第3話…フラウと慎吾…

 少しずつ、フラウの記憶と、沖田慎吾の記憶が溶け合っていくのを感じる……。

 “前世の記憶”が蘇ってから、6日。オブリヴィオン公爵邸では、着々とフラウの嫁入りならぬ、婿入りの準備が進んでいた。

 邸の庭園を散歩しながら、フラウは考えていた。自分に結婚の拒否権などないが、王室が第三王子とフラウの婚姻を要請した際、第三王子のペルフェクトゥスもまだ2歳で、この結婚は家同士が決めた政略結婚。とすれば、王子であるペルフェクトゥスの意思も介在していない……と、思われるかもしれないが、実のところそうではないことをフラウは思い出した。

 事は少々ややこしい話になる。そもそも、ペルフェクトゥス7世は“第三王子”として、この世に生を受けた。しかも、父親は王配(おうはい)ではなく、王婿(おうせい)。国王の夫にはきちんと位があり、王配は唯一無二。たった一人の、国王の正式な配偶者である。一方、王婿は三名まで置くことができる。分かりやすく言うと、王配は正室、王婿は側室だ。

 ペルフェクトゥス7世の父親は、そんな王婿のなかでも平民の出で、彼の種から生まれた第三王子など、本来なら最も王座から遠い存在だった。

 そんなペルフェクトゥスの運命を変えたのは、彼が2歳になる少し前の健康診断でのこと。男児だと思われていた(男児であったため、王位継承権はなかった)ペルフェクトゥスに女性器が発見され、彼が先祖返りであることが判明したのだ。

 およそ100年ぶりに王室に生まれた先祖返りに、国中が歓喜し、盛大な祭りが開かれた。ペルフェクトゥスはすぐさま立太子され、父親の生家は平民から男爵の称号を与えられる。さらに強力な後ろ盾として、大貴族であるオブリヴィオン公爵家の令息、フラウを婚約者とした。

 ペルフェクトゥスの人生は、わずか2歳にして約束されたものとなった。しかし、蝶よ花よと大事に育てられ、それでいて、暗殺の危険に晒されながら自由のない子ども時代を過ごしたため、ペルフェクトゥスはすっかり高慢でワガママなにんげんに育っていた。

 そんなペルフェクトゥスとフラウが初めて会ったのは、フラウが8歳、ペルフェクトゥスが10歳のとき。王宮庭園での、小さなお茶会だった。

 国王・アライックス3世主催のお茶会だったが、参加者は国王自身と、ペルフェクトゥスの実父、サーティス王婿、そして、王太子ペルフェクトゥス……ゲストは、オブリヴィオン公爵と公爵夫、そして、令息であるフラウ……。

 要は、未来の国王とその王配の、お見合いだった。


〇 〇


 10歳のペルフェクトゥスは、ずっと不機嫌だった。

 ほぼ生まれたときから決まっている婚約者……毎日毎日、着るものから食べるもの、移動する場所、道、やるべきこと学ぶべきことまで、何から何まで他人に決められている自分が、とうとう結婚相手まで自分では決められないことを知らされ、ペルフェクトゥスは両親でも手の付けられないほど怒り狂っていた。

 どうにか宥めて椅子に座らせたが、一言も口を聞かない。そんな我が子に、父であるサーティス王婿は苦笑いしながらご機嫌取りをし、母であるアライックス3世は頭痛がするかのように額を押さえた。

 ペルフェクトゥスは卵種同体の先祖返り。つまり、相手がいなくても子が産める。それなのに、結婚しなければならない意味が、ペルフェクトゥスには解らなかった。

 それに、結婚するなら女性がいいと、ペルフェクトゥスは思っていた。素敵だな、いいな、と感じるのは皆、女性だし、男は力仕事しか能のない、頭が空っぽの卑しい生き物だ……と、思い込んでいたからである。

 ただし、父、以外の男は、だが……。(ペルフェクトゥスはファザコンである)

 どうせ公爵家の令息とやらも、自分に媚びるだけのつまらない男だろう……ペルフェクトゥスは、そう思っていた。

「でんか?」

 ふんわりとした、のびやかな声にペルフェクトゥスは振り向く。耳に心地いい声だな、と、その程度に感じただけだったが、振り向いた先に、ちょこん、と立っていた小さな“花”に、ペルフェクトゥスは一瞬で心を奪われた。

 身もふたもない言い方をすれば、政略結婚にぶぅたれていた王太子が、結婚相手となる少年に一目惚れして、嘘のように手の平を返し、何があってもあの子と結婚する!と宣言した、という話であった。

 ペルフェクトゥス7世と初めて会った日のことを、フラウは思い出していた。

 10歳の王太子は、輝く長い赤毛に水色の瞳をした美少女であり美少年で、10歳で身長が173cmもある……まさに、女性でも男でもない、人以上の存在だった。

 カッコいいお方だな……と、8歳のフラウは、初めて見るペルフェクトゥスの姿に言葉を失った。王太子は男装を好んでおり、すらりとした手足がとても美しく、圧倒的で、王者の風格をすでに備えているお方だった。

 が、やはり中身は普通の……いや、普通よりもかなり高慢でわがままで利己的な10歳児で……。


〇 〇


「なんて可憐な少年……母上!父上!あれが私の“もの”になるのですね⁉」

 嬉々としたペルフェクトゥスの乱暴な言葉に、アライックス3世はますます頭痛がするかのように顔をしかめ、サーティス王婿とオブリヴィオン公爵夫は青ざめ、オブリヴィオン公爵は笑顔のまま眼光だけが鋭くなった。

 なかでも、最も驚いたのは“あれ”と言われたフラウ自身だ。だから思わず、感情のままに言い返してしまった。

「ぼくは、あなたの“もの”にはなりません!」

 そうしたことで、現場の空気はさらに凍りつく。サーティス王婿とオブリヴィオン公爵夫は、ますます顔色を悪くしたが、そんななか、ペルフェクトゥスは、あ然とした顔になり、アライックス3世とオブリヴィオン公爵の二人は、お……?という、意外な事態に少し驚いた顔になった。

「…………」

 ペルフェクトゥスは呆けた顔のまま黙り、フラウもまた、ペルフェクトゥスを睨みつけたまま微動だにしなかった。しばらく、そんな静かな攻防が続いたが、先に口を開いたのはペルフェクトゥスのほうだった。

「……この私に、そんな口を聞いたのは、お前が初めてだ」

 愉快げにそう言ったペルフェクトゥスは、ニヤリと笑って立ち上がり、まだ立ったままのフラウに近づき、おもむろに抱き上げた。

「…………!」

 まるで、高い高いをするようにフラウの小さな体を持ち上げ、自分のための椅子に戻り、満足げな顔でフラウを膝に乗せたペルフェクトゥス。フラウは怖くて、助けを求めるように両親を見たが、母には、じっとしていなさい!と、眼光で訴えられ、父は申し訳なさそうな苦笑いを浮かべるばかりだった。

 それから、サーティス王婿とオブリヴィオン公爵夫は、ひとまず安心……という顔をし、国王アライックス3世とオブリヴィオン公爵の二人は、互いに顔を見合わせ、肯いた。

 ペルフェクトゥスは、膝に乗せたフラウに名前を尋ねたり、好きな食べ物を尋ねたり、興味津々で色んなことを質問してきたが、フラウは終始、緊張しながら、それでも正直に答えた。

 とても美しく、それに何だかイイ香りがするな……と、フラウはペルフェクトゥスに感じていたが、だからといって好意は抱かなかった。彼の、自分以外のすべてを見下したような目が、どうも好きにはなれなかった。


〇 〇


「フラウ……」

フラウは、記憶が頭の中で錯綜することに少々、疲れを感じ、庭園にあるガゼボの下で休憩していたが、そこへ、父であるオブリヴィオン公爵夫が、侍従であるリングアと共にやってきた。

 うとうとしていたフラウは、突然、意識の外から話しかけられ少し驚いたが、ガゼボの中に立っているのが父だと判ると、ホッとして息を吐いた。

「父上、どうかなさいましたか?」

 公爵夫は、どこか不安そうな、悲しげな笑顔を浮かべたまま、フラウの横に腰かけた。

「記憶障害のほうは、どうだい?混乱は落ち着いたか?」

 父の質問に、フラウは苦笑いを浮かべる。対して、公爵夫もまた何とも言えない笑みを口元に浮かべた。父が本当に話したいことを避けていることを、フラウは気づいていたし、フラウが気づいていることを父も気づいているからだ。

 それはフラウの結婚のこと……。母であるオブリヴィオン公爵に、男であるお前が爵位を継ぐことなどありえない、と言われ、フラウはすぐさま『女性優位って……じゃあ、お、…僕ではなく、まさか、このレティが跡継ぎですかっ?』と、心底驚きながら尋ねた。

 訳が分からない……という顔をしているフラウに対し、両親と妹のほうもまた、訳が分からない、という顔になった。

 女男平等……という言葉にも、フラウは当然ながら違和感を覚える。普通、男女(だんじょ)ではないか?この世界では、何でも女が主体……ということだろうか?

 父と母は互いに顔を見合わせ、公爵が扉の近くに控えている侍従長に目配せする。と、侍従長は肯き、フルーティマの斜め後ろへ移動すると『お嬢様、そろそろお勉強に戻りませんと……』と、囁き、フルーティマも、『うん、分かった』と肯いた。

 幼いなりに、両親の心中を察したフルーティマは、何度か兄を心配そうに振り返りながら、部屋を出ていった。フルーティマが退出して、しばらく沈黙がつづいていたが、その静けさに耐えかねたフラウが何か言おうと口を開いた瞬間、公爵が咳払いし、『フラウ』と、ひときわ明るい声を出した。

『じきに記憶の混乱は治まるわ。それよりも、18歳のお誕生日、おめでとう、フラウ』

 18歳……自分は今、18歳。沖田慎吾は、32歳だった。18歳から、またやりなおしか……それも、こんな知らない世界で。

 つづけて、母は『7日後の結婚式が楽しみだわ!しっかり、準備をしないとね』と、溌溂とした笑顔で言った。このとき、フラウはまだ国王ペルフェクトゥス7世との成婚のことを思い出しておらず、完全に青ざめて固まった息子に、母である公爵以上に、同じ男である父のほうが、より心配してくれていた。


〇 〇


「お母上が陛下との成婚のことを言ったとき、フラウ、とても動揺していただろう?それが心配で……少しは落ち着いたかい?」

 とても悲しげな顔をしている父に、フラウは曖昧な笑顔で答えた。正直、まだ記憶が安定せず、起きているだけで疲れる。が、それを父に言ったら、さらに心配させてしまうだろう。

 このエスト公爵夫という人は、それはもう美しく、優しく、か弱い男であった。フラウはこの父に生き写しで、髪の色も目の色も全く同じ。間違いなくフラウとフルーティマ兄妹の父親だが、年齢はまだ33歳。フラウの前世、沖田慎吾とほぼ同い年だ。それで自分のような大きな息子がいるのだから、つくづく日本とは違う世界……いや、国なのだな、ということが分かった。

 そして、この父は子どもたちを心から愛しているが、それと同時に、妻であり主人でもあるオブリヴィオン公爵を恐れてもいた。

 公爵には決して逆らえず、従順な夫でありつづけている。公爵は暴力的でもないし、怒鳴り声を上げたりもしないが、穏やかな口調の半面、支配的な人だ。夫であるエスト公爵夫は、精神的にも、肉体的にも、もちろん経済的にも、完全に公爵に支配されていた。

 ケレプスクルムア王国に住まう多くの男が、こうした状況にある。皮肉なのが、身分が高ければ高いほど、女性への従属的な姿勢を求められていること。6日間、フラウは両親である公爵と公爵夫を観察しているが、父が母に自分たち子どもの前で、敬語以外でしゃべっているところを見たことがない。……この状況は、父と母の立場が逆であれば、フラウにとって、いや、沖田慎吾にとって、知っているものだった。

 沖田慎吾の父は威厳があり、それでいて温和な人だったが、専業主婦だった母は常に父に敬語でしゃべっていた。

 母は精神的にも経済的にも父に支配され、家族の世話にその生涯を費やしていたが、そのことに何の疑問も持ってはいない人。いつも何の疑問も持たずに暮らしてきたが、男と女の立ち位置が逆になっただけで、これほど違和感を覚えることだったとは……。

 しかし、フラウの頭の中には沖田慎吾としての記憶だけでなく、当然、フラウ・カースタ・オブリヴィオンとしての記憶も混在している。だからこそ、日本の慣習とケレプスクルムアの慣習、両方に違和感を覚え、とても疲れるのだ。

「ご心配をおかけして、申し訳ありません、父上……まだ、この“世界”に慣れなくて……それに、18歳で結婚だなんて、あまりにも現実離れしていて……」

 フラウは今の率直な気持ちを、父であるエストに告げた。

「それは、つまり……フラウが過ごした“以前の世界”では、18歳で結婚はできなかったのかい?」

 父の問いかけにフラウは頭(かぶり)を振り、『法律上はできましたが、18歳は、ほとんどの場合が学生で、まだ子どもでした。男女ともに、成人は20歳でしたし……』と答えた。

「なるほど……18歳は、フラウの以前の世界では子どもなんだね。それは確かに、結婚なんて戸惑うだろうね……でも、フラウの結婚は、普通のそれとは違う、ということは解るね?」

 彫刻のように美しい父の顔が、悲しげに歪む。口元は笑っていたが、目は今にも涙がこぼれ落ちそうなほど、涙で潤んでいた。


〇 〇


つづく

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