【セカンド・ロティシヨン(2/2)】

 ◇――――◇――――◇


 物質マテリアルとしてゾーイを診た時、真っ先にS.S.Sが着目したのはその

 微量な増加、それもたった二一g。


 ただそれだけの変異だというのに、ゾーイの精神汚染は異常なほど深刻だった。


 覚醒すると同時に奇声を発し、泣き叫び、暴れだし、自傷行為を繰り返した。同調サイバネティクスによる制御すら押し返すほどの心的外傷トラウマが、表象化出来ぬ副意識サブ・イドの領域から絶えず沸き起こっていた。波形は複雑に乱れた、まるでゾーイ自身が、S.S.Sとの同調を拒んでいるかのように。

 何度となく鎮静剤を打たれ、その都度四肢の義躯を安全な物に取り替えられた。体幹の物理的検査は成されたが、異常は先の増量のみ。情緒障害メンタルバーストによる弊害や、前作戦におけるサイバートラップの経験から、システム面での解析措置は随時先送りとなり、療養を兼ねた監視体制がくり返し実施される。


 結果、処置は逐次棚上げされ、ゾーイは誰にも相手にされないまま長い時間を何処とも知れぬ独房で過ごした。誰からの助けもなく、話しかけられる事もなく、ただ怠惰な時を過ごしながら、時折訪れる暗い心の影に脅えていた。


 その胸中をS.S.Sが知ることは無かった。


◇――――◇――――◇

 実のところ、S.S.Sは忙しかった。事態処理コンサルティングに割り当てられたトラフィックはメインサーバの実に八%にも跳ね上がっていた。この容量は、アンジェリが担当していた時期に比べておよそ三倍の数値だ。


 後発の部隊にゾーイが回収されたそのとき、彼女は脱出に使用された機棺の中で膝を抱えていた。内部の衝撃緩和材ショックアブゾーバーは剥ぎ取られ、代りに薄汚いぬいぐるみが大量に収められていた。長期間の空気圧縮による弊害で綿はすべて潰れており、代替品としての役割は担えそうになかった。

 ゾーイの鎧脊は接続ジョイントを含む外殻がすべて外されており、同様に機棺の通信機器も殆どが取り外されていた。唯一残された電子機器、外部にテープ止めされていた発信器が最初に作動したのは、ゾーイが行方不明になってから百時間近く経過してからだ。それまでに機棺は当初の着水地点から百kmも南に漂流しており、近辺の海岸を何遍も往来していたことになる。

 当然不審に思ったS.S.Sは回収作業を慎重に進めたが、案の定これも策の内だったようで、作業艇を二隻と母機に当たる小型潜水艇を一機失った。艦の奪還作戦も検討されたが、海溝に潜水されたためコストパフォーマンスが跳ね上がった事を理由に見送られた。結局ゾーイと機棺が正規部隊に回収されたのは、事件から約一週間以上後の出来事となった。


 他にも理由がある。先遣部隊を積んだ全翼機の撃墜により、S.S.Sは仮想敵への警戒レベルを最大限まで引き上げた。陸上部隊で使用可能な火器と重機の大多数をかき集め、三個師団相当を第二次侵攻作戦に費やした。ペイロードに掛けるコストは破格の値をたたき出し、それまでのS.S.Sでは考えつかないほど苛烈な報復措置丁重なおもてなしを相手は受ける筈であった。

 しかしそこには巨大な鋼の花クレーターと朽ちた保護領まちがあるだけで、何処にも敵の姿は見受けられなかった。それもそのはずで、対的立場を表明していた該当保護領の国力は、S.S.Sの標準的保護領の三十分の一にも満たない弱小勢力であり、そもそも全翼機による視察事態、彼の勢力が壊滅したかどうかを確認するために編成されたのである。


 三個師団分の資材を運び出すために費やされたあらゆるコストが徒労に帰した。駐屯させるにも再稼働させた資源プラントの規模で部隊の整備維持を行うのは絶望的で、帰投計画は予想以上に困難を要した。幾つかの小規模部隊が搬送中に野良バグ防衛機械ガードマンたちの襲撃を受けて壊滅し、高度搬送路として活用を見込まれた山道は地滑りで使い物にならなくなった。取り残された機械たちは、野生化を危惧されて自爆処理される。

 これらの失態を受けてS.S.Sは、相対的にエージェント・アンジェリの再評価を下した。だが皮肉にもその失態を招いたのは彼の分岐した過去バックアップより模られたコンサルマシンであった。そして四角四面とした対応策しか執れないアンジェリの同類達はというものを度外視し、周囲の保護領を無遠慮に酷使した。そして酷使された同盟保護領が協定の破棄と資源横領への報復として宣戦布告、さらなる混沌センソウを招く結果となった。

 今、S.S.Sは誰もが危惧した最終戦争アーマゲドンの真っ最中だが、予想に反してそれは厳かで静かで、圧倒的物量と細々とした作業の累積による、酷く退屈な代物となっている。


 そういった経緯もあって、S.S.Sによるゾーイの処理はさらに数週間棚上げされた。


◇――――◇――――◇

 ここからはゾーイ自身の話になる。

 ただし、これらの過程をゾーイは完璧に把握できてはいない。殆どは闇の中で時折現れるの幻影に脅える間に、暗中模索しながら導き出した。おぼろげに掴んでは、幾度となく捨てていった心的表象イメージ。脅えながらまた掘り起こし、少しずつ傷を繰り返すうちに定着させた。

 その過程と心象の大多数をS.S.Sは感知せず、全てはゾーイの胸中にのみ存在している。


 そのときゾーイは暗闇の中で目覚めた。

 不思議なことにゾーイはその当初、培養槽の中を思い返していた。ほどよい暖かさや肌の心地、一切の負荷ストレスを感じない姿勢がそう思わせたのか、ともかく、目覚めのそれ自体は極めて穏やかに感じていた。

 ARは起動せず、辺りがどの程度の広さなのかは想像もつかない。ただし、恐ろしく手狭な事だけは実感できた。肌という肌、指という指に、『なにか』が絡みついていく。全身を抑圧する。吐く息が即座に頬を撫でる。四肢の表面をなにかが這いずり、下腹と双房をなにかがねぶりつく。唇や鼻に吐息が掛かると、次いで貪るように吸い付いてくる。


――――だ、とゾーイはそう思い返した。

 実物を見たことは無いが、直感的にゾーイはそれを連想した。鱗の無い異形の蛇が、自身の四肢に纏わり付き、愛撫している。暗闇の中で何者かが耳元でささやき、不思議と懐かしい居心地だった。やがて人肌のようなぬくもりがゾーイを包んだとき、ずん、といった感触と供に、ゾーイの肉体は貫かれた。

 それが蛇でなく、を模した『なにか』だと気がついたとき、ゾーイは叫びたかったが、声が出なかった。


 思い返すだけでゾーイは背筋が凍った。

 鎧脊の外された裸の背中が震え出す。

 どれほど悔しかっただろう、どれほど空しかっただろう。されとてあのとき声が出たところで、周囲に味方はだれもいなかった。助けてくれる者などだれもいなかった。だから悲鳴が出たところで、己が無力さをより明確にする分、苦痛だったに違いない。

 ブランケットを握りしめながら、気持ちの悪い汗をかいた。真の恐怖というものは、思い返す瞬間にこそ最も強く表れる。生まれて間もなく全翼機に乗せられ、予期せぬ戦闘に巻き込まれてもゾーイが平然としていたのは、それまでの過去をゾーイが持ち合わせていなかったからだ。


 ゾーイはそこで過去を得た。恐怖も。

 おぞましい『なにか』と過ごす日々、得体の知れない人の形を模した者に愛撫され、陵辱される日々。そして次に目覚めてからは、S.S.Sの分身たる機械たちは、検分と称して同じ事をゾーイに施そうとしてきた。身内が、トラウマを掘り返し、再度傷つける。それは『なにか』と過ごした時間に比しても、勝るとも劣らない悪夢だった。

 ゾーイは叫んだ、ゾーイは啼いた、ゾーイは吠えた。あのとき口に出来なかった言葉を、ありったけの罵倒を、だれも居ない虚空に叩きつけた。当然のようにS.S.Sはゾーイがバグったと認知し、相応の対応を実行してゾーイを絶えず眠らせ続けた。その間もゾーイは、身内に腑分けされる恐怖を延々と刻まれ続けた。

 己の無力さを、儚さを恨んだ。こんな脆弱な身体を憎しみさえした。


 ゾーイには分かった。危機意識やリスク回避、客観的観測に頼らないこそがヒトと機械を分かつ唯一の定義だと。それを乗り越え踏破し超越し、逆に支配してこそ、はじめて恐怖が改称される。前に進める。ゾーイはそう信じた。

 やがてゾーイは、独りで笑うようになった。

 暖かな微笑みからはほど遠い、絶望に充ちた冷たい笑顔。


 ゾーイはを憎しみ、恐れ、思い続けることで自己の精神を保つことにしたのだ。

何故かは分からないが、ゾーイは『なにか』をだと認知していた。その方が、より憎悪オモイが強くなる気がしたから。


 は今も、常にゾーイの心の中にいる。

 ゾーイにしか見えない、ゾーイにしか会えない、幻の――


 ◇――――◇――――◇

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る