4-4 さっそく味見をお願いしてもいいですかっ!

 気を取り直し、料理教室を再開する。

 今のでコツを掴んだ八瑛ちゃんは、比較的あっさりと目玉焼きをマスターした。


 そうして、開始から約二時間が経過し――


「で、できました……!」

「うんうん、かなりいい感じだと思う!」

「泉先輩っ泉先輩っ、さっそく味見をお願いしてもいいですかっ!」


 食べやすい大きさに切り分けた玉子焼きを、八瑛ちゃんがテーブルまで運んでくる。

 形はかなりいびつで、おまけに焦げてもいるが、今までの中ではいちばん玉子焼きに近づいたんじゃないかと思う。


 だけど俺、こんなに卵ばっかり食べて大丈夫なんだろうか……と密かにコレステロールの心配をしていた、そんなときだった。


「ただいまぁ〜」


 玄関のほうから、若干の気怠さを帯びた声が聞こえてきた。


「八瑛ちゃ〜ん? なんか靴多いけど、お客さん?」


 そっとダイニングに顔を覗かせた樹里は、俺と目が合うとどこか安堵したような表情を浮かべた。


「なんだ、泉ちゃんか」

「なんだとはなんだ」


 樹里はセーラー服姿だった。この時間まで部活だったんだろう。

 しかしこうして見ると、本当に中学生だったんだなぁ、と今さらながら実感が湧く。こんな年下の子相手に俺は……いや、もう忘れよう。


「ぷっ……泉ちゃん……っ」


 澄夏が俺に背を向け笑いを堪えているが無視する。


「うわ、なにこれ……。玉子……焼き?」


 テーブルの上に広げられた大量の玉子焼きに、軽く引いている様子の樹里。


「あぁ、正真正銘玉子焼きだ。ぜんぶ八瑛ちゃんの手作りだぞ」

「え、八瑛ちゃんが!? 嘘!?」

「そんなに驚かなくてもいいでしょ? ね、いま泉先輩に味見してもらってるんだけど、樹里ちゃんも味見してくれる?」

「えー……なんか変なの入ってないよね? ママレモンはレモン果汁じゃないからね?」


 ひどい言われようだ。


「樹里ちゃんの中の私はどうなってるのっ」

「漫画のキャラじゃあるまいし、食品と洗剤を間違えるわけないだろ」


 俺は言った。


「そのとおりです先輩っ! もっと言ってやってください!」

「あぁ。そうだな、八瑛ちゃんが間違えるのは、せいぜいレタスとサニ――」

「きゃぁぁぁぁ!! あーあぁーっ!! あーあーあーあーっ!!」


 八瑛ちゃんは突然甲高い悲鳴をあげ、大声を出しながら俺の口を塞いでくる。


「言わないって約束したじゃないですかぁ! 指切りまでしたのにぃ〜〜っ!!」

「はは、冗談だ」

「ぜんっぜん冗談になってないです!! 私が止めなかったら絶対最後まで言ってましたよね!?」


 それはそう。


「なんかよくわかんないけど、仲いいよね〜八瑛ちゃんと泉ちゃん」

「ぷぷっ……泉ちゃん……っ」


 澄夏はいつまでツボってるんだ。


「ていうかさっきから気になってたんだけど、そっちの人誰?」


 樹里が澄夏に視線を向ける。


「八瑛ちゃんの料理の先生だ」


 注目されていることに気づいた澄夏は、小さく咳払いして樹里に向き直った。


「えっと、八瑛ちゃんの妹さんだよね。はじめまして。私は大野澄夏、八瑛ちゃんとは同じ部活で――」

「あー知ってる、部長さんでしょ。八瑛ちゃんから聞いてるよ。コーユー部だっけ?」

「うん、一応私も泉と一緒に、八瑛ちゃんの恋を応援――」

「てかほんとに部長? な〜んか聞いてた話と違って頼りなさそ〜。まぁ美人は美人だけど、恋愛経験は乏しそうな雰囲気だよね。なんだろ、喩えるなら、顔だけで面接受かった受付嬢みたいな感じ?」


 どんな喩えだ。


「あはは……」


 困ったように苦笑する澄夏。

 しかし、俺に対してだけじゃなくて、同性でいかにも無害そうな澄夏にまでこんな態度なんだな。確か、このモードじゃないと人見知りしちゃうんだっけか。難儀な性格だ。


「ちょっと樹里ちゃんっ! だめでしょっ、年上の人にそんな態度!」

「あたしのことは樹里って呼んで。ちゃん付けしなくていいから。あたしも遠慮なく、親しみをこめて『澄ちゃん』って呼ばせてもらうから♪」

「う、うん……」

「樹里ちゃんっ!」


 すっかり樹里のペースだ。そして当然のように無視されている八瑛ちゃん。完全にナメられている。


「あ、それとも部長だから『ぶーちゃん』のほうがいいかな? ねぇ、どう思うぶーちゃん?」

「……ねぇ泉、私、この子ちょっと怖いかも……」

「いや、これで意外と可愛いとこあるんだよ」

「そうなの?」

「あぁ。そうだ、澄夏も今のうちにLINE交換しといたほうがいいぞ。そうすると後から、しおらしいメッセむごごっ」


 無言で近寄ってきた樹里に口を塞がれる。


「泉ちゃん? あんまり余計なこと言うと、あたしも“あのこと”バラしちゃうからね?」

「“もごむご”?」

「中学生のあたしの身体に、欲じょむごごもっ!」


 俺は素早く樹里の口を塞いだ。


「むごごもごもごっ!!」

「むご、もごごごむごごごっ!」

「なんかよくわかんないけど、仲いいんだねぇ二人とも」

「あの……そろそろ味見を……」


 そうだった。こんなことしてても仕方ない。

 俺は樹里を引き剥がすと、プラスチック製のカラフルな爪楊枝が刺さった玉子焼きに手を伸ばした。


「どうですか、泉先輩?」

「うん、うまいな。80点」

「高評価っ!」


 見た目はあまりよくないが、味付けは澄夏の指示どおりなので問題なくおいしい。ほんのりと甘い、優しい味だ。


「樹里ちゃんは?」


 樹里もなんだかんだ言いつつ、特に躊躇もせずかじりついている。


「うーん……50点」

「中評価っ!」

「味は悪くないけど、見た目がスライムみたいでキモいからマイナス50点」

「うぅっ……けっこううまくできたと思ったのに……」

「大丈夫、まだ時間はあるんだから。もう一回チャレンジしてみよ?」

「はい、先生……」


 どうやら、味見はまだ続くらしい……。

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