第26話 出撃


(一人足りない……!? なぜでしょう)


 その時私は、ミス・キャンベルの言葉を思い出しました。


「あ……! そうです、ベルガモットという人が遅れていると言っていました」

「なにィ? こんな大事な時に遅れるんじゃない! ろくな女じゃないぞそいつは!」

「まあ、まともな人は龍を食べようなんて思いつきもしませんからね……」

「イリヤさん、続けて報告致します! 黒(ノア)の密度が上昇! 民家密集地帯にも流れ込んでいるようです!」


 イリヤさんの遠慮ない舌打ち。イライラと髪をかきむしりながら、


「ここで結界を展開しなければ、黒(ノア)に首都を乗っ取られる。しかし全員まとめて始末しなければ、百五十年前の二の舞だ!」

「残り一人の場所は分からないのでしょうか」

「観測手。可能か?」


 観測手の女性は、難しい顔で首を傾げます。


「観測範囲を広げることは可能ですが、どこにいるのか見当がつかないと、魔力の無駄遣いになります。わたくしのこの魔術も、長くもつものではございませんし」

「ならば足を使って探すしかないな。ダンケルクに連絡を繋いでくれ」


 連絡係の男性が、術式を用いて目の前にぼうっと光る火の玉を呼びます。


『呼んだか、イリヤ?』


 その火の玉からダンケルク様の声が聞こえてきます。セラ様が興味深そうに


「わあ、遠隔との連絡魔術ですか! 実際に見るのは初めてです」

「ふふん、だろう? 前から暖めていた理論をこの日のためにちょびっとばかり応用したんだ。連絡可能距離を延ばすのが大変でな……」

『おい、さっさと用件を話せ。急ぎなんだろ?』


 ダンケルク様の声に、イリヤさんが魔術師モードから指揮官モードに切り替わります。


「悪い知らせだ。五人姉妹の内一人が欠けている」

『なんだと? こちらの作戦を感づかれたのか?』

「単純に遅刻しているらしいが、詳細は分からん。だがそいつを捕まえて都市に放り込まない限り、五人を一斉に退治することはできない」

『ああ、だから俺か』

「そうだ。最後の一人を足で探してほしい。こちらへ向かっているというからには、さほど遠い場所にはいないだろう」

『分かった。技官に簡易<秩序>魔術の札を大量持たせてくれ。そいつを拾っていく』


 声の向こうで、鷹の鳴き声のような音が聞こえました。夜に鷹とは妙な組み合わせです。

 ですがアレキサンドリア様には心当たりがあるようで、部屋の端の方でにんまりと笑みを浮かべています。


「その鳴き声――そうか、許可が下りたか」

『首都防衛ともなれば、国王陛下もかわいい幻獣を出さざるを得ないだろう?』

「国宝級の生物なのだがな?」

『恐れ多くも治癒魔術の大家であらせられるウィル殿の随行を条件に、お貸出し頂いた次第で』


 この様子ですと、若旦那とダンケルク様は行動を同じくしているようです。

 イリヤさんが呆れたように、


「どうせ脅すなりなんなりしたんだろ。ったく、モナード家の跡取り息子は押しが強い」

『その押しが通用しないメイドもいるがな』


 意味深に付け加えるダンケルク様。そのお言葉を最後に、火の玉がふつりと消えました。

 

「あの……幻獣って?」

「この世で一番早く空を飛ぶ生き物のことさ。索敵にはちょうどいい。――観測手、他の四人はまだ首都内にいるな?」

「はい、依然として黒(ノア)をばらまいています」


 一人の技官の方が、緊張した面持ちでイリヤさんに報告をします。


「イリヤさん。首都内の全てのポイントで、結界展開準備完了したとのこと。即時展開実施可能です」

「分かった。――リリス、セラ殿。始めてくれ」


 私とセラ様は顔を見合わせて頷きます。

 アレキサンドリア様がすっくと立ちあがると、両手を私たちに差し伸べます。


「あたしがついていられるのはここまで。あとはあんたたちの頑張り次第だ」

「はい」

「がんばりますっ」

「ん。あんたたちに幸運がありますように!」

 

 アレキサンドリア様の体が金色の砂となってほどけていきます。

 偉大なる大魔女が遺した情報の集合体は、<秩序>魔術による結界を展開するための楔へと姿を変えていきました。


 それは見事な蔦の意匠と、金色の房のついた楔でした。


(ありがとうございます、アレキサンドリア様……。あなたの成し遂げられなかったことを、私たちがやり遂げてみせます)


 私たちはそれを握りしめ、それから一気に地面に突き立てました。

 ぶわりと漏れ出る光と暴風が、部屋を満たしてゆきます。あふれんばかりの魔力のせいで肌がちりちりするくらいです。


 例えるなら、膨れた風船に針を刺すような。

 せき止めていた水が、わずかな穴から決壊するような。


 そんなふうにほとばしる魔力に乗せて、私は<秩序>魔術を唱えます。


「”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<秩序>で覆え”!」

「援護します、リリスさん!」


 金色の魔術陣が目もくらむほどに瞬いて、部屋を突き抜けこの一帯を覆いつくしていきます。

 ぱりっと糊のきいたシーツを、寝台に広げるように。四隅をしっかりと織り込んで、かすかな皺もないように。

 そんなイメージで<秩序>魔術を首都全体に押し広げ、伸ばし、包み込みます。


 もちろんそれはセラ様の援護あってのこと。まるで氷の上を軽やかに滑っているように、私の魔術が広がってゆくのが分かりました。


 首都に散らばったアレキサンドリア様の分体が、私の<秩序>魔術を受け、次々と楔に姿を変えていきます。その楔で、しっかりと結界を固定し、また結界を押し広げるのです。


「……キャンベル家の姉妹たちに変化あり。黒(ノア)を激しくばらまいています!」


 観測手の方が押し殺した声で叫ぶのを、どこか他人ごとのように聞いています。

 なぜなら、それは私が今肌で感じていることだから。


 広げた真っ白なシーツに広がる、インクをこぼしたような黒い染み。


「させません。セラ様!」

「はいっ」


 セラ様の治癒魔術が、私の<秩序>魔術に絡みつき、強度を上げて下さいました。

 <秩序>魔術が持つ、要素を分解する力を増幅させることで、黒(ノア)を片っ端から追い払っていきます。

 じわりと薄くなってゆく黒い染みに手ごたえを感じた瞬間、また別の場所から黒い染みがにじり寄ってくるのを感じました。


「なかなか……相手も手ごわいようですね!」

「大丈夫! わたしとリリスさんですもの、例え相手が五人でも十人でも、負ける気はしませんよ!」

「はい!」

「……じゅ、十人は無理かもですが!」


 律儀に訂正を入れるセラ様に思わず笑ってしまいます。


(――大丈夫。できます。やれます!)


 気合を入れる私とセラ様。

 それを見守っていたイリヤさんが、誰にともなく呟きました。


「しかし、これは――根比べになるだろうな」






 果たしてイリヤさんの言った通り。

 私たちとキャンベル家の姉妹たちは、完全な膠着状態に陥りました。


 どちらかが圧倒しようとすれば、どちらかが踏ん張り、片方が緩めば、片方が攻め込む。

 天秤のごとく釣り合った力関係に、私たちは汗を滲ませます。


 私たちはまだ全力を出し切っていません。五人全員を首都の結界に入れた状態で、<秩序>魔術を使わなければ、彼女たちを消滅させることはできないのですから、全力を出すのはこれからです。


(とはいえ、もう一時間はこの状態です……! まだまだやれますが、しかし、首都の様子はどうなっているのでしょうか……)


 それに、遅刻しているベルガモット・キャンベルを追っているダンケルク様の様子も気になります。

 まだ探しているのか、それとも既に彼女を見つけて、戦闘になっているのか。


 私は第六感がある方ではありません。嫌な予感とか、虫の知らせとか、そういうものに縁がない方なのですが。


(なのに、なぜでしょう、どうしてこんなに、足元をじりじり炙られているような、不安な気持ちになるのでしょう……?)


「あっ、り、リリスさん!」

「え? あっ、わあっ」


 結界の端が大きく切り裂かれました。シーツの端を何かにひっかけてしまったときのように、びりりと避ける結界の隙間から、ぶわりと黒(ノア)があふれ出しそうになります。

 私とセラ様は慌てて踏み留まり、結界の修復にかかります。


 そう難しいことではありませんし、大して時間を食うことでもなかったのですが、嫌な予感はますます強くなってゆきます。


「……ダンケルクの奴め、遅いな。連絡は?」

「それが、先ほどから試しているのですが――応答がなく」

「なんだと?」


 イリヤさんのまなじりがぎりりと吊り上がります。


「それはいつからだ」

「五分――いえ、七分ほど前からです!」

「チッ。他に動ける手勢はいるか」

「第六部隊が向かっていますが……ん?」


 上の方でけたたましい鳴き声が聞こえます。

 それは壁に体をこすりつけながら、甲高い声を上げて小部屋に飛び込んできました。

 翼を大きく広げ、机に広げられていた羊皮紙やら地図やらを盛大に吹き飛ばした、その生き物は――。


 下半身は獅子、上半身と翼は大鷹の加護を持つ幻獣、グリフォンでした。

 なめらかな毛並みの体躯、白と黒の羽が美しいコントラストを描く美しい翼。気高い金色のまなざしは、まさしく幻のけものと呼ぶにふさわしい威容(いよう)を放っています。

 その美しさ、その希少さゆえに、国王陛下が大事にされているこの生き物が、どうしてここにいるのでしょう?

 

「ぐ、……グリフォン!?」

「おいお前、乗り手は――ダンケルクはどうした?」


 イリヤ様の鋭い言葉。見ればグリフォンの背には、血と黒(ノア)がべっとりとこびりついています。

 嫌な予感が現実の塊になって、お腹の中をぞろりと落ちてゆくのが分かりました。


(この血は――誰の血でしょう?)


「だ、ダンケルク様はこの生き物に乗っていたのですか?」

「ああ。グリフォンはこの国で最も速い生き物だからな。何かを探すには最適の足だろう。そのけものが、たった一頭でここにいるということは……」


 珍しくイリヤさんが言葉を濁します。その先は言わずとも分かっています。


 私はグリフォンをじっと見つめます。聡明なこのけものは、臆することなく私を見つめ返してきます。

 けものの美しい金色の瞳が、私を促し、急かしているのが分かります。


「……分かりました。ベルガモット・キャンベルを捕らえられないというのならば、こちらから出向くしかありませんね」

「なに?」

「結界の端を引き延ばして、無理やりベルガモット・キャンベルを包囲します」


 頭の端が妙に冴え渡っています。

 万事心得ているとばかりにひざまずいたグリフォンの背中に乗ると、すぐにもう一人またがってきました。


「セラ様」

「わたしも行きます! 結界を広げるならわたしの援護は欠かせないでしょうし、それに――ダンケルクさんのところには、ウィルさんもいるはず」

「では私たちの目的は同じですね」

「はいっ。あの人たちを助けに行きましょう!」


 気分はさながら、お姫様を助ける騎士のごとく。

 グリフォンはその大きな翼を広げました。

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