2-2 予行演習、ですか?

 二人は同時に顔をあげ、真剣な眼差しを俺に向けた。


「ほんとですか、浦芝先輩?」

「ほんとなの、泉?」


「ああ。自分で言うのもなんだが、俺はリア充――いや、今は彼女がいないから、厳密にはリア充とは呼べないか。とはいえ、恋愛強者ではあるからな。アドバイスくらいならできる」


 八瑛ちゃんの表情が一瞬でぱあっと明るくなった。


 澄夏は半分安堵、半分「そんなこと言っちゃっていいの? 大丈夫?」とでも言いたげな、微妙な顔をしていた。俺が彼女いない歴=年齢非リア充だという真実を、澄夏にハッキリと言ったことはなかったはずだけど……やっぱりそういうのって、一緒にいると伝わっちゃうものなのかなぁ?


「浦芝先輩っ!」

「お、おう」

「ご指導ご鞭撻のほど……よろしくお願いします」

「あ、ああ……」


 さて、困った。

 どうしたもんかな……。


 じっと黙りこむ俺を、八瑛ちゃんは期待のこもった眼差しで見あげてくる。

 そんな顔を見せられては、もはや腹を決めるほかあるまい。

 ええい、ままよ!


「いいか、八瑛ちゃん?」


 俺は口を開いた。己のアドリブ力だけを信じて。


「リア充になるためにいちばん大事なこと……それは“順序”だ」

「順序……ですか?」

「ああ。物事には順序ってものがある。片思いの相手にいきなり告白しても、成功する可能性は低い……と思う」

「なるほど……それは確かに、そうかもしれません……」


 よし。順調な滑り出しだ。


「つまり、順を追って距離を縮めていくことがなにより重要なんだ。そこで逆に訊くが、そのためにはまず、なにから始めればいいと思う?」

「えっ、えっと……」


 八瑛ちゃんが思案しているあいだに、俺も思案する。


「……友達になる? ……とかですか?」

「正解だ。まずは友達から始めませんか、とかよく言うだろ?」


 ……言うよね?


「つまり、まずは泰記と友達になるところから――」

「無理です」

「……えっ?」


 八瑛ちゃんは、真顔だった。真顔でじっと俺の目を見ていた。


「八瑛ちゃん?」


 不審に思ったのだろう、澄夏が呼びかけるも、八瑛ちゃんはピクリとも反応しない。


「無理って、なんで?」

「だって、だって。それってつまり、長谷川先輩と友達になる、ということですよね?」

「つまりもなにも、そう言ってるんだが……」

「だったらそんなの、無理です……。だって、友達になるには仲良くなる必要があるわけで、仲良くなるためには先輩とお話、向かいあって顔を見て目を見なくちゃいけなくて、そんなこと私、私っ……」


 俺はようやく気づいた。八瑛ちゃんは別に真顔だったわけじゃない。八瑛ちゃんは、表情をこわばらせていたのだ。おそらくは、自分が泰記と友達になるということを、リアルに思い描いてしまったから。


「よくそれで泰記と付き合おうだなんて思ったな……」


 思わず声に出してしまう。


「ばか泉、言い方があるでしょ」

「あー、悪い八瑛ちゃん、そういうつもりじゃなくて……」

「いえ、浦芝先輩の言うとおりです。自覚はありますから」


 八瑛ちゃんは自嘲気味に笑った。


「ほんと、根性なしですよね、私。妹にもよく言われるんです。八瑛ちゃんは変なところで行動力があるくせに、肝心なところで結局ヘタレなんだから、って」


 へぇ、八瑛ちゃんって妹がいるのか。そして妹にも八瑛ちゃんって呼ばれてるのか。いや、そんなことより。


「だから、俺がいるんだろ?」

「……え」

「いいんだよ、八瑛ちゃんは八瑛ちゃんのままで。新入部員が一人じゃできないことをサポートするのが、先輩部員である俺の役目だからな。どれだけ時間がかかってもいい。できることから一つずつやっていけばいいんだ」


 俺は八瑛ちゃんの目を見つめる。

 ここまできたらもう、とことんまでカッコつけるしかないだろう。


「――八瑛ちゃんの恋が実るその日まで、俺が全力で支えてやる」


「先輩……」

「もちろん、無理強いはしない。俺は八瑛ちゃんの決めたことに従うだけだ」


 八瑛ちゃんの決断は早かった。

 その澄みきった瞳には、強い覚悟が見て取れた。


「やっぱり私……長谷川先輩のこと、諦められないです。だから、先輩。お願いします――私に力を貸してください」


 まっすぐに俺の目を見て、八瑛ちゃんは言った。

 その想いに応えるように、俺も言う。


「ああ、もちろん」


 俺は笑い、つられたように八瑛ちゃんも微笑を浮かべる。


「それで、泉? 具体的にはどうするの? さっきの八瑛ちゃんの反応を見る限り、泰記と友達になろう作戦は一旦白紙に戻して、なにか別の作戦を考えたほうがいいと思うんだけど……」


 澄夏の言い分はもっともだ。だが。


「いや。方針は変えない」


 正確には、変えられない。だってほかの作戦なんて思いつかないから。


「友達から始めよう作戦しかないと、俺は思う」

「……!」


 八瑛ちゃんに緊張が走ったのがわかった。


「安心してくれ、八瑛ちゃん。なにもいきなり泰記と友達になれとは言わない。その前に少し、予行演習をしようと思う」

「……予行演習、ですか?」

「あぁ、俺でな。まずは俺の相手をして自信をつけてから、満を持して泰記との本番に臨む。これならどうだ? やれそうか?」

「……はい。やって、みます。やらせてください」

「そんなに硬くなるなって。俺とは遊び半分でやってくれればいいから」

「はい……」

「なんか泉、言い方がやらしい……えろ泉だ……」


 澄夏が意味のわからない言いがかりをつけてきた。


「はぁ? どこがだよ。おまえがやらしいからそう聞こえるんじゃないのか、えろ澄夏」

「はい? なんで私が――」

「あの、澄夏さん」


 真剣な声に、澄夏も俺も言葉を止めて八瑛ちゃんを見た。


「うん、なぁに八瑛ちゃん?」


 俺や泰記に接するときと違い、澄夏の声色はすこぶる優しげだ。


「すみません、今から少し、浦芝先輩と二人きりにしていただけませんか?」

「えっ、泉と?」

「はい。練習だからこそ、二人きりでやるべきだと思うんです。だって本番は、最後の本番は……きっと二人きりになるはず、だから」


 八瑛ちゃんが泰記に告白する。そんなシーンを、八瑛ちゃんは目をそむけることなく、しっかりと見据えている。


 あぁ――八瑛ちゃんは本気なんだ。本当の本当に、本気なんだ。

 俺は今さらながら、そのことを理解した。


 理解した、瞬間。

 俺の心の奥底に、なにか、とても小さな……得体の知れない感情が、生まれた気がした。


「本当、ごめんなさい。私のわがままに付き合わせてしまってばかりで」

「そんなこと全然気にしなくていいんだよ? 私だってできることは少ないけど、八瑛ちゃんの力になりたいって思ってるんだから。それより、八瑛ちゃんこそいいの? 泉と部室に二人きりだなんて……」

「え? どういうことですか?」

「だって、えろ泉だよ、えろ泉! 私がいなくなった途端になにをしでかすかわかったもんじゃないよ?」

「おい、澄夏。八瑛ちゃんに変なこと吹き込むのやめろって」

「ほらほら、見て八瑛ちゃん。図星を突かれたから焦って話を逸らそうとしてるんだよ、アレ」

「そうなんですか、浦芝先輩?」

「いやいや、八瑛ちゃんも信じるなって!」

「冗談ですよ。浦芝先輩がそんなことする人じゃないって、私、ちゃんとわかってますから」


 ……なんなんだ、これは。

 その小さな感情の塊を、俺は意識せずにはいられない。

 生まれたばかりのそれは、存在を主張するように暴れている。


 八瑛ちゃんが俺に微笑みかけた瞬間、胸の奥が苦しくて熱いような、冷たくて痛いような……そんな不可解な感覚に襲われたのだ。

 だがそれも一瞬のことで、未知の感覚は波が引くように消えていった。


「なんだ、泉ってばちゃっかり八瑛ちゃんの信用、勝ち取ってたんだ。いつのまにそんなイベントが? って感じだけど」

「というか先輩、あの、私先走って勝手に決めちゃいましたけど……いいですか?」

「え……あぁ、もちろんだ。じゃあさっそくだが澄夏、出ていってくれ」


 いつまでも謎の感覚にばかり気を取られてはいられない。俺は気を引き締め、澄夏を扉へ追いやった。


「はいはい。じゃあちょっと早いけど私はお先に帰るから。泉、戸締まりよろしく。八瑛ちゃん、また明日ね〜」

「あ、はい。また……」


 澄夏は部室を出る直前、俺の耳元に顔を寄せた。


「八瑛ちゃんのこと、任せたからね、泉」

「うん。任せておいて」


 小声でそんな言葉を交わして。

 そして部室には、俺と八瑛ちゃんだけが残された。

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