第22話 真相1

「谷風君……」

 下駄箱へ向かう途中、薬師寺さんに肩を貸して保健室まで連れて行っている葛城さんと鉢合わせした。

 肩を貸している葛城さんと、肩を借りている薬師寺さん。

 二人の距離は限りなくゼロなはずなのに、今二人はすごく離れた場所にいるようにすら感じる。

 おまけに薬師寺さんは肩を貸してもらっているとはいえ、一歩ごとに痛めた足が地面に着くのでそのたびに痛がっていた。

 僕は薬師寺さんの足に巻かれたテーピングにちらりと目をやる。

 巻き方が甘いし、上手く関節を固定できていないから足首がふらふら動いて、そのたびに痛めた靭帯に負担がかかっている感じだ。

 僕の視線を見て、葛城さんは少し相好を崩した。

「その、一緒について行ってもらえないかな? わたしひとりじゃきつくなってきたし、それに谷風君ならテーピングとか手当慣れてたし」

「純子…… こんなやつ役に立つしぃ?」

 薬師寺さんが僕の方を見た。試合中は躍動感にあふれていた彼女が、痛みに顔をしかめて肩を貸してもらっているのはすごく痛々しくて。

 なぜか、見ているだけで心が痛んだ。

「こんな奴じゃないよ。テーピングほんとにすごかったんだから!

 葛城さんが僕のことをかばってくれるけど、薬師寺さんの反応の方が普通だろう。僕は見た目も学校内の地位も大したことがない。学外で多大な成績を上げているわけでもない。

 でも。

 話しながらも、さっきより詳細に彼女の足を観察する。

 時間が経って、試合中よりも足首が腫れあがっているのがわかる。触るだけでも痛そうだ。

 スプレーで冷やしてテーピングはしてあるけれど、巻き方が上手くないせいか足首関節の固定ができていない。

 テーピングは足首を固定して、怪我をした部位に負担がかからないようにするのが目的だ。あれじゃテーピングの意味がない。

 実際、今こうしているときでさえ薬師寺さんは痛がっている。

 これから病院に行くときも、あんな顔をするのだろうか。

 そう思うと、放っておけなくなる。

お母さんが看護師だからか、ずっと怪我や病気の人を看る話を聞かされてきた。

山で足をひねって、きつい思いをしてからは方法も自分なりに勉強して、実践した。お母さんの足元にも及ばないけれど今は捻挫、打ち身、切り傷、擦り傷くらいなら自分で応急処置している。

消毒液を安易に使うと皮膚の細胞が死んでかえって治癒が遅れるから、まずは念入りに水で洗い流す方法が最近広まっているのも知った。

薬師寺さんと目が合う。以前教室で僕にお節介気味に声をかけてきたのは、何のためだったのだろう。

陣馬山に行った後、彼女との会話を打ち切ったことがある。あれ以降積極的に絡んでくることはなくなったけど、僕に対してどう思ったのだろう。

僕がやろうとしていることはお節介かもしれない。

薬師寺さんは軽く僕を睨んでいる。別にしてもらわなくてもいい、ウザい、って感じだ。

またイライラした感じがよみがえってきて、薬師寺さんを見捨ててこの場から立ち去りたくなった。

彼女たちに背中を向ける。

同時に、背後から彼女たちの気配。葛城さんの助けを求める顔が脳裏に浮かび、後ろ髪を引かれるような感じがした。

その瞬間、昔いじめられていた時の記憶もフラッシュバックしてきた。

友達だと思っていた子が自分に対して背を向けたこと、痛くて苦しいときに何もしてくれなかったこと。

助けてくれると期待していた人が自分を見捨てたこと。

あの時の痛みが、胸の奥によみがえってくる。

あんな人間にはなりたくない、そんな思いがふつふつと湧き上がる。

自分にできることが少しでもあるのなら。

僕は魔法使いでも医者でもない。捻挫を治すことなんてできない。

でも。

痛みを軽くするくらいなら、できる。

僕は振り返り、痛みに顔をしかめている薬師寺さんの目をまっすぐ見て言った。

「以前校舎裏で、阿久津先輩から助けてもらった借りがあったよね?」

「そういえばそんなこともあったしぃ」

 薬師寺さんは気にもしていない様子だ。

「それを返すよ」

もうほとんどの生徒が帰ったし、ガラス越しにも人影はない。階段の上からも下からも話し声はしない。人に見られたらまずいけど、今なら大丈夫だろう。

そう思い、葛城さんと反対の肩を貸した。女子と密着するとドキドキするかと思ったけど、薬師寺さんに至っては全然そんなことはない。

「な、なにするしぃ」

「いいから、保健室行くよ」

それから葛城さんと二人で、薬師寺さんを保健室へ連れていく。



 保健室の先生は用事があるのか、保健室には誰もいなかった。

そのまま薬師寺さんに白いベッドに腰掛けてもらう。

「まずテーピングを巻きなおすね」

「余計なことすんなしぃ」

「薫。黙って任せてみるといいよ」

 ゆるく巻かれていたテーピングをいったんほどくと、薬師寺さんは顔をしかめた。

「ごめん。でもすぐに楽になる」

 それから、捻挫した右足を台に乗せて固定する。これでかなり巻きやすくなる。一人の時は、山にある石とかで代用していた。

 それから保健室にあった幅広のテープ、キネシオテープで足首を八の字に固定し、包帯を巻いていく。

 絞めすぎないように、かつ隙間ができないように薬師寺さんの足首に合わせて巻いていく。

 はじめは訝しげに顔を歪めていた薬師寺さんだったが、テーピングも中盤に差し掛かったところで僕を見る目が変わっていた。

「は~…… すごいしぃ。純子の治療したのも、伊達じゃないしぃ」

 包帯を巻き終わったら先端を固定し、完了だ。

「大丈夫だと思うけど、軽く動かしてみて」

「だ、大丈夫かな、だしぃ」

 薬師寺さんは恐る恐るといった風に足首を動かす。

「あれ? さっきまでと全然違うしぃ」

 足首を軽く左右に振る動きで拍子抜けしたようで、さらに上下に揺さぶるように動かした。

 さらには軽く床に打ち付ける動作まで行っている。

「すごい、すごい、すごいしぃ!」

 薬師寺さんはさっきまでの不信感露わの表情はどこへやら、ほとんど崇拝するかのように目を輝かせて僕を見つめていた。

「いや、練習すれば薬師寺さんだってできると思うよ」

 これは謙遜でもない。実際、看護師さんなら大体できるわけだし。

 でも、僕をバカにした目で見ることが多かった彼女にそんな顔をさせられたことで。

ささやかな満足を得ると同時に、ほんの少し復讐心が満たされた。

 


「……」

「……」

 薬師寺さんの治療が終わり、保健室には葛城さんと薬師寺さん、そしておまけの僕が残される。

 だけどお互いに口を開く気配がない。

 言いたいことはたくさんあるのに遠慮やわだかまりがあって言えない。というか空気を読んでお互いに何も言わないっていう感じだ。

 僕なら、相手の方から話し始めることを期待して自分からは何も言わないだろう。

 でも二人は違った。

 僕ができないことを、しようとしないことを、二人はやってみせた。

「純子…… 今日は大活躍だったしぃ」

 ベッドに腰掛けた薬師寺さんがシニカルな口調でそう言った。

「そんなことない。薫の方が大活躍だったじゃない。前半のリードは薫のお陰だよ」

 でも薬師寺さんは、褒められたのに目を鋭くして葛城さんを睨みつけた。

「きれいごと言うなしぃ!」

「チームを盛り上げたのだって、怪我した足で一回は相手のキャプテンに一泡吹かせたのだって、みんなあんたの方が褒められたしぃ。あんたはいつも、それだしぃ」

「私がいくら頑張ったって、私の上に行くしぃ」

 堰を切ったように、薬師寺さんは言葉を止めない。

「協力して三年に勝った時だって! 私もあんたに協力したのに、あんたはキャプテンで私は副キャプテン。あっつーだってキャプテンになったあんたのことを気にし始めて、私のこと気に掛けること少なくなって」

 それは阿久津先輩が浮気性だからではないだろうか、今までさんざん阿久津先輩に絡まれた恨みからそう突っ込みたくなったけどぐっとこらえた。

「挙句の果てにはデート中にまであんたのことを言い出す始末だしぃ! 今日の試合だって途中から私よりあんたを見て。あんたなんかいなくなればいいんだしぃ!」

「この試合で大活躍すれば、あっつ~だって、私のこと…… 見直してくれるかもしれないって。それだけじゃきっと無理だけど、きっかけくらいになるかもしれない、そう思ったしぃ」

 薬師寺さんが、なぜ阿久津先輩に惚れているのかはわからない。

 でも彼女の阿久津先輩への思いが本気だということだけは伝わってくる。同時に、同じくらい葛城さんが憎いということも。

「それでそんな無茶したの?」

 葛城さんは呆れたようにつぶやく。阿久津先輩に辟易している彼女だし、その反応は当然のことかもしれない。

 でも恋人をけなされたと感じたのか、薬師寺さんはさらに激高した。

「私にとっては大事なことだしぃ! それに、私と一緒に練習してくれた子たちのためにも、負けられなかったしぃ」

 そのせいか?

 以前練習をのぞいた時、薬師寺さんのチームの方が全体的なプレーの精度がいいように感じたのは。

 部活時間以外にも、自分たちで必死に特訓していたおかげなのだろう。

「でもあんたも練習してたしぃ。あのパスの精度、長く見学してただけの奴のものじゃないしぃ」

 薬師寺さんはそう言って葛城さんの手元を見る。その声音には憎しみとか嫉妬だけじゃなく。尊敬の念も混じっているのが、感じられた。

 高尾山でも、葛城さんはバスケのボールを操る練習を行っていた。

 その成果が、素人の僕よりも薬師寺さんははっきりとわかるのだろう。

「まあ、それなりにはね。わたしだってキャプテンだから、下手なところは見せられないなって」

「あんたのそういうところ、私大嫌いだしぃ。あっつ~もそんなところに惹かれるのかもって、ずっと妬ましかったしぃ。だから」

 今度は僕に視線を向けた。小馬鹿にしたような、憎々しいような、人間を下に見るような、そんな視線。


「あんたにカレシができれば、あっつ~もあんたのこと諦めるかもしれないって、そう思ったしぃ。だから色々協力してやろうとしたのに、全然進展ないしぃ」


 高尾山から帰った後、妙に絡んでくると思ったけどそれが目的だったのか。

 バスケの試合を見て彼女に対する見方がだいぶ変わったのを感じていた。

でも今のセリフを聞いた途端、薬師寺さんに対する感情が冷めていくのを感じた。

高尾山から帰ってきてからの薬師寺さんの不可解な行動にも納得がいった。

 僕と葛城さんをくっつけるために、あんなお節介をしてきたのか。

 高尾山で僕と会った時に気を使ったような対応をしたのも、僕を油断させるための演技だったということか。

 こいつも僕のことを影で笑うタイプだ。よく考えてみればすぐわかることだった。

 外見と学校で話すときのへらへらした態度からも、それは明白だったはず。

 なのに。

 阿久津先輩に脅されて、びびっていたから付け込まれてしまった。

 彼女を恨むより、自分のバカさ加減に怒りを覚えた。

 そこまで考えて、ふと葛城さんの反応が気になって横目で彼女を見る。

「彼氏って…… 別にそんな仲じゃないから」

 葛城さんのその言葉に嘘は感じられない。ただ本当のことを言っただけだろう。

 それなのに、なぜか少しだけがっかりしている自分がいた。

 でも直後、そんな自分を恥じる。そんな簡単に人を信じるから裏切られるのだ。

 でもSNSで晒されていた時に助けてくれた彼女を疑うのも嫌だった。

 信じたい気持ちとそれを否定する気持ち。両方がぐっちゃになって、わけがわからなくなる。

 だから気分を切り替えるために、強引に話題を変えた。

「そんなことより、さっき言ってた『三年に勝った』って…… 一体、何のこと?」

「もうだいぶ知られちゃったし…… 谷風君には話しておくね」



「わたしたちが一年の時に入部した時、バスケ部はひどい状態だったんだ」

 葛城さんと薬師寺さんはゆっくりと、何があったのか語り始めた。

「うちら新入部員はひどいいじめというか、しごきを受けてたしぃ。掃除と球拾いばっかで、碌に練習させてもらえなかったしぃ。でもそれが部の伝統だからって、顧問に言っても取り合ってもらえなかったしぃ。というか、男子バスケ部が関東大会いけそうで、結局いけなかったけど、そっちにかかり切りだったこともあったかもだしぃ」

「それにえこひいきもひどかったんだ。先輩が好きな子は練習させてもらえたり、優しくしてもらえたけどそうじゃない子はひどい扱い。わたしはひどい扱いの方かな。薫もそう」

 その時のことを思い出したのか、薬師寺さんは顔を歪めた。ギャルが顔を歪めると正直怖い。

「あいつら、へたくそだから中学からやっててバスケ上手い私たち妬んでたしぃ。というか、高校から初めて、一年の時球拾いしかやってなかったら下手いの当たり前だしぃ」

 一昔前の練習方法では普通だったらしいけど。存外そんなものなんだろうか?

「そんなふうにしごかれても、バスケは好きだったから。休みの日とかにみんなで集まって練習したりしてた。学校でやって先輩に見つかるといろいろ言われるし、しごきのネタにされるし」

 聞けば聞くほど屑だな、そいつら。

「何度もやめようって、そう思ったしぃ。実際、しごきがひどい子はかなりやめていったし、逆に先輩からえこひいきされる子もいづらくなってやめていったしぃ」

「一年の夏に三年の先輩が引退して、少しはほっとしたんだ。しごきをする人たちの数が少なくなったから」

「でも、状況は変わらなかったしぃ。それどころか、三年にへつらってた二年がさらにひどいことし始めたしぃ」

「そんなんでもう我慢できなくなって、いっそ全員でやめようかって一年みんなで集まったんだよね」

「その時のことはよく覚えてるしぃ」

 薬師寺さんが葛城さんを睨みつける。


「純子がその時にリーダーになったのが、始まりだしぃ」

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