第8話 きょうちゃんと私

 足音や暴れる音が激しく聞こえる2階に、急いで上に行く。きょうちゃんの部屋をバーンと開けると、今度はひょろひょろな男の人にきょうちゃんがおそわれていた。

「クーくん!」

「おう! 任せちょんまげ!」

 思いっきりバトンを振ってクーくんに指示を出す。するとクーくんのパンチで思いっきり男が吹き飛ばされ、きょうちゃんの机の上に強く打ち付けられた。そのダメージが大きかったのか、しゅぅううと男が消えた。

「うぅ……」

「きょうちゃん! きょうちゃん、大丈夫!?」

 顔を真っ青にしたきょうちゃんはペタリと女の子座りをして、震えながら男が消えた場所を見ていた。

 やがて、きょうちゃんの大きな目からポロポロと涙があふれた。私は胸がキュウと痛くなって、きょうちゃんを抱きしめた。

「大丈夫だよ、きょうちゃん。助けに来たよ」

 男勝りなきょうちゃんが弱々しく泣いている。力いっぱい抱きしめてもきょうちゃんの震えは止まらなかった。

「これは悪い夢だよ、夢は終わるんだ。大丈夫」

 きょうちゃんの涙で私の肩が濡れていく。なんでいつもきょうちゃんばっかりこんな辛い目に合わなくちゃいけないんだろう。ただ美人なだけなのに。

「あー、あやめ。その子から離れるなよ。まだまだおっさん共はくるみてぇだ」

「え、まだいるの!?」

 ぐへへ、と笑う声が部屋の外から聞こえてくる。窓から見える空もまだまだ不気味な色をしていた。きょうちゃんは今にも暴れて逃げ出しそうだ。でも逃げちゃったとしてもきっと外はおじさんだらけ。おじさんだらけって気持ち悪いな!!

「かすみさん、きょうちゃんのこと、ぎゅってしてて。私はクーくんに指示を出さなきゃ」

「わかったわ! 私も何か力があればいいのだけれど……」

「きょうちゃんを励まして! この夢はきょうちゃんのものだからきょうちゃんが元気になれば多分気持ち悪いおじさんも減ると思う」

「気持ち悪いおじさんが減るっていい方なんだかとても嫌だけど私もできることをするわ」

 廊下にクーくんと出る。私はおじさんたちが部屋に入らないように部屋の扉のすぐそばに立つ。廊下にはまた違うおじさんがオニャノコォとかいいながら向かってきていた。こっわ。きもっ。

「クッ、ここじゃ狭いな……けどやるしかない。とか申!」

「うっわさっむ。今部屋の温度マイナスいったわ」

「残念ながら今、春なんだなぁ!」

 親父ギャグをかましながら、クーくんがおじさんたちに向かっていく。私も沢山バトンを振ってパンチにキックに、どんどんしていくけど、やっぱり数が減らない。それどころか多くなっている気がする。そろそろが、痛くなってきたそのとき、キャァァァー! という叫び声が部屋の中から聞こえた。

「どうしたの!?」

 中に戻ると二人がクローゼットの中から這い出たガリガリなおじさんに襲われていた。クーくんは廊下の真ん中あたりで戦っているし、すぐに駆けつけられそうにない。どうしよう、どうしよう。

 おじさんが二人に飛びかかったその瞬間、ぴかっと部屋が光った。思わず眩しくて目を瞑る。


「ハァァ!」

 その光の中からおじさんが後ろに吹っ飛んで消えた。眩しさが収まると、そこには私達の身長くらいある美しい装飾の施された銀色のスプーンを構えるかすみさんがいた。

「私にもできたわ、アヤメ!」

 自信満々にくるりとスプーンを彼女は回し、手に腰を当てた。

「こりゃたまげた」

「かすみさんもモノノフになったってこと?」

「何これどういうことなの……てか貴方だれ!?」

 突然のことがおきすぎて、きょうちゃんも正気に戻ったらしい。自分を抱きしめていた女の子が全く知らない子だとようやく気づいたみたいだ。

「待って時を戻そう」

「戻す暇はねえな」

「とにかくここじゃ、そのスプーンもクーくんの身体も大きすぎて戦いづらい! 外に出よう」

 どこからともなく敵はどんどん湧いて出てきている。きょうちゃんはすっかり正気に戻っていて、ボウジャのおじさんたちにヒイヒイ言いながらもさっきみたいに叫びだしたりはしない。きょうちゃんは、夢から覚めたのと同じだ。なのに、敵は減らない。

「おそらく、だが。この敵さんたちの本体になっているボウジャがいるはずだ。ソイツを倒せば収まるかもしれない」

「でもこれだけ数がいたら……」

 右にパンチ、左にパンチとクーくんに指示を出しつつ、ひとまず1階まで降り、玄関へと飛び出した。嬉しいことに庭は広かったのでそこで襲いかかるおじさんたちをクーくんとかすみさんがぎ払う。

「これはどういうことなの!? 私、このおじさんたち見たことあるんだけど」

「え、見たことあるの?」

「私を誘拐ゆうかいしたり、声をかけてきたり、しつこく手紙を送ってきたりする人たちによく似てる。その人たちがなんていうか、ゆるキャラ? みたいになった感じ」

 おじさんたちの見た目はリアルだけど、確かにどこか着ぐるみのようにも見える。生身の人間ではなく、あくまでボウジャ、ということか。

「きょうちゃん、この人たち多分、何かのモノからできてるんだよ。心当たりない?」

「モノ?」

 半そで先生のときは婚約指輪こんやくゆびわ。昨日の男の子のときは、小さいランドセル型のお守り。モノについたツクモガミがボウジャになってこんな悪夢を作ったんだから、何かしらあるはず。

 その時きょうちゃんがあ、と声を上げた。

「昔、よくわからない古そうなカメラが家に届いたことがあったよ。壊れてて、写真のデータとかは見れなかったんだけど、ちょうどその頃、私の写真をたくさん撮って送りつけてくる変な人がいたからその人のなんじゃないかってお父さんが言ってたの」

「それ捨てなかったの!?」

「なにか事件が起きたら証拠しょうこになるかもしれないからって、取っといてたんだ」

「それは今どこに?」

「確か家の裏にある倉庫!」

 きょうちゃんが指を指した方向は正しく、おじさんたちが湧き出て来ている方向だ。もしかしたらそのカメラのツクモガミがボウジャになったのかもしれない。

「あやめ! 俺がここで足止めしてるから、そっちの姫さんを連れてその倉庫に向かうんだ」

「姫さんって私のこと!?」

 ぶん、とスプーンを回してかすみさんが私達の前に立つ。確かに金色の髪にふわふわのワンピースをきたかすみさんはお姫様っぽいけども。

「でも、テディベアさんはどうするの。アヤメの指示がないと動けないんではなくて?」

「いや、指示がなくても動けるぜ。ただタイミングがズレて、攻撃力や防御力が落ちるってだけだ」

「うん、クーくんは大丈夫だよ。このくらいで負けたりしない。私達は倉庫に向かおう」

「OK、行きましょう」

 かすみさんはスプーンでおじさんをふっ飛ばし、ニコリと笑う。こわい……。適応力が凄すぎる。なんでこんな当たり前に倒せるの。

 かすみさんはともかく、きょうちゃんはまだ慣れてない。ほぼ半泣きで、必死に耐えているみたいだった。私はきょうちゃんのタコだらけの手をギュッと握る。


「きょうちゃん、私がいるよ」

 いつもきょうちゃんが変な不審者ふしんしゃたちに追い回されて、そのたびに辛そうにしてきたのを私は何もできずに見てきた。一生懸命弓道に打ち込んで、その嫌な出来事を忘れようとしているのを知っている。きょうちゃんの奥底に眠るトラウマ。私がなんとかしてあげたい。こんなおじさんたちからきょうちゃんを守りたい。


「うん、うん。ありがとう、あやめ。私にはあやめがいるんだってこと忘れかけてた。一人じゃないもんね」

 私の手をきょうちゃんは強く握り返した。そして、少しだけ強気に笑った。

「道案内は任せて」

 きょうちゃんの案内で無事に倉庫までたどり着いた。かすみさんのスプーンが大活躍してた。私もバトンを振り回して何度か殴り飛ばしたけど。なんかもうここまで来たら吹っ切れちゃって怖くない。

 最初のクモ女はあんなに怖かったのになぁ。倉庫の目の前にはおじさんは現れなかった。その代わりになんだか倉庫からハァハァと変な声がする。ラスボスの予感。きょうちゃんが曇りガラスのついた扉に手をかけた。私とかすみさんはそれぞれ武器を構えて、こくりとうなずく。冷や汗か、普通の汗かよくわからないけれど、液体が頬を伝った。ガラリ、扉を開ける。ソレと目があった。

『カワイイネェ、カワイイネェ、キョウチャァァァァアン!』

「イヤァ!」

 きょうちゃんが私の後ろに隠れ、耳をふさいで蹲った。

『オトモダチモ、ミンナイッショニ、イイコトシヨウ』

 ぞぞぞ、と背中に寒気さむけが走った。心臓が掴まれたみたいに痛い。

『ホラ、カワイクオシャシントッテアゲヨウネェ』

 おじさんはぬるり、と倉庫から出てきた。巨人のように大きくて、思わず見上げる。その手にはちんまりとしたカメラがあった。そのカメラを覗き込んで、私達に向ける。パシャリ、写真を取られた瞬間、身体が動かなくなった。

「な、なにこれ!」

「身体が動かない!」

 おじさんはニンマリと笑う。ゆっくりゆっくり私達に近づいてくる。動け、動け、動け! おじさんの手が私達に触れる瞬間、バシン、と銀色の光が手を跳ね除けた。それと同時に固まっていた身体がもとに戻る。ぐるぐるとスプーンを回し、かすみさんが私達の前に立った。

「スプーンでギリギリ写らないようにしたの! ちょっと動かなくなったけど、なんとかなったわね!」

「流石、かすみさん!」

「あのカメラにはできるだけ写らないようにしましょう」

 かすみさんはおじさんに向かってスプーンを振りかざして、思いっきり頭を殴る。けどおじさんは、『イタイナァ』とだけ呟いて、首を回した。

『カワイクトッテアゲルネェ』

 おじさんはふぅううう、と深く息を吸い込む。すると、更に大きくなった。カメラの大きさは変わらないみたいで、一生懸命小さいカメラを覗き込んでいる姿が滑稽こっけいだけど。

「みんな写らないようにして!」

 シャッターが切れる直前、きょうちゃんをひっぱって、木の影に隠れる。ぱしゃり、と眩い光があたりを一瞬包んだ。

「うん、動けるね」

「なんだか、だるまさんがころんだみたいじゃない?」

「振り返ったときに姿が見えちゃいけないだるまさんがころんだ?」

「近づいてってあのおじさんからカメラを奪おう」

 おじさんは私達の姿が見えなくなってキョロキョロとあたりを見渡している。きょうちゃんは倉庫を見るとあ、と目を見開いた。

「ねぇねぇ、あそこにさ、弓あるのわかる?」

 よぉく目を凝らすと、倉庫の入り口にある台の上に布に包まれた弓矢と矢筒が見えた。いつもきょうちゃんが使っているのより少し大きそうだ。

「あれね、ひいおじいさまのやつなんだ」

「弓矢一本でクマを倒したっていう?」

 きょうちゃんの一家は昔っから弓の名手。ひいおじいさんはクマを一本の弓で倒したとか人をさら妖怪ようかいを撃ち抜いたとか言われてる。そんなひいおじいさんの弓がすぐそこにあるらしい。

「スキを見てあの弓を取れば、私も、みんなの役に立てるかもしれない」

「でも危ないよ」

「私だけが安全な場所で一人で待機なんて、そんなお伽噺とぎのお姫様みたいなことしたくないよ。あのおじさんたちは私が原因で出てきたみたいだし、自分のとこは自分で蹴りつけなきゃいけないでしょう」

 かっこいいなぁ、きょうちゃんは。いつだってまっすぐで、逃げも隠れもしない。強くてかっこいい、私の大好きなきょうちゃんだ。小さい頃から弱気な私を励ましてくれる。自分のほうがたくさん怖い思いをしてるのにね。

「さぁ、あやめ。行こう!」

 私はまっすぐ反対側の斜め前にある木を見つめた。そこに猛ダッシュすれば写真を取られずにまた隠れることができるだろう。


「Hiya!」

 その時、木陰からかすみさんが飛び出して、おじさんに殴りかかった。私達もそれに合わせて飛び出す。おじさんがカメラを構えた瞬間、木に到着して、また身を隠した。かすみさんもスプーンで身体を覆う。カシャリ、音がしたが、誰も動けなくなっていない。

「次はあそこね!」

 今度は少し背の低い茂み。おじさんは目の前にいるかすみさんを撮ろうとするけど、かすみさんはうまい具合に身体を隠すから悔しそうに、歯ぎしりしている。

「あはは、すり潰してあげますわ!」

 怖い怖い。かすみさんこわ。何あれこっわ。おじさんも若干引いてるよ。かすみさんは本当にありえない状況を飲み込むのが早いらしい。

「彼女が戦ってくれてる間に早く移動しよう」

「そうだね」

 ひたすら、斜め前に走る。おじさんが構える。私達が滑り込む。それをひたすら繰り返し、ついに倉庫まで一歩手前になった。しかし、倉庫とおじさんの前は何も障害物がない。その時ほんのわずかにバトンが光った。

「きょうちゃんは真っ直ぐ倉庫に向かって。私がなんとかする」

「え、でも」

「大丈夫。私を信じて」

 普段弱くてかっこ悪くて内気でダサい、そんな私をいつも守ってくれるきょうちゃんの役に私も立ちたい。かすみさんは戦い続けているけど、体力を消耗しているみたいで、シャッターのフラッシュを防ぐので精いっぱいになってきた。ギュ、とバトンを握る。ほんのわずかに、温かくて、勇気がでる。怖いけど、3日前の私とは違うんだ。大丈夫。


「行くよ、きょうちゃん」

 かすみさんのスプーンがおじさんの脳天のうてん直撃ちょくげきした瞬間、私達は走り出した。

『ミィツケタ』

 かすみさんの攻撃ですこしよろけたけれど、おじさんはすぐに起き上がり、カメラを構える。私は思いっきりきょうちゃんを倉庫へと突き飛ばした。かすみさんは遠くにいるし、私の目の前にはおじさんがいる。震える足を抑えて、にっこり笑った。

「おじさん、私を撮って!」

『エヘヘヘ、イイヨォ!』

 パシャリ。あまりの眩しさに目を瞑る。その瞬間、私の身体はカチン、と動かなくなった。

「あやめ!」

 きょうちゃんの声が聞こえる。あまりにもフラッシュを近くで浴びたせいか、目も開かないし、口も開けない。今すぐ座り込みたいのに、それすらもできなかった。ハァハァとおじさんの荒い息が耳元で響く。私の肩に気持ち悪いぶにぶにした大きい手が当たった。その瞬間、ダダダダという足音と、バンという打撃音だげきおん。ドンガラガッシャン! となにかがふっとばされる音。


「頑張ったな、ご主人サマ」


 モフり、と私の身体が柔らかく包まれた。そこでようやく、私の身体は動くようになって、ぱちぱちと目を開ける。私の身体をギュ、ともこもこの茶色くてまぁるい手が包んでいた。

「クーくん!」

「なかなかかっこよかったぜ、あやめ」

 クーくんもかなり攻撃を受けていたみたいで、ところどころ解れたり、破けたりして綿が出ている。

「帰ったら直して、洗ってあげるね」

「洗濯機でガラガラは勘弁かんべん

 クーくんは私をヒョイ、とお姫様抱っこして、おじさんを睨みつけた。おじさんはブルブルと震えたあと、深呼吸して何かを吸い込むと、更にグン、と大きくなった。

「どうやら、この悪夢に出てくるボウジャを吸い込んで、大きくなってるみたいだな」

「そうなの?」

「あぁ、俺の周りにいたおじさんたちはもう粗方あらかた消えてな。多分このボスに吸収されたんだろう」

 だから、このボスおじさんはどんどん大きくなっているのか。ボスおじさん。略してボスおじ。

「クーくんもおじさん仲間として、仲良くしてあげれば」

「そりゃ無理なお願いだな。布団が吹っ飛んだ、くらいの無理さがある」

『カワイイオンナノコハ、ボクチンノモノォ』

 おじさんは立ち上がると、またもやカメラを構えだした。クーくんは私を後ろに隠してパシャリ、とその身でフラッシュを受けた。それでもひょいひょいと腕を動かす。

「やっぱりなぁ。どうやら、ツクモガミには効かねぇみたいだ」

「だから私のスプーンもきちんと防いでくれているのかしら」

「そうだ。姫さん、まだ動けるか」

「もちろん」

 その答えによろしい、と答えたあと、私をまたお姫様抱っこした。そして、クーくんは私を木の裏に連れて行った。

「姫さんはかなり体力を消耗してる。お前さんの指示でうまくサポートするようにしてくれ」

「頑張る!」

 きょうちゃんは倉庫の中に隠れ、何やら準備しているようだ。それに気づかれないようにクーくんたちに指示を出せばいい。こくり。クーくんがこちらに振り向いて頷いた。うん、大丈夫。できる。きょうちゃんをこんな悪夢から早く出してあげなきゃ。その一心でバトンを振り上げた。

「右、左、上! すれ違って後ろにパンチ!」

「はは、やっぱり気持ちいいな! タイミングが合う」

 うまくクーくんとタイミングが合えば、バトンから鈴のような音がなる。それがなんだか演奏をしているようだった。

「アヤメ、私にも指示を飛ばしなさい!」

「もちろん! クーくん、引きつけて!」

 クルクルとバトンを回す。クーくんが後ろに下がりながらおじさんを引き付ける。

「まだ引きつけて……」

 クルクル、クルクル。ひたすら回し続け、クーくんに浅い攻撃をさせていく。おじさんがバランスを崩したその瞬間、思いっきりバトンを投げた。


「かすみさん!」


 名前を呼ぶと、跳躍したクーくんの下から銀色のスプーンが飛び出した。そのスプーンがおじさんに思いっきりぶつかり、その体を倉庫に打ち付けさせた。倉庫が大きく揺れ、その揺れとともにきょうちゃんが転がり出てきた。

 おじさんはまだクラクラと目を回している。きょうちゃんはスッと表情を引き締めた。

「散々私を怖がらせてくれてどうもありがとう」

 きょうちゃんはおじさんを見据えたあと、体を横に向けた。腰を抑え弓を左膝に置く。右手をピンとはられた弦にかけ、おじさんを睨みつける。ざわりと風が吹いて、弓についた青いリボンを揺らす。静かに両手を上にあげる。赤い弓がキラリと光った。ゆっくりゆっくり、両手を左右に開きながら、弓をおろし、目の前に矢を構えた。

「私はもう貴方達なんて怖くない!」

 バキン!

 静かに放たれた矢に射抜かれたのはおじさんが持っていたカメラだった。その瞬間、おじさんの姿がぼふん、と消え、空が紫から真っ赤に燃える赤に変わっていく。

 見事にカメラを射抜いたきょうちゃんは弓を下ろし、こちらに振り向いて微笑んだ。その時、がた、と膝から崩れ落ち、座り込んだ。

「きょうちゃん!?」

 駆け寄るときょうちゃんは、顔を上げてヘラリと笑った。その笑顔に安心しつつ、ぎゅうと抱きしめる。

「無事でよかったぁ」

「守ってくれてありがとう、あやめ」

 きょうちゃんが私を抱きしめ返す。背中にあるその手は震えてなくてただ温かい。もうすぐ空が完全に晴れる。ボウジャがいたこの悪夢が終わると、他に人たちが目を覚ましてしまう。そのときにクーくんやかすみさんの大きいスプーンを見られたら大変だ。

「えっと、ひとまず、今日転校してきた、香澄・アーリーさんです」

「転校!? 私達のクラスに!?」

「よろしくお願いするわ」

 かすみさんはスプーンを持っていない方の手で、スカートの裾を広げてお姫様のように挨拶をした。それをクーくんはヒュウ、と冷やかす。

「お姫様……かと思ったが、案外荒事あらごとも得意そうだな。ソイツを見る限り」

 ソイツ、とクーくんが指……? いや手? を指した先には銀色の大きなスプーン。持つところはグネグネと蛇が巻き付いているように螺旋状らせんじょうになっていて、食べ物をすくう、さじ根本ねもとには水晶すいしょうがついている。水晶の下に大きな黄色いリボンが結ばれており、かすみさんの髪によく似た色をしている。

「かすみさん、そのスプーンもツクモガミなの?」

 私がそう聞くとかすみさんが首を傾げる。そういえばツクモガミとかそういう話、全然説明してなかった! と慌てた瞬間だった。


『ええ、ワタクシはスプーンのツクモガミ。マスターの敵は、全て私がすり潰して差し上げましょう』

 優しいけれど、なんだか空気が寒くなる。そんな恐ろしさを持った声があたりに響いた。エコーの軽くかかった、聞き取りにくいその声はスプーンから聞こえたようで、全員がバッとそちらを向いた。

「スプーンが喋ったわ……」

『マスター、そんなに驚かれると悲しいです。メソメソ』

 スプーンには表情もないけれど、身体を少しくねらせたり曲げたりすることはできるようで、悲しんでいるフリをしているように見えた。なんていうか嘘泣き?

「私のスプーンが、喋ったわ!! 凄いわ!」

 スプーンにかすみさんが抱きつく。スプーンはふふ、と笑い声をこぼした。

「うーん、でも姿は見えないよ?」

『何を仰っているのですか、ちんちくりん。ワタクシはスプーン。本体をしっかり見ているじゃありませんか。そちらの生まれたばかりの子熊もテディベアとしての姿でしか見えてないでしょう』

「ちんちくりん!?」

「子熊!?」

 ちんちくりんと私のことをそう言ったスプーンはハァとため息をついた。クーくんも子熊だなんて、どう考えても大熊でしょうに。

『ちんちくりんはともかく、そっちのテディベアのツクモガミは、まだツクモガミになったばかりでしょう。ツクモガミ一年目。まだ一歳なわけですよ。ワタクシは、もうツクモガミとしては五十年目。古くから彼女の一族とお付き合いがあります』

「確かに随分昔から代々受け継いできたものだけど……ねぇ、アヤメ、そもそもツクモガミって何かしら」

 その時ふいにきょうちゃんが立ち上がる。いや、きょうちゃんの持っていた弓がグイン、ときょうちゃんを引っ張った。


『ツクモガミっていうのはぁ、皆が物を大切にしてくれて、んで、その物に魂が宿った神様のような妖怪のような存在だよ! オレたちが喋ったりしてるのは主たちがオレたちを大事にしてくれたからってわけ!』

「ゆ、弓が喋ってる……!」

 チャラチャラとした喋り方で急に弓が喋りだした。やっぱりちょっとだけエコーがかかって聞きづらい。なんだか、弓自体は厳かで凛とした佇まいなのに、中身のツクモガミはノリが軽いらしいのは違和感があるや。

『あ、オレはきょうの家に代々伝わる、竹弓でーす! シクヨロ!』

「こっちはなかなかノリが良さそうだな」

「一番真面目そうな弓が、こんな風にチャラい兄ちゃんみたいな感じになってるのありえない」

「シクヨロって何かしら」

『何何、皆チョーテンション低くない? どったの?』

『アナタの登場で、みんなドン引いてるんですよ』

『えー、何それー! オレ傷ついちゃうー!』

 弓はアハハ、と笑う。全く傷ついてなさそう。きょうちゃんはさっきからポカン、と口を開けたまま固まってしまった。

『あれ? きょう、どったのー?』

「ありえないわ!」

 きょうちゃんの大声に弓が少し、ぴょん、と後ろに下がる。『びっくりしたぁ』とクネクネ身体をよじらせた。

 きょうちゃんはキッと弓を睨みつける。

「ひいおじいさまが使ってた弓が、こんなチャラチャラチャラチャラと! 信じられないんだけど!」

 ふん! と鼻を鳴らしてそっぽを向くきょうちゃん。その時私はあることを思い出した。クーくんがツクモガミとして私の前に現れてすぐ。クーくんのことを信じなかったらクーくんがピタリと喋れなくなったのだ。ツクモガミは人が信じて、大切にして上げるからこうやって喋れるようになるらしいから、信じなかったら消えちゃうのだ。

 きょうちゃんは、信じられない、と弓に言ってしまった。弓のツクモガミは大丈夫なのかな、と弓を見つめると、弓はぐるぐる回って、きょうちゃんに飛びついた。

『きょう、ひっどーい! 正真正銘、資隆も使ってたし、その前の宗資も使ってたんだから! まあ、十郎はオレのことしまいこんだけどさぁ!』

 案外弓は、ピンピンしていてそのまま楽しそうに跳ねている。かつての持ち主の名前を沢山出しながらそれはもう楽しそうに。きょうちゃんは唖然として、ため息をついた。

「ちゃんとひいおじいさまの名前もその前の方の名前もわかってるし……」

『認めた? ねぇ認めた?』

「しっつこいなぁ!! 折るよ!」

『それは勘弁〜!』

 弓がひええ、ときょうちゃんから距離を取る。私たちはその怒涛の勢いにポカンとすることしかできない。

 スプーンのツクモガミからは終始ため息が聞こえるし、クーくんは何故かさっきから顔が硬い。

「信じられない、とあれだけ言われてもあそこまで元気だとは……」

「クーくんは私が、信じられないってちょっとでも言うと喋れなくなっちゃうもんね」

『それは、恐らく、ツクモガミになってからの年月の長さによるものでしょう。アナタはツクモガミ一年目の赤ちゃん。ワタクシは五十年目、そっちの方は数百年は過ぎていそうですね』

『もう昔のことなんか覚えてないよ! 新しいこと覚えるので今は精いっぱい! まじ卍!』

 つまり、クーくんは99歳になったからやっとツクモガミになったけど、他の二人は、99+50と99+数百年ってこと? それまでずっと壊れずに大切にされてきたってことか。

「スプーンは壊れにくそうだけど、弓は竹なのによくここまで壊れなかったな」

『まぁね〜那須野なすの一家がきちんと手入れしてくれてたっていうのもあるし、オレが宿りすぎてもう半分この弓自体がアヤカシになってんだよね〜。そうそう簡単には壊れたりしないぞ!』

「クーくんはすぐボロボロになるのにねぇ」

『ま、それはそれ。ツクモガミには確かに大切にされればされるほど強くなるけどさ。今日みたいにボウジャを倒すときに一番強いのはボウジャとモノノフの仲の良さなんだよん! 仲良くなればそこのクマさんみたいにもっと話しやすくなるしね!』


 仲の良さ、とかなんだかよくわからないけれど、クーくんの声ははっきり聞こえるのに、確かに弓とスプーンの声はエコーがかかっているみたいで聞きづらい。

「ボウジャ? モノノフ?」

「なんで今更、ひいおじいさまの弓がこうしてチャラチャラしたツクモガミになったのかとかいろいろ説明がほしいよ、あやめ」

「おっと、お嬢さん方、説明したいのはやまやまだが、そろそろ完全に元の世界に戻るぞ。それと、かなり日も落ちてきているし、今日のところは解散にしよう」

 毒々しい紫はいつの間にか消えていて、すっかり元通りの茜色あかねいろだ。街の人たちの声とかも聞こえ始めた。

『マスター、ワタクシはもとの大きさに戻ります。今まで通り、食事ではワタクシを使ってくださいね』

 スプーンがペコリと頭を下げる。すると、ぐんぐんと縮んでいき、すっかりもとの大きさに戻った。

「え、ちょっと待ちなさいよ。ハァ、すっかり元のスプーンに戻っちゃったわ」

「その状態で話ができたりとかはできないの?」

 かすみさんはスプーンに話しかけたり、ブンブン振ったりするけど、反応なし。声も聞こえてこなければ、スプーンが曲がることもない。クーくんとはいつものぬいぐるみの状態でも喋れるのに。


『多分ねー、まだかすみちゃんとスプーンくんが仲良くなりきれてないからだと思うよん。オレの声も正直聞き取りづらいっしょ。もっとオレときょうが以心伝心し合えば、声も聞こえやすくなって、この弓の姿だけじゃなくてツクモガミとしての姿も見せられると思うし』

「弓とかスプーンが本当の姿じゃないの?」

『うーん、これはあくまでもオレの本体の姿。ツクモガミは神様だからね。人としての形も持っているんだよ』

「クーくんもあるの?」

「うっ……あるにはあるが……」

『まだツクモガミ1年目だから難しーかも?』

 なるほど、ツクモガミにもいろいろ事情があるらしい。クーくんの人間の姿みたいな。やっぱりおっさんなのかな。お酒に酔いつぶれやすそうなおっさん。声低いし、オヤジギャグすごいもん。

『それじゃ、オレも戻るけど! きょう、また事件に巻き込まれたとき、オレがいなかったらヤバイっしょ? ボウジャたちがきょうを狙って、この家で暴れたみたいにいつどこで暴れられるかわかんないからさ、できるだけオレをそばに置いといてね! 身体小さくするから! そんじゃ、まったねー!』

 弓は一気にペラペラと喋ると、ひゅん、と身体を縮めた。弓も矢もどっちもリコーダーくらいのサイズになった。きょうちゃんはそれを手に取るとはぁぁ、とため息をつく。

「何がなんだか全然わかんないわ」

「本当にね……ツクモガミとかボウジャとかわけわかんないわよ。アヤメ、明日説明してもらうわよ」

 二人とも運動会のあとみたいにどっと疲れた顔をしている。すこし嬉しそうだけど。なんだかんだ自分の大切なモノとお話できるって魔法みたいで楽しいんだよね。

 私はバトンを赤いリボンに直し、クーくんの首に巻きつける。なんだか私もすっごく疲れてしまった。

「ま、皆早く家に帰って休むんだな。それじゃあ俺も元の姿に戻るよ。ところで、お前さんたち、明日学校は休みじゃないか?」

 そうだ、明日は土曜日。二人共うへぇ、という顔をした。休みは嬉しいけど、説明を早く聞きたいようで、月曜日に聞く、なんてことにはならなかった。


「んじゃ、あやめの家集合……」

「おばあちゃんに言っておくね」

「かすみさんはどうする? あやめの家わからないよね?」

「あ、でも公園わかるよね、あのさっき通った」

「わかるわ。それじゃあそこに9時に行くから、迎えに来てくれるかしら」

「決まり。私がかすみさんを迎えに行って、あやめの家行くわ」

 それじゃあまた明日ーと帰ろうとしたその時、倉庫のそばに壊れたカメラが置いてあるのに気がついた。あのまま放っておくのもなんだか気味が悪い。

「そうだ、明日、萩生はぎゅう神社に行きましょう。そこで供養くようしてもらうの」

 カメラは神社でどうにかしてもらうとして。とにかく私達は一刻も早く休みたかったから、挨拶もそこそこに家に帰ったのだった。



 かすみさんと変える途中、ちょうど5時のチャイムがなった。本当なら家についていなきゃいけない時間だ。私達より少し小さい小学生の子たちが早く帰らなきゃ、と走り始めた。そのうちの一人が、他の子たちに話しかける。

「なぁ知ってる!? 5時過ぎてずっと遊んでる子供がいると、髪の長ぁい巫女さんが髪の長い人形を持って、追いかけ回してくるんだって!」

「早く帰ろー!」

 バタバタとその子達が通り過ぎていく。そんな噂話が流行ってるのかー。怖いな。そういえば昨日の男の子……杉野の弟も言ってた気がする。

「髪の長い巫女さんだって」

「巫女さんって、神社にいる女の人のこと?」

 私がうなずいたそのとき、ふいに彼女が後ろを振り返って、目を大きく見開いた。


「ねえ」

 リンリン、という鈴の音とともに女の人の声が遠くで聞こえた。私も釣られて後ろを振り向く。

「で、で、でたぁー!!!!」

 髪の長い、巫女さん。その手には髪の長い、日本人形。

 私達はギャー!! と叫んで走り出した。噂を聞いてから襲われるまでの時間が早すぎる! どうして一日でこんなに、いや一週間でこんなに襲われ続けなきゃいけないの。私クーくんと会ってから逆に不運に見舞われてない? もぉおおお、と湧き上がるイライラを抑えながら、走り続ける。

「アヤメ! 私はこっちだから!」

「わかった! 気をつけてね!」

 かすみさんもどうやって帰ればいいかわかる道についたらしい。私達はまた明日! と叫んで別れ、一目散に家に走った。

「やっと家についた!」

 ハァハァと肩で息をしながら玄関のドアに手をかける。開けようとした瞬間、ふわり、と木の匂いがした。そして、トン、と肩に色白い手が置かれる。

「ねぇ」

 ゾクゾクゾク! と鳥肌が立った。振り向かずに私はすぐさま、家の中に転がり込む。そしてガチャン、と鍵を締めた。玄関のくもりガラスにしばらく影が浮かんでいたけど、諦めたのか、ふらりといなくなってしまった。

「あぁぁ、怖かったぁ!」

「お疲れさん」

 クーくんはキーホルダーサイズからもとの大きさに戻って、とてとて家の中を歩き出した。さっきまでの戦いでほつれちゃったところもあるし、若干砂がついたり泥がついたりしてる。おばあちゃんはまた買い物だろうか。リビングにつくと、案の定『買い物行ってきます』という置き手紙が置いてあった。

「よぉし、クーくん。手術のお時間ですよ!」

「ヤブ医者は嫌じゃ嫌じゃぁー!」

  きちんと手洗いうがいをしてから嫌がるクーくんを2階に連れて行く。物凄く疲れていたけど、クーくんを抱きしめて寝るためには仕方ない。一緒に寝たいもん。

 学校で買った裁縫セットを取り出して、学校で習ったかがりぬいでほつれを直していく。ちょっと時間がかかっちゃったけど、初めてにしては上出来じゃない?

「どう? クーくん」

「むしろ前より頑丈な気がするよ。蟻が十匹、ありがとう」

「はいはい、それじゃあ今度はお風呂に入りましょうね」

「えーまじでーがんなえー、まじ卍ー」

「きょうちゃんの弓のモノマネはいいから! 早く行くよ」

 砂まみれになってボロボロになって、私たちのために戦ってくれたクーくんを少しでも綺麗にしてあげたい。その一心でにんまりと今日も中性洗剤を取り出すのだった。

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