一章3 『一難去ってまた一難』
現れた式神は右手に円形の盾を、左手に両刃の剣を持ち、俺の前で臨戦態勢を取る。
「ま、まだそんな力を……」
「隠し玉ってのはね、ギリギリまで取っておくものなのよ」
男達は予想外の展開を目の当たりにしたためか、少したじろぐ。
リーダー格らしき男は、肩を怒らせて彼等を鼓舞する。
「ええいっ、怯むな怯むな! たかが式神ごとき、牌を何枚か捨てりゃどうとでもなるだろうがッ!」
その叱咤撃励(しったげきれい)に、男達はまだややへっぴり腰ながらも、戦意は取り戻したようだった。
ちょうどその時、少しばかり距離が離れているだろう場所から「お嬢ぉッ!?」と声が上がった。
男達は身を竦(すく)ませ、布を染めたがごとく顔を青くしていく。
「やっ、ヤバいですぜ、親分!」
「アイツの従者共が、来やがったんだ!」
「さすがに十人も二十人いちゃ、相手にならんですぜ……!」
親分と呼ばれた男は、声のした方と少女を見比べた後、男達に言った。
「ええいっ、退却だ退却! 牌を倒すでごわす!!」
「へ、へい! ……うぎゃおっ!?」
男達が一斉に牌を倒すと、見えない何かに突き飛ばされたかのように、男達の体吹っ飛んでもんどりを打ち、地面やら周囲の木々の幹に体を叩きつけられていた。すさまじい勢いで一人なんかぴくりとも動かなくなっていた。
「た、大変だ! コイツ、気絶してやがらあ!!」
「チクショウ、受け身ぐらい取れってんだ!」
「チッ……。お前さん等でソイツは運べ!」
「「い、イエッサー!」」
男達は気絶したヤツを両脇から抱えて、親分の後を追って走り去っていた。滅茶苦茶早くてあっという間にその背は見えなくなった。
と同時に、式神が煙となり、真っ二つになった紙が宙を漂った。
「くっ……、はぁ、はぁ」
少女の苦しそうな呼吸音。
振り返って見やると、彼女は顔中にびっしりと汗をかいて肩で息をしていた。
「……大丈夫そうじゃ、なさそうだな」
「へ、平気よ。ちょっと力を使いすぎただけで……」
「もう敵はいないんだから、気を張る必要はないだろ?」
「別に気を張ってなんか――」
その時、大勢の足音が聞こえてきた。
「お嬢、お嬢ーっ! どこですかーっ!?」
どんどん近づいてくる。
ようやく助かる、そう思ってほっと胸を撫で下ろした時。
少女の手が、俺のズボンをぐいぐいと引っ張った。
なんだろうと見やると、少女の表情は依然として深刻な色を浮かべていた。
「負ぶって」
声音からは切羽詰まった響きを感じた。
俺は疑問を抱きながらも、その命令に従う。
畳んだ黎明をポケットに突っ込み、少女の体を背負う。
温もりと羽毛をつめこんだかのような体重を感じる。
「お前、軽すぎないか? 飯とかちゃんと食って――」
「いいから。走って」
「あの呼び声の方にか?」
「バカ、逆よ逆」
「……アイツ等ってお前の従者なんじゃないのか?」
「事情は後で話すからっ、早く!」
わけがわからなかったが、もしも少女の敵であれば、一緒にいる俺も危険にさらされることになる。
「一難去ってまた一難かよ」
舌打ちを一つして、俺は走り出した。
足場に注意しながらだからあまり速くは走れなかったが、次第に声は遠ざかっていった。上手く逃げ切ることができたようだ。
しばらく進んだところで、森が途切れ、目の前にごつごつとした岩肌の高い壁が現れた。
そこは銃を乱射したかのごとく、いくつも穴があった。
「なあ、少し休んでいいか?」
「そうね。大分距離も離せたようだし、休んでいきましょう」
俺は洞窟の一つに入り、適当な場所に少女を下ろした。
彼女は一つふうと息を吐き、足を擦った。
「痛むのか?」
「少しね……」
「見せてみろ」
少女の靴を脱がし、袴みたいなスカートを少し持ち上げて痛むらしい場所を見やった。
赤く腫れている。炎症だ。
「痛み以外には、何かあるか?」
「少し……、熱っぽいかも」
「……そうか」
俺はポケットからものを取り出し、所持品を点検した。
スマホが一つ、ハンカチにティッシュ、なぜか皺だらけのビニール袋が一枚。
それからTシャツの上に冷房対策に着ていた長袖シャツ。
「後は患部を冷やせるものがあればいいんだが」
心当たりはあった。
さっきここに来るまでに、小川があったはずだ。
それを袋に詰めて持ってくれば、冷却用として使うことができるだろう。
俺は袋を手に立ち上がり、少女に言った。
「ちょっと出てくる」
「えっ……と?」
少女の表情が不安そうなものになる。さっきまであんなに強気だったくせに、とちょっとおかしくなる。俺は彼女の頭を軽く撫でて言ってやる。
「大丈夫だ、すぐに戻ってくる」
「そ、そう。まあ、当然よね。あんたみたいな無知が一人でのこのこ歩いてたら、すぐに野垂れ死ぬに決まってるもの」
急に元気になった少女を、俺は鼻で笑った。
「お互い様だろ?」
「……まあ、今はね」
彼女は唇を尖らせてそっぽを向く。
「あと、これはお前が持ってろ」
俺はポケットから黎明を取り出し、少女の前に差し出した。
「……わたしが?」
「おいおい、これは元々お前のものだろ?」
「そうだけど……。でもあんた、これから外に行くんでしょ? さっきの男達だってまだこの辺りにいるかもしれないし……」
「ちょっと近くの小川に行ってくるだけだって」
少女はしばし黎明を見つめた後に、それをやんわり押し戻してきた。
「いいえ。これはやっぱり、あんたが持っておくべきよ」
「いや、だから……」
「あたしが持ってけって言ったら、持ってくのッ! いい!?」
「……お、おう」
剣幕に押されて、俺は思わずうなずいてしまった。
「ったく。本当、あんたって人のことばっかり。少しは自分の身のことも考えなさいよ」
「……すまん。だけど、動けないお前を一人にするのは……」
「いざとなったら、式神とか使ってどうにかするわよ。まだ予備は残ってるんだから」
「でもあれ、結構体力使うんだろ?」
「体力じゃないわよ。呪力(チョウリー)よ、呪力」
「どっちだっていいけどさ。さっきだって結構しんどそうだったじゃないか」
「しんどくないわよ。ただちょっと気温が高いから、熱くて喉が渇いたなーってぐらいで」
「……喉が渇いた、か」
脱水症状の可能性も思い当たる。
なおのこと、水が必要だ。
少女を連れて行くことも考えたが、いざ敵と鉢合わせた時、いくら軽いとはいえ彼女を負ぶったまま逃げるのはいささか困難な気がした。
「……やっぱり、俺一人が行った方がリスクヘッジできるか」
「りすく……何よそれ?」
「いや、なんでもない」
小川とこの洞窟の距離を頭の中に思い浮かべる。
行って水を汲んで、返ってくる。所要時間は大体二分程度だろうか。
短時間ではあるが、完全に大丈夫だという保証はない。
そういう状況下でリスクを冒す危険性は、雀士なら誰でも知っていることである。
だが現状、行動を起こさないことにはどうしようもない。
俺は結論を出し、少女に言った。
「何かあったら大声で俺の名前を呼ぶんだ」
「……聞こえるの?」
「さあな」
「さあなって……」
白い目を向けられるが、俺は構わず続ける。
「大声を出すのは、立派な護身術でもあるんだぞ? 相手を怯ませたりな」
「鬨(とき)の声みたいなもの?」
「それとはまた意味合いが……違うのかどうか知らんが。まあとにかく、俺に聞こえるにせよ聞こえないにせよ、時間稼ぎにはなるだろう」
「ふんっ、そんな上手くいくかどうかわからない方法に頼るより、呪術で戦ってやるわ」
「……変に相手を刺激するのは、あまり感心しないが」
「何もしないで捕まるよりよっぽどマシよ」
「はあ……。まあ、一理あるな」
ここで無駄話をしているより、さっさと用事を済ませてきた方がいいだろう。
そう思って俺が「じゃあ、行ってくるよ」と歩き出そうとした時だった。
急にシャツが背中から引かれる感じがした。
何かに引っかかったかと見やると、少女がつまんでいた。
「……なんだ?」
彼女は少しまごついていたが、やがて耳まで真っ赤にして言った。
「あ、あの。訊きたいことがあるんだけど――」
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