押さえて、今にも嘔吐しそうな息遣いに、目からは涙かこぼれ落ちていた。


「まりこ! 泣かないでまりこ。これ、しゃれになんないよ……! こんなこと、許せない! ここは危ないよ、一度うちにきて! 」


「……うん……! 」


 心神喪失しかねているまりこに代わって、私は袋を手に持った。

 後々のために取っておくべきだと判断したからだ。

 何とかまりこの手を引いて、私の自宅へ急いで向かった。


「あら、まりこちゃんいらっしゃい。どうしたの、泣いてるの? 何かあったの? さとみ、説明して」


「実はね、これがまりこの玄関に……」


 私は黙って袋を母に突き出した。正直、こんなおぞましいものを手に持っているだけで指先から悪寒が走っているのだから。


 一刻も早く何処かへやってほしいとさえ思っていたのだから。


 何も知らずに袋を手に、覗き込む母。瞬時に表情が強張るのがわかった。私は件の重大さを理解させるには、やはり言葉よりも現物を見せる方が効果抜群だな、と思った。


「こんなのどうしたの?! だれがやったの? 」

「わからない、ずっと変な奴に狙われて

て。だいたい誰かやったかは予想はついてるんだけど」

「そうなの? 両親には? 」

 静かにうつむいたまま首を横に振るまりこ。

「そう……。でも、もう黙っている場合じゃないんじゃない? ……だけど、そうなると、困ったわね……」


 動揺を隠しきれず狼狽えるお母さんを前に、私はやっと例の件を告げることができると思い至った。


「あのね、兄ちゃんの部屋に、実はちょっと前に仕込んでおいたカメラがあるの。ストーカー特定の証拠になると思って準備しておいた奴が。……で、お母さん。怖いから一緒にみてくれない? 」


「いつの間にそんなことになってるの? あれほど自分たちだけで解決するなんて考えないようにって言っていたのに……!……いいわ、わかった。今、健太郎を呼んでくるわね」



 普段、自室から滅多に姿を表わすことがない兄が、久方ぶりにダイニングのテーブル席に着いた。一通り事のあらましを説明したあたりで、兄の顔色も大分悪くなってしまったが、母が猫の遺体を取り敢えず、裏の勝手口から外に置いておいてくれたのを知ってからはようやく落ち着きを取り戻してくれた。


 ノートパソコンをテーブルに置き、動画を再生し始める兄。24時間監視だったがために、しきりに再生バーをスクロールして異変がないかを確認している。


「一応ちょくちょく肉眼でも確認はしていたからなぁ。その点、録画の方のチェックが甘かったのかもしれない。おかしいなぁ……どのタイミングでこんなこと……」


 動画をいじりながらブツブツ言う兄。女子高生アイドルに入れ込んでいると言うことを今更思い出して、やっぱりオタクっぽいな、と感じる喋り口調。


「あ、こいつだ! 」


 兄が声を張った。私たちは一斉にノートパソコンを覗き込んだ。


「完全に隣の男で間違いないわ……。カメラにもはっきり写ってる」


 まりこがやっと声を出した。


「もう警察にこれを見せて、対応してもらうべきよ」


 母の言葉に、私はこう答える。


「だけど、警察は嫌なんだって、親にバレるから」


「バレるって何も悪いことしてないでしょ

? 隠すことなんてないのよ、あなたに非はないんだから」


 確かにそうなのだけれど。なぜ親にストーカー被害を知らせることを頑なに拒むのか、まりこ以外の私たちには全く意味がわからなかった。


 そんな空気を感じ取ったのか、まりこは顔を少し俯かせると、渋々こう続けた。


「……この録画を、全部親に見せることになってしまうから」


 ここでようやく理解した。まりこは、親に心配をおかける事を懸念していた訳ではなかったのだった。


 兄が総括して、口を開いた。


「……この動画にある、この日。この車で外出したこと、親は知らないんだね? 」


「あなた、親の言いつけを守れなかったことを叱られるのが怖いの? ストーカーに襲われることのほうがきっとご両親はもっと嫌なはずよ。それとも、何がまずいことが他にあるとでもいうの? 」


 お母さんが重ねて問い詰める。


「それは……別に……」

「ねえ、待って、この車」


 母が何かに気がついたようだった。


「え? なに? 」

「この日、お父さん帰ってこなかったわよね。この車、お父さんのと同じよ? 」


 お母さんは訝しげな顔で、困惑したように自分の口元を隠した。


「え、偶然……だね。けどこの車って、あんまりない車種なんだよね。お父さん変に車こだわってるくらいだもん。そんな簡単に近くにいるもん? 」


 私がまりこの顔を見ても、まりこは1ミリも表情を変えない。


「……いいえ、ありえないわ」

「──え? 」


 お母さんの言葉に一同は沈黙。


「……まりこちゃん、これはどういうことか説明できるかしら? 」


 緊張の糸が切れた瞬間だった。


 まりこは立ち上がりざまに、早口でまくし立て始めた。


「だって! 椎名はお母さんと仲良しで

、あんなに優しいお父さんがいて、私はいつも家族に気を使ってばかりで、ひとりぼっち! ストーカーには狙われるし、怖いし寂しいし惨めな気持ちが耐えられなかったのよ! だから、偶然だったけど、椎名のお父さんが私と会ってくれるっていったから、怖かったから助けてもらっただけなの! 他に方法はなかったんだもん! 」


「そんな理由がまかり通るとでも思っているの? 二人でどこへ出かけたの? 遅い時間に未成年者を連れまわすことは、法律でも禁止されていることなのよ? あなたならそれくらいわかるでしょ? 」

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