3章
7話 ロック・リキシ・クライミング
明くる日、さんざん拝む老婆をなだめ、まずキャンプに戻ってきたライデンとヴィルマが目にしたのは、あちこちにオークとゴブリンの死体が散らばる惨状であった。
自身のテントを確認したヴィルマは、出てきて報告する。
「わたしのテントに、特に異常は無かったよ」
ヴィルマに遅れ、自分のテントから出てきたライデンは不機嫌だった。
無言のライデンに、ヴィルマの方からたずねる。
「何かおかしなことが?」
「寝袋や毛布に使った跡があった。もともとは、俺が油断していたんだから、そのこと自体に文句はないんだが……明らかに畳んだつもりで毛布が丸めてあったり、空の鍋を水でざーっと流しただけで放置してあるのに腹が立つ! どうせ気遣いをするなら、もっと! ちゃんと! やれ!」
「あ……そういうタイプって、当人的には気遣いしてやったぞ! って満足げなんだよね。気遣いをしようとしても、気配りが足りないんだよ」
「俺がそういう人間だったから、なんつーかいろいろ恥ずかしいわ!」
二人がそんな話をしていた時、何処かで少女がクシュンとくしゃみをした。
ライデンはテントの周りに放置されたオークやゴブリンの死体を観察する。
既に観察を終えているヴィルマが、率直な意見を述べる。
「まるで、アンタが暴れたみたい」
頭から地面に突き刺さったオーク。
何か巨大な物体がぶつかった痕のあるゴブリン。
巨人が力任せに暴れたとしか思えないその有様は、リッチモ王国で獣人たちを蹴散らし、昨日オークやゴブリンを一蹴したライデンの暴れっぷりを思い出させる光景であった。
ライデンはうつ伏せに倒れていた一匹のオークをひっくり返す。
その胸には、ベッコリと槌で叩かれたような穴が残っていた。
ツッパリの一撃を胸に食らったように見えるが、ライデンの見解は違った。
「この胸の傷は、おそらく素手だな」
「それって、誰かがツッパリみたいにドーンっと突いたってこと?」
「だが、少し傷跡が違うような。上手く言えないんだが、違和感があるな」
悩むライデンだけに任せず、ヴィルマも傷跡をじっと観察する。
オークの胸に残った傷跡。ライデンの一撃に似た傷ではあるものの、若干小さく深い。ライデンのツッパリの一撃よりも、更に力が集約している感じだ。
「これ……」
「まあいい! 当人にぶつかればわかることだ!」
ヴィルマは気づいた点を言おうとするものの、ライデンの思い切りと被ってしまった。ライデンはじっと魔王憑きが棲むであろう山向の砦跡をにらみつける。
「どうやら、魔王憑き以外にも、面白いヤツがいるみたいだな」
ライデンの燃える闘志をぶつけられても、山はまったく揺るがなかった。
◇
燃える闘志に滾る身体。未知なる強敵に挑み、自分を試そうとするライデンの前に敵はいない……はずだった。
「はぁ……はぁっ……」
無尽蔵のスタミナを誇るライデンがへばっていた。
ライデンは昔に比べ体重が増えて、若干丸くなったものの、その体力に殆ど衰えはない。なんなら今でも、夜通し走り続けるくらいはできる。
「くそっ……流石に……厳しいな……!」
荒い息を吐き出しつつ、厳しさを口にするライデン。
ライデンが挑んでいるのは、険しい岸壁であった。
ほぼ直角、時にはオーバーハングもある、明らかに人が登ることを想定してない崖だ。そんな崖を、ライデンは命綱無しで登っていた。もう、地面はずいぶん遠くなっている。
いくらライデンの体力が底なしでも、常にかかってくる自重がゴリゴリ体力を削っていく。リキシと崖登りは相性がとても悪かった。
「大丈夫ー?」
上の方から、ヴィルマの声が聞こえてくる。必死の形相で崖にしがみついているライデンに比べ、ヴィルマは余裕の表情で崖から生えている太い枝に腰掛けていた。
ライデンに比べ軽いとはいえ、ヴィルマは義手である。
しかも、義手の性能は決して良くない。
それなのに、ヴィルマはひょいひょいと崖を登っていった。
これはもう、当人の才能と運動神経の良さと言うしか無い。あれだけ連日のケイコに参っていたのに、一晩寝て回復している健やかさも見事である。
「真正面から突っ込んだほうが、楽だったんじゃないかー!?」
「逃げられたらおしまいでしょー?」
ライデンの叫びを、あっさり否定するヴィルマ。
村の老婆から砦跡についての話を聞き、少し離れたところにある崖からのルートを提案したのはヴィルマであった。険しい崖であるぶん監視の目も緩く、そこから一気に強襲すれば、魔王憑きの元にあっさり到達できるはずである。
ライデンはいつもどおり、真正面からの突破を提案したが却下された。
多勢に無勢にライデンが負ける光景は想像できないが、砦跡にいる魔王憑きに逃げられたら元も子もない。相談の結果、というか、ヴィルマがライデンを言い負かした結果、侵攻ルートは崖登りが採用されることになった。
「とは言ってもな、流石にリキシに崖登りをやらすのは……あ」
ガコンと、ライデンが右手で掴んでいた部分の岩がまるっと剥がれ落ちる。
崖にしがみついているライデンの身体が、大きく揺らいだ。
「なんのお!」
だが、ライデンは負けてなるものかと、即座に右腕を崖に叩き込んだ。
ずずんと崖が揺れ、枝に乗っていたヴィルマも振り落とされそうになる。
「ふぃ~」
だが、おかげでライデンは助かった。
崖に無理やり突き刺し支えとした腕を、ライデンは愛おしそうに眺める。
ズズンと大きな音がして、今度は崖の一部が崩落した。
どうやらライデンの重さとツッパリに、崖が負けたらしい。
腕力にて自然にすら勝ってみせる、流石はリキシである。
「なんのおおー……」
そんなリキシのライデンは、崩落した崖ごと落ちていった。
幸い無事だった枝の上から、地面を見下ろすヴィルマ。
下の方でもわもわ土煙が上がっているが、おそらくライデンは平気だろう。たしかライの武勇伝には、敵軍ごと雪崩に飲まれ崖下に落下したものの平然と帰ってきた話もあったはずだ。
「あとでロープ降ろすからー」
ひとまずそんなことを崖下に叫んで、ヴィルマはするすると崖を登っていく。
一応こんなこともあろうかと、丈夫なロープは用意してきた。ライデンの体重に耐えうるかどうかは、出たとこ勝負だが。
崖を登り終え、這い上がったヴィルマ。
彼女がまず目にしたのは、ゴブリンの淀んだ黄土色の瞳であった。
崖の淵に、いきなり崖を覗き込もうとしていたゴブリンがいた。
「わー!」
「ギェーッ!」
人間だろうが魔物だろうが、こうなれば驚くしかない。
ゴブリンは本能で飛びかかり、ヴィルマは直感で避ける。
あわれゴブリンは、ヴィルマが腰に巻きつけていたロープの束を道連れに崖下へと落下していった。
「まさかね……」
だがヴィルマには、命を永らえたことを喜ぶ余裕は無かった。
「グルルル!」
「キシャー!」
誰も居ないと思っていた崖の上で待ち構えていたのは、一匹のオークと十数匹のゴブリンであった。崖の見回りにしても、明らかに過剰な数である。なぜ、彼らがここにいるかは分からない。ハッキリしていることは、ヴィルマに即決が求められていることだ。
逃げる。囲みを破るにしろ、崖から飛び降りるにしろ、多数に見つかった状況でうまくいくとは思えない。逃げるのは、下策だ。
戦う。今、ヴィルマが持っているのは、ダガーだけだ。片腕を失い義手となった時、ヴィルマは得意であった剣も弓矢も使えなくなった。ダガー一本で多数の魔物を相手する。戦うのは、馬鹿である。
だが、下策と馬鹿ならば、馬鹿を選ぶ。それが、馬鹿正直にスモウですべてを解決しようとするリキシに習った者の誠意だ。
ヴィルマは息を吐き、構えを取る。
今の自分には、スモウの技がある。
目の前には敵、背後には崖。退けないドヒョウギワの状況でこそ、リキシは本領を発揮する。ライデンが、殺到する獣人たちを前に、実証したことだ。
まだ完成とは言えないが、今までの経験と組み合わせれば、物になるはずだ。
「アギャー!」
一匹のゴブリンが、粗雑なナイフを手にヴィルマめがけ飛びかかる。
直後に繰り出されたヴィルマのスモウ技が、ゴブリンめがけ炸裂した。
◇
崖の下、崩れ落ちた崖の一部である岩の残骸の上で、ライデンがあぐらをかいていた。崖から落ち崩落に巻き込まれたのに、当たり前のように無傷である。
腕を組み、じっとしているライデン。
「ロープ、来ねえなあ」
予想外の事態になったのに、ライデンはとにかく落ち着いている。
この不動の心もまた、スモウより学んだ心である。
ゴンと、そんなライデンの頭に何かがぶつかる。
岩でもぶつかったのかと思ったが、ライデンの頭には、べったりと赤い血がついていた。
ライデンは頭についた血を撫で、何が落ちてきたのか確認する。
ライデンは、やはり無傷であった。
「ロープ、来ないな!」
自分の頭にぶつかって粉微塵になったゴブリンの死体の中にある、ヴィルマが持っていたはずのロープである。
なんでゴブリンが崖の上からロープを持ってダイブしたのかはわからないが、待っていてもロープが来ないこと、上で何かが起こっていることはハッキリしていた。
こうなれば、不動の精神ではいられないと、ライデンはすぐに立ち上がる。
崖の上のヴィルマが良い状況にいるとは、到底思えない。
ライデンは立ち上がろうとしたところで、崖の変化に気がつく。
ライデンの一撃で崖が崩落したことで、岸壁に大きな穴が空いていた。
穴はライデンが入れるほど大きく、そのまま、石畳の通路に繋がっている。
おそらくこれは、砦にあった脱出路。
すなわち、崖の上の砦跡に繋がる道である。
確証はないものの、ライデンはそう断定した。
正直もう、崖登りはこりごりな以上、こちらに賭けたい。
ライデンが穴に向かおうとしたその時、頭上から絹を引き裂くような奇声が聞こえてきた。落ちてきたのは、またもゴブリンであった。
「おっと」
今度は気づいたライデンは、落下中のゴブリンを上手く片手で捕まえた。
気絶したゴブリンの傷を確認した後、ぽいっと茂みに投げ捨てる。
ライデンは崖上を見て、ニヤリと笑った。
「アイツ、モノにしやがったな」
崖の上から落ちてきたゴブリンの傷跡を見て、ライデンは教えたスモウ技をヴィルマがものにしたことを確信する。
エルフならではの目の良さと崖を容易く登ってみせる俊敏さを最大限に活かせるスモウ技を教えたつもりだったが、どうやらそれは成功だったらしい
ライデンは多少余裕のある足取りで、穴の中に侵入する。
その顔には、自身が教師役として振る舞えたというくすぐったい喜びと、技を習得したことで生き延びるすべを知ったヴィルマへの信頼があった。
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