一章10 『嫌な予感』

 ツモってきたのは白(ハク)だった。

 手牌はもはや字牌(ツーパイ)と筒子(ピンズ)の二枚以外は全て索子(ソーズ)ですでに染めがほぼ確定している。川には一枚もないし、取っておく価値はあるだろう。


 セオリー通りならここは、筒子を捨てるべきだ。

 しかしせっかく三重の發という、捨て牌の効果を三倍にする技が発動しているのだ。防御系の筒子を使うのはもったいない。

 ここはやはり、南の牌で攻めに出るべきだろう。役牌(やくはい)を捨てるのはもったいないが、すでに川に一枚出ているし、二枚目が来るとも限らない。


 俺は黎明を振るい、南の牌を断ち切った。


 途端、右側で明刻子(ミンコーツ)として表示されていた三枚の發が光りだし、俺を取り巻いていた緑の帯が呼応するように輝き出した。

 帯は宙に表示された南の牌を取り巻き、字の中へ吸い込まれていく。

 途端、黒き毛筆の字が緑色に染まる。


 麻燐が南の牌を捨てた時のように、地面から突如水の壁が発生。

 一枚じゃない、二枚、三枚と間髪置かずに続く。


 それ等は他家(ターチャ)に向かって押し寄せていく。


「わっ、ヤバイっすよ親分!」

「南牌の津波、しかもかなりえげつない魔力っすよ!」

「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら、とっとと防御結界を張るでごわすッ!」

「アイアイサー!」


 山賊達は慌てて青く光る半透明な壁を出現させる。

 それは津波の三連撃を食らい、あっけなく壊れる。


「や、やっぱむりっすよごぼごぼぐぽぉ!」

「き、気合が足りないでごわごぷっ、ごぷぷッ!」

「ぐおっぽごぽぽ、ごぷうごぽぽ!」


 真上から波に叩きつけられた割には、まだ喚くぐらいの余裕がありそうだった。


 柚衣はというと。

「やれやれ、功夫(クンフー)が足りませんね貴様等は」

 光円を二重の巨大な壁になるよう再展開し、さらに山賊達と同じような青い結界を張る。だがその結界からはさっきのものとは違い、微かに燐光が発生していた。


 三重の津波は光円を破壊し、さらに結界にのしかかる。

 しかしヒビは入れど、壊れはしなかった。


「……なるほど、威力はあったようですね。光円がなければ、危うかったかもしれません」

「二枚でほぼ防いだってことは、サンピン以上だったら……」

「ふっ、無論です」

 涼しい顔で髪を掻き分ける柚衣。……直接やり合わずに済んでよかったと思ってしまう。


「それよりも、問題はお嬢ですね」

 彼女が指差すのに促され、見やった途端。


「なっ……!?」

 思わず絶句してしまった。

 麻燐は一歩も動いてすらおらず、結界も張っていない。

 しかしまったく濡れておらず、平然としていた。


「な、なんで……!?」

「腕を振るって、周囲に風を起こしていました。その風で波を避けたのでしょう」

「だ、だけど……、牌三枚分の攻撃だったんだろッ!? それも、かなり強力な……」

 俺の心境と同様に、柚衣も表情に若干の焦りを滲ませている。

「私もまさか、お嬢の力がこれほどとは思っていませんでした」

「じゃっ、じゃあ、どうするんだよ!?」


 柚衣は俺の目を真っ直ぐに見据えてきて、硬い声で言った。

「今のお嬢には東風戦で底尽きる程度の体力しかないはずです。それまでなんとか持ちこたえましょう」

「その前に、俺達がくたばるんじゃないか……?」

「やるしかないんです」

 そう言われては、「ああ」と首肯(しゅこう)するしかなかった。




 それから俺達はどうにか麻燐の攻撃をしのぎ切って試合を進めた。

しかし九巡目、麻燐は牌を爪で断ち切り――

「立直(リーチ)」

 テンパイを宣言してきた。


 立直とは、テンパイした時にそれを他家に宣言することである。

 立直をかけることでそのプレイヤーは上がり牌が来るまでツモ切りと暗槓(アンカン)以外できなくなる。その代わり、和了(ホーラ)した時に一翻(イーファン)の役がつき、なおかつ裏ドラをめくることができる。


立直しないでダマテンのまま上がり牌を待つこともできる。

 この場合、立直時に比べて基本的には点数が低くなるが、相手にテンパイしたことが悟られないため上がり牌を捨ててもらえる可能性が高くなる。


 親の立直――しかも麻燐からである。

 稲光に打たれたがごとき衝撃が、俺達を襲う。

「まっ、マズイっすよ、親分……!」

「りっ、りっ、立直って……」

「ええいっ、ごたごたぬかすなでごわすッ! オラ達がここから先に上がればいいだけの話でごわす!!」

「で、でも……」

 今度ばかりは子分も不安を拭いきれないようだった。


 一方、柚衣はというと例の麻眼で麻燐を見やっていた。

 無だった表情が、一瞬の内に強張る。

「……まさか、な」

 完全にはわからなかったようだが、イヤな予感がしたらしい。

 まさか高めの手を作っていたのだろうか……。

急に手がヒヤリとした。ポケットに突っ込み、手汗をハンカチにこすりつける。


 麻燐の捨て牌は一列目に南、サンソウ、中、ローピン、パーワン、チーソウ。

 二列目にツーピン、パーピン。最後に今捨てたパーワンだ。

 そのパーワンで麻燐は火球を八つ出現させ柚衣に放っていたが、それは七巡目に俺から鳴いた、5~7の筒子の順子(シュンツ)で作った十八枚の光円で防いでいた。


 俺の手牌は筒子の2と9、イーソウ3枚、パーソウとチューソウ2枚、そして白だ。

 思ったように索子が来なくて、俺の手牌は停滞していた。代わりに筒子が山のように来てこっちで染めればよかったと後悔しかけている。

 俺の手牌に安牌は一切なく、チーピンが三枚、パーピンが二枚川にあるからチューピンは捨てられるかな、というぐらいだ。ただそのチューピン自体が一枚も捨てられていないから両面(リャンメン)やシャンポン待ちの可能性はあるが……。


 次に回ってきたツモはチューピンだった。

 これでチューピンとイーソウの刻子(コーツ)とパーソウとチューソウの対子(トイツ)ができた。

 安全牌はほぼない、ならば上がりを狙いに行くしかない。

となればリャンピンか白を切るべきだ。


 染めの可能性を残して、ここはリャンピンを捨てておこう。


 一巡前にスーピン、三巡前にウーピンを捨てていたため、今は十一枚の光円が俺を守っている。大抵の攻撃は防げるはずだ。

 柚衣は十枚、山賊も十四枚。皆、守りはがっちりと固めている。

 一撃でもまともにもらえば、重傷は免れない攻撃だからな……。おそらく俺以外のヤツの手牌には筒子は残っていないんじゃないだろうか。萬子(マンズ)と索子で埋まっていそうな気がする。


 柚衣は次の捨て牌でサンソウを選んだ。

 索子は上空から剣を降らせる、物理攻撃の技だ。光円に強く、麻燐の前に残っていた一枚の光円を簡単に砕き、そのまま本人を狙いに行く。


 しかし麻燐はその剣を容易く爪ではじき返した。

 光円だけは簡単に破壊できる。しかし本人にはまるで攻撃が届かない。

 おそらく麻燐が光円にまったく力を込めていないのだ。攻撃に使用する牌以外には興味がないのだろう。


 山賊達は「どうするっす?「安牌を……」「いいや、まだ下りないでごわす!」と相談した末に、ウーソウを捨てた。

 サンソウとチーソウが麻燐の手牌から捨てられており、彼等自身の捨てたリャンソウ二枚が鳴かれていないから、まあ準安全牌ではある。ただ会話の流れからして、危険牌も平気で切りそうで不安だ。

 もっとも、安全牌ゼロの俺が言えたことではないが。


 誰かが一枚捨てるごとに、場の空気が張り詰めたものになっていく。

 ……じわじわと何かが胸の奥を侵食するように広がっていく。

 冷や汗が背中を覆いつくそうとしていた。

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