一章12 『三倍満の一撃』

 和了(あが)られた……。

 つうっと背筋に冷や汗を流して見やったのは、麻燐の方。

 彼女は十三枚の牌を横薙ぎにし、それに合わせて牌が倒れていった。


 露(あら)わになる、手の内。


 それを見た一瞬、息が止まった。


 チューワン二枚の雀頭(ジャントウ)、筒子(ピンズ)の1が三枚の刻子(コーズ)と、1~3の順子(シュンツ)、索子(ソーズ)の7~9、俺の捨てた白と手牌の二枚。


 ドラはチューピン、さらに宙に表示されたのは裏ドラだろう――中だった。


 ドラは表示されている牌によって、数牌(シュウパイ)なら次の、字牌なら特定の牌を持ったまま上がった時、点数が加算される。

 三元牌は發⇒中⇒白の順でドラになる。つまり中が表示された時、白がドラだ。


「立直(リーチ)、役牌白、混然帯么九(ホンチャンタイヤオチュウ)、ドラ4、裏ドラ3。三倍満、36000点。」

 淡々と麻燐の声で紡がれる役の内訳に、頭の中が空っぽになっていく。


 36000点。

 滅茶苦茶高めだ。

 普通、4麻の初期得点は25000点。3倍満なんて食らったら、マイナス11000点になって一発で飛ぶ。


 ゴォオオオ……。

 強風のような音がして、上がり牌の上に白い光が集まりだす。

 ――何が起きてるんだ?


 わからないが、眼前の光から空気が震える感じがする。空間が軋みを上げているるような響き。

 眩しい――目が眩んでいく。


「逃げなさいっ、九十九ぉおおおおおッ!」

 柚衣の必死な声。

 だけど脚が動かない。


 ゆっくりと泡のように感情が湧いてくる。

 九種九牌の呪いが解かれて、打ったはずなのに。

 結果は一局目で敗北、か。


 もはや悔しさを通り越して、笑いさえ出てくる。


 麻雀は運の要素が絡むゲームだ。どれだけ上手い人でも、ツキがなければ初心者にだって負けることがある。


 だけど。

 俺はその運事態、生まれた時から持っていないのだから。

 そもそも麻雀をやる資格さえ、なかったのかもしれないなあ……。


 光はあっという間に大きな球体となり。

 それが一際眩しく輝いた瞬間。

 そこから一条のぶっとい光線が俺の方に向かって放たれた。

 通過した後の地が爆(は)ぜ、割れていく。

 焦げ臭いにおいがする。空気が……焼けている?

 耳の奥で金属音が聞こえる。いや、どこで鳴っているかは定かではない。とにかくそれは酷く聴覚を苛んでいた。


 スローモーションの世界にいるかのように、全てが認知できる。

 なのに体が動かない。脳との繋がりを断線されてしまったかもしれない。


 迫ってくる光線を呆然と眺めていた。

 このまま俺は死ぬのだろうか?

 ……まあ、それでもいいかもしれない。

 こんな九種九牌の運命を背負って生きるより、いっそのこと死んで生まれ変わった方が、楽しい麻雀を打てるんじゃないだろうか。

 堅実的だな、と考えている自分が少しおかしかった。


 それに麻燐に――あの可愛い美少女に殺されるのだ。悪くない。


 最後に思い切り麻雀を打つこともできたのだ、悔いはない。


 未来を受け入れ、俺は手を広げた。命を投げ打つ……いや、投げ捨てる覚悟はできた。

 後はもう、死を待つだけだ。


 ふいに眼前に、白く柔らかいものが現れた。

 これはマシュマロ、じゃなくて……。

 ああ、そうだ。麻燐の式神のはずだ。

 かなりデカい。そう言えばアイツ、捕まってる時にコイツに助けてもらって、窮地を脱してたっけ。


 もしかして、コイツ……。俺を庇おうとしてるのか?

 と考えた刹那。

 式神は光線を食らい、眼前は真っ白になり。

 俺は意識を失った。


 その直前、紅い髪の女性――柚衣の後ろ姿を見た気がした。


   ●


 甘い香りがする。

 花の匂いだろうか……、嗅いでいると心が落ち着いてくる。

 柔らかくて、温かい。心地よい重み。蒲団(ふとん)とは違う。もっと弾力のある、何かだ。

 湿った、生温かい空気が顔にかかっている。

 正確には、唇……か?


 瞼が重たい。何かに縫い付けられているかのように。もう一度意識がまどろみに溶けていきそうになる。

 だが濡れた感触を唇に感じ、意識は釣り上げられた魚のように水面まで戻ってきた。


 ……なんだこれ?

 思わず口を開いてしまう。


「……んと、口を開いたら、あたしがこれを飲んで……」

 声がした。多分、麻燐のものだろうなとぼやけた意識で思った。

 さらさらという、粉粒が擦れる音。どうもこれを聞いてると鼓膜がくすぐったくなる。

「ほひて、ほれをふひうふひひて」

 何かを口に含んでいるんだろうか。変なしゃべり方になってて、よく聞き取れない。


 熱が近づいてくる。

 優しい温かさ。春の陽光を包み込んだような、ほんわかした感じの。

 この穏やかな熱気を受けていると、それだけで幸福になれる。


 そして柔らかな弾力、直接的な温もり。じんわりとしみこんでくるような。

「はぁ、ふぅ……」

 ……呼吸音。すごく間近からの。

 甘ったるい声も聞こえる。


 なんかドキドキする。胸から心臓が飛び出そうだ。

「ふぇったい、ふぇったい……今はおひないでよね」


 なんか理解できた。多分、『絶対、絶対、今は起きないでよね』だろう。

 一体コイツ、何をしようとしてるんだ?

 さっきまで重たかった瞼が、今はいつも通り空気よりも軽くなっている。


 俺は目を開いた。


 途端。


「んっ――」


 ぷちゅりと、何かが唇に触れて。

 頬を指先で撫でられるように、包まれた。

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