問6 診療補助や療養の世話等をする国家資格を持った医療従事者は?
「今日は、特別企画です!」
クイズ研究部の部活に使っている教室で、進行役の橘が掛け声をあげた。
横並びに置かれた机を前に座る部長が「なんだなんだ」と声を上げ、その隣に座る前髪をセンター分けしている女子生徒の樋口亜矢は、大きく目を開けてパチクリさせている。
他の部員たちは、二人の前にスケッチブックと黒のインクペンを置いた。
「本日は、『この数学いつ使うの? クイズ』を行います」
「あー、あれですね」
部長は、ふふんと嬉しそうな顔をする。
「ネットでも話題になりましたけれど、数学に頭を悩ませている生徒から『こんなものいつ使うんだよ?』とくり返される質問の解答として、ハル・サンダースの『
「さすが部長、ご存知でしたか」
二人の向かい側に座る進行役の橘が褒める。
「このくらいはね」
部長は胸を張り、ますます上機嫌になる。
「一覧表を見る人によっては『こんなにもたくさんの数学が必要なのか』と感じるかも知れないですが、現代社会で役立っている数学の広がりからすれば、ほんの一部に過ぎず、実際は把握できないまでに広く使われているものです。数学をちょっとしかできない人でもご飯が食べれて、現在の文明が維持されているのは、つまるところ自分の知らない多くの誰かが、代わりに数学をしてくれているおかげなのです」
「いつにも増して、真面目なことを言ってますね」
進行役の橘がほくそ笑んだ。
「いつにも増して、とはなんだよ。俺はいつだって真面目なことを言ってるだろ」
語気を強める部長は、隣に座る困ったまま愛想笑いを浮かべる樋口に「ほんとだよ」と念を押す。
そうなんですか、と樋口は小さく笑った。
「ここでご紹介をさせていただきます。本日は、我がクイズ研究部顧問が受け持っている一年一組の生徒、樋口亜矢さんをお招きしました。なんでも、数学担当であり担任でもあるうちの顧問に『こんな数学、いつ使うのですか?』と質問したそうですね。間違いございませんか」
「はい、そうです」
進行役の橘から紹介された樋口は、小さくうなずく。
「うちの顧問は、なんと答えたの?」
部長が尋ねると、
「放課後、ここに行くようにって」
不安げな声で樋口は答えた。
部長は進行役の顔を見る。
「丸投げじゃないか」
部長はため息をついた。
顔をしかめ、首をひねり、もう一度息を吐く。
「まあまあ。そうですけれど」
部長をなだめめつつ、進行役の橘が話し出す。
「顧問から話を伺ったとき、準備していた企画が使えると思いまして、部長に相談せずに引き受けてしまいました。そのあとで部長に話を持っていくと、気軽に引き受けてくれたので、さすが部長だなと思いました」
「詳しい経緯は教えてくれなかっただろ。『今日はゲストを招いて、数学に関するクイズをやりたいと思うのですけど、いいですか』って言っただけで」
「そして部長は『いいよ。面白そうだね』と、気軽に答えてくださいました。日頃から、相手が誰だろうとどんなクイズだろうと最速で答えるだけ、とおっしゃってるじゃないですか」
「そうですね、おっしゃってますね」
部長は照れつつ、抱えるようにしながら頭をかいた。
気を取り直し、
「ちなみに、将来なにになろうか、もう考えてますか?」
部長は樋口に問いかける。
彼女は「一応……」と小声で答えた。
「なんですか?」
「……看護師を、考えてますけど」
いけませんか、と言いたそうな目を部長に向けつつ、樋口は口を閉じた。
「相手の不安に寄り添う、そんな看護師になろうと思ったあなたは素敵だと思います」
部長の言葉に樋口は、
「どうも」
白い歯をのぞかせて小さくうなずいた。
「それでは、早書きクイズのルールを説明をします。今回は樋口さんのために看護師で使う数学の問題を七問ご用意いたしました。問題文を読み上げますので、解答をお手元のスケブに書いてください。書き終わりましたら、すぐに手を上げてください。名前を呼びましたら解答を見せてください。正解すれば一ポイント、不正解の場合はポイントが付きませんが、減点もありません。最終的にポイントが高かった人が優勝となります」
進行役の説明を聞きながら、部長はスケッチブックをめくり、インクペンの蓋をとって準備した。
「というわけで樋口さん。きみが将来なりたい看護師という仕事では数学がどう使われているのか知るためにも、俺と勝負してもらいます。うちの顧問がきみをここに呼んだのは、口で説明するより疑似体験して知ってもらおう、ということだろうから」
「勝ったら賞品とかあるんですか?」
彼女の問いかけに部長は首を横に振る。
「しいていうなら、名誉かな。きみの場合は自信がつくかもしれないね」
部長は、彼女に用意したスケッチブックを差し出す。
それを受け取って樋口はページをめくり、インクペンを手にした。
「ではいきます、問題。医者の指示で患者に0.1グラムのニコチン酸を与える。0.05グラムの錠剤しかない場合、患者に与える錠剤の個数はいくつでしょうか?」
進行役の橘が問題文を読み上げる中、部長はすばやくスケッチブックにペンを走らせる。
「はい」
読み終わるころには書き終わり、ペンを持つ右手を軽く上げていた。
部長のあまりの速さに樋口は、圧倒されて何も書けずにいた。
「部長、どうぞ」
橘に声をかけられ、部長はスケッチブックを机に立てて見せる。
数字で『2』と、大きく書かれていた。
「正解です」
ピコピコピコーンとけたたましく正解音が教室内に鳴り響いた。
「二倍すれば0.1グラム。実に簡単な問題でした。数学というよりは、小学生の算数ですね。計算を解く場合は、ニコチン酸や錠剤などの情報よりも数字や単位、この設問はなにを問うているのかを聞きもらさないようにすることが大事です。実際の現場では数字や単位だけでなく、どういう薬なのかという情報が大切になってくるでしょう。ちなみにニコチン酸というのは、一九一〇年に鈴木梅太郎が発見した水溶性ビタミンのビタミンB複合体のひとつで、ナイアシンともいいます」
「正解してもらえたらいいので、薀蓄は加点しません」
進行役の橘は、薄ら笑いを浮かべた。
「加点ないのか」
苦笑いする部長は、ページをめくりながら、次の問題に備える。
そんな様子をみながら樋口は、まばたきをくり返す。
「部長さんも将来、医療関係に進むんですか?」
「医者になりたいと思うほどの意欲は、俺にはないかな。知識は多ければ多いほど選択肢は広がると思ってる」
「はあ……そうなんですか」
「まだ一問目だから、気持ちを切り替えてね」
部長の言葉にわかりましたと答えつつ、樋口はペンを握った。
「問題。医師は患者にある薬を25グレーン処方したが、この薬は10グレーンの錠剤しかない。患者には何錠渡すのでしょうか。ちなみにグレーンは重さを量る最小単位です」
問題文を読み上げる中、またも部長は、すばやくスケッチブックにペンを走らせる。
「はい」
読み終わる前には書き終わり、ペンを持つ右手を軽く上げていた。
部長のあまりの速さに樋口は、書く気も失せていた。
「部長、どうぞ」
進行役に声をかけられ、部長はスケッチブックを机に立てて見せる。
数字で『2.5』と、大きく書かれていた。
「正解です」
ピコピコピコーンと正解音が教室内に鳴り響いた。
「25を10で割る。本当に簡単な問題でした。数学ではなくて算数ですよね。グレーンはヤード・ポンド法の質量の単位で、一グレーンは七千分の一ポンド、約0.0648グラム……だったかな。もともとは穀粒の意味で、大麦一粒の重さを基準にしてたから」
「だから薀蓄での加点はありません」
「ないのか」
肩を落とす部長は、ページをめくり、次の問題に備えた。
そんな部長の隣に座る樋口は、小さく息を吐いた。
「問題。医師が1/400グレーンの薬剤を処方した。看護師のもとには1ミリリットルにつき1/200グレーンというラベルの付いた薬品瓶がある。患者には何ミリリットル渡すのか?」
問題文を読み上げる中、部長と樋口はスケッチブックにペンを走らせる。
書き終わって、二人はペンを持つ右手を上げる。
ほぼ同時。
判定は、進行役の橘に委ねられた。
「若干、樋口さんが早かったのでスケッチブックを見せてください」
「やったー」
彼女は喜んで解答を書いたページを進行役に見せる。
『1/2』と書かれていた。
「正解です」
ピコピコピコピコピコーンと甲高く正解音が教室内に鳴り響く。
「通分したら、2/400だったから、半分じゃんと思ってすぐ書きました」
「そうですね。1/2、もしくは0.5でもいいです」
一問正解した樋口は、鼻歌交じりにスケッチブックのページをめくった。
部長は気にせず、次の問題に備える。
「問題。医師は、患者に八時間以上かけて1000ミリリットルの静脈点滴を行うように処方した。看護師は点滴の速度を決めなければならない。1ミリリットルあたり15滴落下する場合、一分あたり何滴落とせばいいか」
問題文を読み上げる中、部長と樋口はスケッチブックにペンを走らせる。
読み終わり、書き終わって、二人はペンを持つ右手を上げる。
先に手を上げたのは樋口だった。
スケッチブックには『31』と書いてある。
「正解です」
ピコピコーンと正解音が教室内に鳴り響く。
「わーい」
樋口はスケッチブックを掲げて声を上げた。
そんな彼女をみながら、部長は手を叩く。
「まず八時間を分に直して、1000ミリリットルを割って、15分をかけると一分間の点滴数がでるので、計算すると31.25……となったので」
「きちんと計算できてますね」
進行役が彼女を褒めつつ、部長を見る。
「今回、部長は計算が遅かったみたいですが」
「計算した数字があってるか確かめてたら遅くなったんだよ。点滴の滴下数の計算は、総輸液量✕1ミリリットル辺りの滴下数÷時間で計算するという計算式があります。1000×15=1500で、これに八時間を分にした480で割れば出る。病院に行くと輸液ゲージというのがあって、それを使うと一分間の滴下数が簡単に出せるらしいよ。看護業務のなかでも点滴管理は頻度が高いみたいだから」
「へえ、そうなんですか」
西宮は感心して部長の話に聞き入っていた。
「饒舌に薀蓄を語っても加点はありませんから」
進行役の言葉に部長は、目を細めながら唇を尖らせた。
二人がページをめくるのを確認すると、進行役が次の問題を読み上げる。
「問題。医師がある薬を20グレーン処方したが、この薬は500ミリグラムの錠剤しかない。500ミリグラムの錠剤が8と1/3グレーンに等しいなら、患者に何錠渡しますか」
問題文を読み上げる中、部長と樋口はスケッチブックにペンを走らせる。
書き終わって、先にペンを持つ右手を上げたのは部長だった。
スケッチブックには『2と2/5』と書いてある。
「正解です」
ピコピコーンと正解音が鳴り響いた。
「先程は遅れを取りましたので、今回は急いで解きました」
部長の顔に笑みが溢れる。
「気にしてたんですね」
樋口は思わず声を出して笑ってしまった。
二人がスケッチブックをめくるのを見て、進行役が次の問題の書かれた紙を手にする。
「問題。医師が患者への投薬を20グレーン処方した。看護師の手元には1錠250ミリグラムの錠剤がある。1グレーン60ミリグラムとすると、患者には何錠与えればよいか?」
問題文を読み上げる中、部長と樋口はスケッチブックにペンを走らせる。
書き終わって、先にペンを持つ右手を上げたのはまたしても部長だった。
スケッチブックには『4.8』と書いてある。
「正解です」
ピコピコーンと正解音が鳴り響いた。
「比例式をつかって計算すればいいですね。単位を揃えて、20:250=X:60となり、計算すると4.8となります。看護師だと、注射薬の薬液で比例計算はしていると思いますね。それぞれの患者さんに必要な薬の量がありますからね」
「やっぱり、部長さんは看護師を目指してるとか?」
樋口の問いに部長は首を横に振る。
「クイズを解くために知識を貯めてきただけだから。医療の道に進むには、目の前の人を助けてあげたいという気持ちがなにより大切だと思う。その気持ちをもって行動するための知識、その一つに数学が必要だってことだよ」
いまの俺っていいこと言っただろ、と自分で自分を褒めたそうな顔を部長はしていた。
「つぎが最後の問題なのですが、いまの問題を部長が正解したことで優勝は部長に決まりました」
進行役の言葉に部長は、また勝ってしまったとつぶやきながら前髪を撫でる。
「とはいえ、せっかくゲストとして樋口さんが我が部に足を運んでいただいて負けたまま帰られるのでは、気分が悪いと思います。そこで、つぎの問題を先に正解した人が、本日のクイズの勝者にしたいと思うのですが、お二人ともそれでよろしいでしょうか」
「わたしは構いません」
樋口はスケッチブックをめくる。
「我が部の部員でなくとも可愛い後輩ですからね、全力を持って叩き潰します」
部長もページをめくった。
「問題。150kgf/平方センチメートル、500リットル酸素ボンベの内圧系が90kgf/平方センチメートルを示しています。この酸素ボンベを用いて2リットル/分で酸素吸入を行うことになりました。使用可能な時間は何分ですか?」
問題文を読み上げる中、部長と樋口はスケッチブックに書き込んでいく。
書き終わって、ペンを持つ右手を上げる。
二人とも、ほぼ同時だった。
最後の問題で、またも進行役の橘に判定が委ねられる。
「こういうとき、サッカーやテニスみたいにビデオ判定できるといいのですけれど、録画してません。ここはじゃんけんで決めたいと思います」
部長と樋口は最初はグーで拳を突き出し、じゃんけんぽんで手を変えた。
「それでは樋口さん、スケッチブックをみせてください」
進行役に言われるまま、樋口は答えの『300』と書いたスケッチブックを立てて見せた。
「不正解です」
ブブブー、と不正解の音が鳴り響いた。
樋口は、自分のスケッチブックをみながら首をひねる。
部長が見せたスケッチブックには『150』と書いてあった。
「これも比例式をつかって解く問題ですね。充填圧:ボンベの全体の体積=残圧:残量に数字を当てはめて計算すると、残量が300リットルと出ます。この酸素ボンベをつかって酸素吸入を行うための使用時間を求めるのだから、残量を酸素の消費量で割ればいいわけです。酸素消費量は2リットル/分なので、300÷2=150分となります。酸素吸入は酸素欠乏状態にある患者に対して行うことですね。呼吸が苦しい人にとって酸素が吸えないと生命の危機という不安を覚えるでしょうし、看護師の大切の仕事のひとつだと思いますね」
そうですね、と樋口は小さくうなずいた。
この結果をもって、今回の勝者は部長となった。
「ぼくたちとしては、クイズの勝敗よりも、学校で勉強している数学がどこで活用されているのかを知ってもらうことが目的だったわけですけれども、わかっていただけましたか」
進行役の橘は、樋口に声を掛ける。
隣に座る部長は顔の前で手を組み、「どうだった?」と小声で聞く。
「前よりは具体的にわかった……気がします」
樋口は部長を見ながら、はっきりと答えた。
「そうなんだ。自分のやりたいことをやるために、がんばって勉強してください」
部長と進行役の橘、そしてクイズ研究部員全員が、樋口にささやかな応援を込めた拍手を贈った。
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