問3 按摩泣かせとも言われた秋に獲れる刀のような魚は?

「ねえねえ、十回クイズって知ってる?」


 休み時間の教室。

 樋口亜矢は同じクラスの夏目美玖に話しかけられた。

 なにかしら企んでいるような、意地悪な光をたたえた笑みを浮かべて視線を向けてくる。樋口はびくっとした。


「知ってるよ。たとえば『ピザ』と十回言ってもらったあと、答えが『肘』になるようなクイズをだされて、ついつい『膝』といってしまう、相手の間違いを誘うクイズだよね」

「そうそう。十回クイズに引っかからないのか実験しようとおもうんだけど、やってみない?」


 樋口は笑みを浮かべて、どうしよかなとつぶやく。

 クイズ好きだからね、夏目は。

 やってもいいんだけれど「実験」という言葉が気になる。

 どう考えても、引っかけて笑うつもりに違いない。


「二人して、なんの話?」


 樋口に声をかけながら袖を引っ張るのは、同じクラスの藤原詠美だ。

 小柄で黒縁眼鏡をかけているせいか、同い年には思えぬほど幼く見える。


「十回クイズに引っかからないか実験しようと思って、樋口ちゃんに声かけたとこ。藤原さんもいっしょにやろうよ」

「うん、いいよ。やるやる~」


 うれしそうな藤原を見て、樋口は思い出す。

 そういえば彼女、「東大王」や「今夜はナゾトレ」というクイズバラエティー番組が面白いと話していた。

 それらに比べると、十回クイズなんて暇つぶしの遊び。


「じゃあ、私も参加する」

 樋口はうなずいて、藤原には離れてもらった。


「一応ルールを説明するね。『なんとかを十回言ってください』といったら十回言ってください。その後クイズを出します。間違うかどうかを実験したいので、今回は正解を早く叫んだ人の勝ちとします」

「答えるのは一人一回なの?」

「もちろん」


 ルールを聞く限り、普通だった。

 実験という言葉に気負いすぎていたのかもしれない。

 樋口は横目でチラリと藤原をみた。

 やりたくて頬がゆるんでいる。


「全部で五問、用意してきたの」


 得意げに夏目が問題を出す。


「入浴、と十回言ってください」


 樋口と藤原は「入浴」を十回、口にする。

 くり返すたびにテンポが早まり、「にゅうよく」が「にゅよく」になり、最後には「におく」になっていた。


「二億じゃなくて入浴だから」


 夏目に指摘されてしまう。

 二度目は指折り数えで十回、間違わずに言い終えた。


「それでは、アメリカの首都は?」

「えっと、ワシントン」

「樋口ちゃん、正解」


 よしっ、と樋口は顔の前で両手を軽く握る。


「あやうく、ニューヨークといいそうになった」

「引っかからなかったか~」


 おめでとう、と夏目が手を叩く。

 だが、その手を藤原が掴んだ。


「ちがうよ、ワシントン・コロンビア特別行政区だよ」

「え?」

「だからワシントン・コロンビア特別行政区。法律上の正式名だよ。かつてコロンビア特別領だったけれど、一八〇一年のコロンビア特別区自治法により、コロンビア特別区となり、一八七一年の新しいコロンビア特別区自治法によって特別区内の自治体は特別区に統合されたの。ワシントンというのは特別区内にあった自治権をもつ市の一つだったんだけれど、そんな経緯からコロンビア特別区のワシントンといわれ、略して『ワシントンD.C.』。単に『D.C.』でも通用するし、日本ではワシントン市や首都ワシントンと呼ぶこともあるよ。だけどワシントンといった場合、アメリカ西海岸最北部にあるワシントン州のことを指すから気をつけないとね。なので、アメリカの首都は、ワシントン・コロンビア特別行政区が正式だよ」


 鼻息荒く、藤原は力説した。

 そうなんだ、と樋口と夏目も聞き入ってしまう。


「二人とも正解でいいよ。一問目は練習みたいなものだから。つぎは引っかかるかもね」


 気を取り直し、自信アリげに夏目が次の問題を出す。


「スプーン、と十回言ってください」


 樋口と藤原は「スプーン」を十回、くり返しつぶやく。

 先程の失敗をしないよう、今度ははじめから指折り数えながらくり返した。


「スパゲティーを食べるのは?」


 樋口は、フォークと言いかける。

 それより先に藤原が答えを叫んだ。


「スーパーマリオ!」

「え?」


 夏目はまばたきをくり返す。


「ゲームのマリオの好きな食べ物はスパゲティーなんだよ」

「マリオの好物なんて知らない。そうなの?」


 夏目が樋口をみる。

 わからない、と、樋口は笑いながら首をひねってみせた。


「嘘なんか言ってないよ」と藤原。

「嘘じゃないかもしれないけど、答えはちがうから」

「えー、じゃあ、野比のび太」

「のび太?」


 樋口と夏目は顔を見合わせる。

 勉強もスポーツは苦手で何をしても冴えない少年で、映画の大長編になるとかっこよく活躍する、あのキャラクターのことだろう。


「のび太は鼻からスパゲティーが食べられるんだよ」

「そういう問題じゃなくて」

「えー、違うの~」


 口をとがらせて拗ねる藤原を前に、樋口は落ち着いて答えた。


「だったら、答えは人間でしょ」

「そう、それっ。樋口ちゃん正解」


 夏目はホッとした表情をみせながら拍手した。


「フォークって言い間違わなかったのはすごかったね」

「言いそうになったけどね」


 ふう、と樋口は息を吐く。


「ちょっとまって。スパゲティーを食べるのは人間だけじゃないよ。犬や猫はもちろん、ハムスターやキノボリカンガルーだってスパゲティーを食べるんだから」


 鼻息荒く、藤原はまたも力説をし出す。

 ペットとして飼われている動物の餌に与えたら、スパゲティーだけでなく、ピザやカレーも食べるかもしれない。


「じゃあ、答えは動物ってことで。今回も二人が正解でいいよ。気を取り直して三問目。次はどうかな」


 夏目は次の問題を二人に出す。


「キャンパス、と十回言ってください」


 キャンパスキャンパスキャンパス……と、二人でくり返す。


「角度を図るのは?」

 

 コンパス、と樋口が言いかける。

 だが一瞬、先に藤原が答えた。


「プロトラクター」

「へ?」


 夏目は驚いて目をパチクリさせる。


「他にはアングルメーターやマイターゲージもあるよ」

「えっと……なにそれ?」

「だから角度定規。夏目ちゃん、知らないの?」

「う、うん……知らない」


 知らないと聞いて、藤原は嬉しそうに説明をはじめた。


「角度を測定するのに用いられる定規のことだよ。角を測定するもっとも簡単なものは分度器だけど、さらに正確に測定したいときに用いられる道具なんだ。いまは光学的に角度を二秒で測れる光学的角度定規もあるんだよ」


 聞きながら樋口は、夏目の顔色をうかがう。

 きっと、コンパスと間違えてほしかったんだろうなと思いながら、藤原の肩に手を置いた。


「そこは素直に分度器でいいんじゃないの?」

「あ、そうなんだ。……じゃあ、正解じゃなかったんだ」

「うん。今回は二人とも間違いということで」


 夏目は小さく息を吐いた。


「それじゃあ第四問。ハンバーグって十回言って」


 今度も樋口と藤原は指折り数えて、間違いなく、ハンバーグハンバーグ……と十回くり返した。


「スターウォーズの監督は?」


 樋口は口を閉じて首をひねる。


「えっと……誰だったかな。スピなんとか……名前が出てこな~い」


 困っていると、またもや藤原が先に答えた。


「新三部作はジョージ・ルーカス。旧三部作はジョージ・ルーカス、アーヴィン・カーシュナー、リチャード・マーカンド。続三部作がJ・J・エイブラムス、ライアン・ジョンソン。スピンオフやアニメも答えるの?」

「……いや、いいよ。藤原さんって、詳しいんだ」

「一応、全部見てるから」

「そう、なんだ……すごいね」


 問題を出している夏目の表情が暗くなっていく。

 相手の間違いを誘い、間違うところを楽しく笑うクイズのはずなのに、場の空気がまずい。


「夏目ちゃん、今の問題は正解なしでいいから。気持ち切り替えて、最後の一問は難しい?」


 樋口は気を使って笑顔で声を掛ける。


「そういえばまだ一問残ってたね。ちょっと、難しいかな」

「今度は答えられるようにがんばる」


 だから夏目も元気だして、と樋口は励ましの視線を送ってみせた。


「それじゃあ、最後の問題ね。大根って十回言って」


 大根大根……と、樋口と藤原はきっちり十回、くり返して言った。


「サンマにかけるのは?」


 樋口は、大根おろし、と言いそうになる。

 きっと答えは違う。

 でも、誤答したほうが夏目は喜ぶかもしれない。

 だからといって、わざと間違えたのに気づかれたらどうしよう。

 余計、機嫌が悪くなりかねない。

 面白いことを言ってごまかすのもアリだけど、空気を読みすぎるのもよくない。

 意を決した気持ちで樋口は答えた。 


「醤油」

「……正解」


 夏目は息を吐き、手を叩いた。

 

「まあ、今回はしょうがない。優勝は樋口ちゃんね」

「でも、かなり引っかかりそうになったよ」


 樋口は笑顔を作って夏目に答えながら、隣の藤原を見る。

 小柄な彼女は、腕組みをしながら、右に左にと首を傾けて考えていた。

 難しいことは知っていても、簡単な問題は苦手なのかもしれない。


「藤原ちゃんはわからなかった?」

「わからなかったというより、どれがいいのか迷ってて」

「え?」

「樋口ちゃんは醤油なんだね。うちのお父さんはノーマルポン酢かけるけど、お母さんはスダチやカボス、ゆずの入ったポン酢なの。でもわたしは、焦がしバターソースが好きだから、どれを答えようか迷っちゃって」


 樋口と夏目は顔を見合わせる。

 彼女が何を言い出したのか、一瞬わからなかった。


「藤原ちゃんって……洋風が好きなの?」

「うん。サンマのガーリックソテー。春先に食べるなら、春菊のバターソースがけは美味しいよ」

「へ、へえ……そうなんだ」


 樋口は苦笑いを浮かべる。

 クイズに勝って勝負に負けた気がしてならなかった。

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