episode 5 初恋? のゆうこちゃん

 幼稚園の年中組になった一歩クン。姉の後を追いかけるようにダウンタウンの有名私立幼稚園に通うことになりました。園の巡回バスではなく、市民が乗り降りする普通の路線バス。男二人とマドンナひとりの正に“路線バスの旅”の様相を呈していました。

 「一歩クン、バス来たよ」

「ダメ。あれは『5番』だから違うよ。僕らが乗るのは『4番』だよ」

まだ、漢字の行き先表示を読めない“年中さんトリオ”にとって、頼りは表示の右端にある数字だけ。「乗るバス停」と「降りるバス停」をピンポイントで覚えているだけというテレビの「はじめてのお使い」そのものでした。でも、見守り役兼務のカメラマンたちがいるはずもなく、偶然出会った市民みなさんの優しさに、何度となく助けられたことでしょう。


 美談は以上で終了。

以下、われらがマドンナの本性が露になります。

 ある雨上がりの帰り道、幼稚園からいつものバス停に向かう途中で三人を待っていたのは歩道にできた水たまり。幼児にとっては結構な“高いハードル”です。ここで小悪魔が囁きました。

「ねぇ、ねぇ一歩クン。ここ跳び越せる?」

一歩にとって小悪魔の囁きは、天使のお願いに聞えたに違いありません。通学仲間のライバル・Kクンを出し抜くチャンスと思ったのでしょう。一歩の答えはもちろん、Yes。

「当たり前じゃん。跳べるよ」

長靴を履いていたとはいえ、通学用のバッグを肩から斜めに掛けたまま、助走をつけてジャーンプ。タッ、タッ、タッ、タッ…

「バッシャーン!」

数秒後、派手に泥水を跳ね上げて、一歩少年は水たまりの中央に立っていたそうです。びしょ濡れになりながら(以上、ゆうこちゃん談)。


 悲劇はこれだけで幕引きとはなりませんでした。一歩クンは引っ越しと共に幼稚園も“転園”したので、ゆうこちゃんとKクンとは離れ離れになりました。


 しかし、神様は気まぐれです。

あれから10年ー(いよいよ「はじめてのおつかい」です)

高2のクラス替えで一歩は、ゆうこちゃんと同級生になったのです。新学期に廊下に貼り出された名簿の中に、わずかに記憶に残る「S・ゆうこ」の名前。「同姓同名の他人だろう」と思っていましたが、彼女も一歩の名前を覚えていたのでしょう。一歩が帰宅するより前に、家に電話があったようです。彼女の母親から。

「一歩。あなた、ゆうこちゃんと同じクラスなんだって? 早く教えなさいよ、そういうことは。母さん、知らなくて恥ずかしいじゃない。さっき、彼女のお母さんから連絡があったのよ。あんまり久しぶりでビックリしちゃった…(以下、延々)」

「分かったよ。分かったから、もう。母さん、話長いって…。嬉しかったのは分かるけど…」

 いっしょに星を眺めてくれたママはどこへ行ったのだろう、『やれ、やれ』と一歩は思った。

しかし、冒頭の“路線バスの旅”のマドンナ・ゆうこちゃん。その小悪魔の真骨頂はここからだった。

 数日後―。

一歩の「恥ずかしい話」はクラス中に拡散していたのである。男友達に冷やかされる。

「一歩。お前、水たまりに落ちたんだって」

(おいおい、いつの話してんだよ~、コラッ!)

「ゆうこ、お前~、バラしたなぁ」

「だって、口止めされてないし。それに10年も前の話なんだから…」

思春期の男は傷つきやすいのである。この時ほど、ゆうこの“弱み”を握っていなかったことを後悔したことのなかった一歩であった。


※ 今回は個人的に「R-15」指定と判断しましたので、ルビは省略しました。

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