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読んでいて色々なことを考えた回でした。ジェレミー先生が「友達」と言ってくれたのは、紘一君にとって大きな支えになったのではないかと思います。
それとこれは私個人の話なのですが、「ガイジン」という言葉には苦い思い出があります。
過去に外国語講師のアルバイトをしていたことがあるのですが、そのときに会話の中で「外人」という言葉を使ったらスタッフの方に注意されました。「『ガイジン』は差別用語なので、『外国人』と言って下さい」と。
それ以来、「ガイジン」と言い方を聞くとそのときの苦い記憶が蘇るのと同時に、無意識に使っている方が多いことも感じます。「ガイジン」自体がはっきりと差別用語であるか否かについては、議論がされているようですが、私はその一件があってから「外国人」と言うようにしています。
ただ、このお話を読んでいると「外国人」と言ったとしても、海外の方にとっては「ガイジン」という言い方とさほど変わりなく感じてしまうのかな……という風にも思いました。難しいですね……。
作者からの返信
彩霞さん、
お読みいただきとても嬉しいです。ありがとうございます。
親しくなれたのがフランス語を話す先生だけ、というのが皮肉ですが、友達という言葉は今の紘一には何よりの励ましになりました。
ガイジンという言葉ですが、これは使う側の意図や聞く側の解釈でずいぶんと印象が変わると思います。この小説の中では嫌な言葉として使っていますが、あんまり言葉狩りって好きじゃないので、「使ってはいけない」とは思いません。あくまでも文脈やその意図によると思っています。「外国人」の省略として「外人」を使う人はいっぱいいるでしょうし、彩霞さんが語学学校で使われていた時もそういうニュアンスだったのだろうと分かりますしね。
だから客観的に区別するだけの時に使われる「外国人」という言葉が人を傷つけるとは思わないです。結局どういう流れでどういうつもりで使っているかが一番大事なのかなと。
ガイジン、嫌な響きですね。
ジェレミー先生の友人のような、日本に長らく住んでいる白人が私の友人にもいますが、彼もよく“Gaijin”という言葉を使います。海外の友人も、日本語をほとんど知らないのにその単語は知っていたりします。それだけ日本の特徴なのかもしれませんね。
作者からの返信
上田さん、コメントを下さりありがとうございます。
ガイジンって排他性を感じるような、特別な響きがありますね。そのお友達がどういうニュアンスで使われるのかは分かりませんが、外国人の中には自虐的な気持ちを含めて使う人もいるかも知れませんね。その距離感はどれだけ長く日本に住んでいても変わらないと思うと、淋しい気がします。
先生が「友達」という言葉を使った場面、泣けてきました๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐今宵、ソルティバニラのカフェオレに泣き薬を入れた憶えは、ありませんのに。
ジェレミー先生の存在感、大きいですね。先生は紘一くんに初めてミルクをあげた人みたいに映ります。幼児退行という意味ではなく、心を純粋にさせる力です。この人の前では演技しなくていいんだという紘一くんの安心感。ぶつかったときにボンっとするぐらい、ふかふかの先生に包まれていたい(私が)。先生の家には、あのマンガだったかしら。次回も楽しみに、お待ちしています。
作者からの返信
「この人の前では演技しなくていい」安心感、そうですね。先生の手の大きさも相まって、紘一が初めて味わった安心感だったでしょうね。
ミルクつながりですが、ソルティバニラのカフェオレとは何ぞや。と気になってしまいました。ひいなさん、飲み物までイメージ崩しませんね。笑
編集済
――ひとりだけ取り残された時に誰かが振り返ってくれるありがたさが分かるか。つまづいて転んだ時に誰かが差し出してくれる手のぬくもりを知っているか。――
胸にずばっときました。抉られました。
…それで、思い出したことがあるんです。僕は幼稚園、殆ど行ってなかったんですよ。今思えば不登園ですね。体は大きい方でしたが早生まれで何をしてもノロマで、引っ込み思案で臆病だった僕は、輪に入るというのがとことん出来ず、母の側から離れられなかったんですね。小学生になると母の代わりに本を抱いていたのかもしれません。未だに一人でいるのが好きなのは、取り残されるのが怖くて積極的に一人の居場所を作っていた頃の名残なんだろうなあと知りました。長い年月をかけ封印し、すっかり忘れていた感情を見つけ上げた思いです。そう、あの頃。よく本を読んでくれた母のことを思い出しました。
母とは何年も会っていませんが、お礼を言わないとなと思いました。閉じ籠もっていた自分を見つけることが出来た思いです。
本当に、ありがとうございました。
作者からの返信
ここの部分を拾ってくださってありがとうございます。おそらく誰にも覚えがあることで、その状況にならないと忘れがちなことですよね。と、書いた当人も読み直して色々思い出してしまった箇所です。
今の呪文堂さんから受けるイメージとは正反対の男の子ですね。でもなんだか想像できるようでもあり……。何をしてもノロマ引っ込み思案って、自分も同じでした(笑)そのせいかどうしても劣等感が沁みついてます。三つ子の魂とか言いますが、小さい頃の名残りは封印してもどこかにありつづけるのでしょうね。
こちらこそお母さんとの優しいお話、ありがとうございます。知られざる顔を見せて頂いたようで嬉しいです^^