勝ったって言っていいのかな、これ?
「待て。待ってくれ」
シヅマの機先を制するように、五は急に会話を求めてきた。絶妙な間である。シヅマの意気は大きく削がれてしまったのだから。やむなくシヅマは五の首が届かないぎりぎりの場所で対峙した。
「おい、なんだ、いきなり? ここまで来て、降伏するってんじゃないだろうな?」
「我の負けだ。それにお互い、これ以上の戦いは無益であろう?」
「いやいや、ちょっと待て。散々このあたりを荒らし回って、今更勝手なこと言ってんじゃねえよ」
「承知している。だからこそ、双方が納得する落とし所を探したい」
「そんなこと言われてもなあ……だいたいあんたを倒さないと、みんな納得しないぜ。特にあんたに殺されたやつの家族とかはな」
「我は望んで人を殺したことはない」
「言ってることがおかしくねえか? さっきオレのことを見た途端、餌か何かと言ってたじゃねえか」
「確かに言ったが、それは我ではない。そう言ったところで信じてはもらえぬだろうがな。人よ、しばし時をくれぬか? 我の事情を知り、それでもなお許せぬのであれば、好きにするがよい」
「ああ……分かった。ただ、話す前に先に言っておきたいが、オレはシヅマってんだ。人だなんて、大雑把に括るな」
「そうか、感謝する。シヅマよ」
今までの戦闘が嘘のように温和な態度の五には、どうにも調子を狂わされる。言葉で翻弄して、隙でも作らせようとしているのではないかとの疑念もあるが、様子を見る限り、五に殺意も害意もなさそうなので、余計に判断に困るのだ。
五が語るには、彼はこのあたりを
仙になった以上、食のための殺生をしなくてもよくなったのだが、蛇の本能は貪欲であり、最初は鼠や栗鼠などの小動物から始まり、身体が大きくなるにつれ、猪や鹿などの大型哺乳類を食すようになり、いつしか身体は山よりも大きく、そして、いつの間にか八本の首が生えていたというのだ。
人であれ、獣であれ、仙になったものは不殺生という禁戒が課せられる。誰かが決めた律令ではなく、自然とそうなるのだ。
その天機を犯したものは過失や事情を問わず、罪に応じて、相応の罰が下される。欲望の赴くままに殺生を繰り返した蛇には取り込んだ命が邪となった八本の首が生え、蛇は妖魔九頭竜と堕した。ホツマの国で猛威を振るう妖魔、妖怪の類は堕落した仙のなれの果てだ。
自身でありながら、全く制御が効かない八本の首は食料としての人間を好み、蛇が寝ている間に村を襲い、人を食らった。
蛇は人間の恐ろしさを骨の髄まで知悉しており、いずれ討伐される恐れがあるから、これ以上の無法は止めるよう他の首に諭したが、彼らは聞く耳を持たず、その後も奔放に暴れ続けた。
まもなく蛇の恐れていたことは現実となった。はるか西より海を渡って、旅をしてきたという呪術師が九頭竜を封じ、その姿はドウヒョウの地下で迷宮となったのである。生きながら姿を変えられる苦痛は筆舌に尽くしがたく、蛇は痛みに耐えかね、激しく泣いた。他の首もそれぞれが呪詛の言葉を発しつつ、絶叫しながら、のたうち回った。
最後に呪術師は木塊を取り出し、かろうじて形の残っていた蛇の口にそれを放り込んで、こうつぶやいた。
「こいつで封の効力は永続化する。何が奏功するか、分からんものだな。よもや戯れで作った呪具がこうも使えるようになるとはね」
話が呪術師の独白に及んだところで、シヅマははっとして、九頭竜の話を一旦止めさせた。まさかとは思ったが、その木塊とは紛れもなくこの棍棒のことだろう。シヅマは棍棒を九頭竜にも見えやすいよう手を掲げた。
「なあ、その木塊ってのはこいつのことか?」
「おお、それじゃ。忘れもせぬ。くうっ、なんと忌々しい。しかし、なにゆえ、そなたがそれを持っている?」
「あんたの腹の中にあったんだよ。まさか封印の核だったとはね」
「そうか。なら、そなたは我の恩人であるな」
「よせよ。オレは別にあんたの封印を解こうなんて思っちゃいなかったんだからな」
「それでも我は解き放たれた。だからこそ、シヅマよ、もう少し我を生きながらえさせてはくれぬか? 我は何もこの世を謳歌したいのではない。我を封じたものに鉄槌を下してやりたいのじゃ」
九頭竜を封じたのはもう数百年前の話だというから、さすがに当の呪術師は生きてはいまいが、同じ被害者として、九頭竜の心情はいたく共感できた。
こうなると、シヅマはもう九頭竜を討てない。この棍棒の呪いの辛さをわかり合える唯一の存在、言い換えれば盟友に出会ったようものだ。もはや、九頭竜を討伐するものから、身を挺して守ってやりたいくらいだ。
しかし、現実がそれを許さない。愛するものを失ったもの、住む場所を奪われたもの、経済的な大損失を被ったもの、そのすべてが九頭竜の滅びを願うだろう。ここでシヅマが見逃したとしても、誰かがきっと九頭竜を討伐しに現れる。遠くない未来に九頭竜の死は必定となろう。
どうすべきか、シヅマは頭をかいて、うなった。
「ああ、もうどうすりゃいいんだ。討伐依頼は破棄出来るが、まさか九頭竜と和解したなんて通じねえだろうし。何か討伐したって証がありゃいいんだが」
「それなら、我に一つ考えがある。しばし待て」
そう言うと、九頭竜は四の首許に噛みつき、力任せに引きちぎろうとした。肉が無理矢理引き裂かれる不快な音がしたかと思うと、弦がまとめてちぎれる甲高い音が続き、首は胴から離れた。
五は口から首を離すと、次の首に取りかかっていく。首八本分の不協和音を響かせ、最後の一本が地面に落ちたとき、シヅマは塞いでいた耳からようやく手を離した。
「おい! あんた、そんなことして、大丈夫なのか?」
「心配はいらぬ。もう傷も塞がっているはずだ」
九頭竜の言葉通り、傷は見る間に塞がり、元々首など生えていなかったかのように鱗に覆われていった。妙な形になりはしたが、九頭竜ならぬ一頭竜は妙に爽然としている。
だが、肝心の五と胴体は偽装工作はできない。しかも、これだけの巨体、隠そうにも隠す場所がない。今度こそ完全に詰まってしまったと思ったそのとき、シヅマの背後から第三者の声がかかった。
「ふっ、話は聞かせてもらった。今こそ、余の出番だな!」
シヅマが肩越しに振り返ると、魔王を僭称する鬼火がこれ見よがしに宙を跳ねていた。シヅマは無感動に魔王を眺めやったあげく、それ以上は何も言わないで、視線を元に戻した。
「無視は止めろ! 余、泣いちゃう!」
「うるせえな。今、大事な話してんだよ。つか、アトリはどうした?」
「安心せい。そちの妹がアトリの面倒を買って出てくれたのだ。なかなかにどうして、そちの妹は器量がよい上に気立てがよい」
「知ってる」
シヅマは真顔で頷いた。キサのことを褒められて、悪い気はしない。少しばかりは話を聞いてやろうという気にもなろうものだ。
「で、何がどうしたって?」
「余は何もできぬ」
「あ?」
「待て! その物騒な代物をしまえ! どうしてそちは余の話を最後まで聞こうとせぬのだ?」
「もったいぶるな……ああ、ようやく分かった。オレがおまえに苛つくの。エルクと一緒だわ。回りくどいところが特に」
「ぐぬぅ、あんなちんちくりんと一緒にされるとは。なんたる不覚。いいか、余の生前の姿を見れば、きっとそちも腰を抜かすぞ」
「いいから話せよ。それとも、今度こそ冥土に送られるか?」
シヅマの露骨すぎる脅迫に屈した魔王は屈辱のうめき声を上げつつ、九頭竜の前へと近寄った。突如現れた人魂に怪訝な顔をしていた九頭竜もシヅマの様子から信頼に値すると判断して、話を聞くために首を寄せてきた。
「さて、九頭竜と言ったな? そち、昇仙したのならば、人化の術も使えるはずだ」
「人化の術?」
「そうだ。文字通り、人に化ける術だ。仙ならば、呼吸するのと同じくらい自然にできるはずだぞ」
「そうなのか? ならば、試してみるとしよう」
「だが、その前に確認しなければならないことがある。そち、名はなんと申す?」
「我に名などない。人は我を九頭竜と呼んではいたが」
「なるほど。だから、人化の術ができないのだな。人の姿を保つには名がいる。ないのなら、今名づけよ」
そう魔王に言われたものの、個体名など必要なかったから考えることもなかったので、五は不格好になってしまった胴をくねらせ、そのたびに大地を揺らしながら、煩悶した。しばらくして、妙案を思いついたかのように晴れ晴れとした表情を浮かべた。
「おお、そうじゃ。シヅマよ、そなたが我の名をつけてくれぬか?」
「ふぁっ?」
魔王と九頭竜の話が長くなりそうだったので、夜明けまで休もうと思って、目を閉じたところに、九頭竜から妙な提案をされ、シヅマはつい素っ頓狂な声を上げてしまった。寝入りばなに名づけ親になってほしいなどと頼むのはあまりにも責任が重すぎるというものだ。
そう言ってやりたいところだったが、五が期待に満ちた目で見つめてくるので、嫌とも言えない。傍目から見たら、獲物を見つけた大蛇が舌舐めずりをしているようにしか見えない光景の中、五の新たな名前を考えていると、魔王がやたらと圧をかけてくる。
「せいぜいよい名をつけてやるのだな。名は体を表すと言うだろう? 名前次第で見た目も変わってくるでな。あとは……おっと、これは黙っておくかの」
思わせぶりな魔王の科白だったが、シヅマは意に介さなかった。よく見れば、空が白み始めている。朝になれば、誰かが様子を見に来るかもしれない。それまでにどうにか名前をつけてやらねばならなかったからだ。そんなシヅマに天啓が舞い降りた。
「カノ……」
シヅマがつぶやいた名前はこのあたりの山脈の名前である。キナダ山もそこに含まれるが、鬼の泪を意味する名を五に与えるのは違うと思ったのだ。
「ほう、それが我が名か? よき名じゃ! うむ! 今より、我はカノぞ!」
五改めカノが天に向かって宣誓すると、カノの巨体が突如光に包まれていった。九頭竜の形を取っていた光は球体となり、急激に縮む。球は人間大まで縮んだかと思えば、今度は人の形に変容していき、光が弱まるにつれ、全容が明らかになっていく。
そこに現れたのは一人の女だった。一糸まとわぬ姿の。
「これが我か。ど、どうじゃ、シヅマよ? 我の姿は?」
「その前に服を着ろ!」
魔王が黙っていたのはこのことだったのだと憎く思いつつも、シヅマは少しばかり感謝もした。その魔王は忍び笑いをしつつ、変化する際に服も生成出来るのだとカノに教えてやると、カノはまだ蛇だった頃に出会った人間たちが着ていたものを思い出し、魔王との試行錯誤を繰り返した後、どうにか形になったらしい。
名前を呼ばれて、振り返ると、清楚と妖艶という二つの相反する要素が一つになったかのような女がそこにいた。
嫋やかで、癖のない緑髪は腰まで伸び、頭頂部には美しい細工が施された簪が挿されている。切れ長の目は涼しく、目尻には紅をさしている。同じように額にも紅で何かの文様が書かれ、唇は赤々として艶やかだ。白の襦袢に朱袴という出で立ちは巫女を思わせるが、全身から吹き出るような怪しさが邪神崇拝をしているようで、なんとも近寄りがたい雰囲気を与える。
「はあ……なんとも変われば変わるもんだな。何て言ったらいいのか、よくわかんねえが、まあ、悪くねえと思うぜ」
「おお、そうか? 『父御』もそう思うか?」
「うん? 今何て? テテゴ?」
何か、恐ろしいことになったような気がしたシヅマは狼狽えて、つい魔王の方へと視線を動かした。その魔王はしてやったりと言わんばかりに震えている。
「どうやら知らなかったようだな。何かに名を与えると言うことは親子の契りを交わすのと同じこと。つまりそちたちはめでたく親子になったというわけだ」
「うぉい! ちょっと待てや! オレが親か? オレ、まだ童貞だぞ!」
「それが天理というものだ。まあ、親子になったからと言って、特段不都合なことはないので、安心するがいい」
朝日がまるで新たな親子を祝福するかのように、東の水平線から上がり、カノは大輪の花が咲いたかのような満面の笑みを浮かべて、シヅマを見つめている。
「なんだ、これ?」
九頭竜を討伐しに行ったら、九頭竜の親になっていた。何を言っているのか、分からない状況で、シヅマは呆然と立ち尽くすしかなかった。
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