第17話 落下

 快晴に恵まれ、トリンドルの丘には気持ちの良い風が吹いていました。

 あちこちに、密かに武装した兵士の方々がいることに目をつむれば、のどかで平和な光景です。

 丘の北側には滝の流れ落ちる崖、南側には緑豊かな森が広がっているそうです。申し分ない行楽地と言えましょう。


 私たちはバスケットを兵士の方に預けました。まずはお仕事が先ですからね。

 セラ様は風で飛ばされそうなフードを片手で押さえながら、緑のじゅうたんを敷き詰めたような丘を指さします。


「『黒煙の龍』は首都攻撃に失敗し、この丘に逃げてきました。百五十年前だから、あんまり痕跡は残っていないようですが」


 丘の真ん中あたりで、セラ様はぺたんと腰を下ろしました。


「ここで『大魔女』がとどめを刺しました。<秩序>魔術を練り上げ、純度の高い剣にして、龍の体に突き立てたんです」

「魔術を練り上げて、形あるものにする……。そんなことができるのですね」

「火事場の馬鹿力ってやつだと思います。サンドラ、とっても怒ってましたから」

「怒っていた?」


 そう尋ねれば、セラ様は照れくさそうに、


「実は首都攻撃を防ぐ段階で、わたし――つまり『大聖女』が龍の攻撃で大怪我を負ってしまいまして……」

「ああ、それは怒るでしょうね」


 ぞわり、と背筋を駆け抜ける、嫌な怖気。前世の記憶など持ち合わせておりませんが、それでも、あの時の怒りと恐怖を追体験できるようです。


「『大魔女』の怒りが、自分のことのように理解できる……この私の感情はどこから来るのでしょう? 私は『大魔女』の生まれ変わりではないのに」

「『大魔女』は種をいくつか残したと前に言いましたが、その種の中に、ちょっとした誘導を入れてみたら、とわたしがアドバイスしたんです」

「誘導ですか?」

「生まれ変わりではありませんから、サンドラの全ての記憶、感情、知識を引き継ぐことはできません。記憶や知識は、生まれ変わりであるわたしがある程度カバーできるでしょうが、感情はそうはいかない」


 感情こそが<秩序>魔術の鍵である、とセラ様はおっしゃいました。


「感情が……鍵なのですか」

「はい。<秩序>魔術を正しく操るためには、感情を自覚しながらも、それを抑制しなければならない」

「……涼しい顔をして、内心では烈火のごとく怒っているような感じでしょうか?」

「そうです、そんな感じ! だから『大魔女』は、自分の感情と似たような思いを誘導する、そんな仕掛けを施したのです」

「全く同じ感情ではないけれど、似たような思いを誘引して<秩序>魔術の引き金にする感じですね」


 こくんと頷いたセラ様は、丘の上に寝転がると、手足をじたばたさせました。


「剣を突き立てられた龍は、こんな感じでじたばた暴れました。あちこちに鱗やら血やらが飛び散って、ひどい断末魔の声が聞こえて」

「そうして『大魔女』は龍の頭を落とそうとしたけれど――」

「はい、ですがそれは、龍が飛び立ってしまうまでのこと。龍は最後の力を振り絞って、自分の首を落とす剣から逃れ得たのです」


 『大魔女』ともあろう人が、どうして仕損じたのでしょうか。

 龍が強すぎた? 窮鼠猫を噛むの言葉通り、『大魔女』さえも想像のつかない力を発揮したのでしょうか。


(……なんでしょうか、なにか、引っ掛かるものがあります。私にも記憶が残っていれば良いのに)


 セラ様の横に腰かけてみます。寝ころぶと青い空が見えて、このまま空の中に落ちていきそうな錯覚を覚えます。


「私が、対峙していたのは、龍だけだったのでしょうか……?」

「え?」

「なにか忘れているような気がするのです。いえ、私に記憶はないので、忘れているというのも妙な話なのですが」

「んー……。わたしも大怪我を負って使い物にならなかったとは言え、この場にいました。『大魔女』が戦っていたのは龍だけだったと思います」

「そう、ですよね」


 記憶が残っているセラ様がそうおっしゃるのですから、やはり私の勘違いでしょう。

 それにしても、風が気持ち良いです。

 程よい日差しと鳥の鳴き声を静かに堪能していると、さくさくと草を踏む音が聞こえて参りました。

 ひょっこりと顔を覗かせたのは若旦那でした。


「リリス、セラさん。そろそろご飯にしないかい? ダンがウサギを何羽か仕留めて、今焼いてくれてる」

「ウサギって仕留められるんですね!? やっぱりダンケルクさんってすごいです……!」

「一応、私も手伝ったんだよ。罠を仕掛けたりしてね」


 ちょっとむくれた子どものように、言葉を付け足す若旦那。セラ様はくすっと笑って、分かっていますよ、とおっしゃいました。

 私は立ち上がってお尻を払うと、二人から半歩だけ離れた状態で、ダンケルク様の元に向かいました。




 草の上に広げた布の上には、用意してきた食糧や飲み物で埋め尽くされています。

 こんがりと焼けたウサギの肉には、ハーブが惜しげもなく使われていて、噛むたびに香りの良い肉汁がじゅんわりとあふれ出てきます。

 もうナイフとフォークは使っていません。四人で肉にむしゃぶりついていると、なんだか原始人に戻ったような気がします。


「でもウサギのお肉なんてかわいいものですよね。キャンベル家の人たちは、龍の体を食べたって言うんですから」

「すごい話だよな。旨いのかな、龍の肉って」

「イリヤさんもおんなじことをおっしゃっていました」

「うげえ、あのマッドサイエンティストと発想が同じとは。不覚」


 唇を脂でぎとぎとにさせながら、ダンケルク様が顔をしかめました。

 青空の下、サンドイッチをつまんだり、ワインを注ぎ合ったり。

 ワインを注ぐダンケルク様のお顔に、意地の悪い笑みが浮かびます。


「飲みすぎるなよ、リリス? まあここなら遠慮なく<秩序>魔術をぶちかませるがな」

「僭越ながら、ワイン二本ていどは水です。この間のように酔っぱらったりはいたしません」

「水ときたか。俺の家のワインセラーが空にされんよう気をつけなければな」

「リリスは酒豪だからねえ。私なんか二杯で顔が赤くなってしまうよ」


 既にお顔を真っ赤にされて、楽しそうにワインを傾ける若旦那。それにセラ様がうんうんと頷かれています。


「たまーに、お祭りのときなんかにワインを頂くんですが、私もゴブレット半分がせいぜいです」

「じゃあ私たち、おそろいだ」

「ですね」


(まあ、ワインを水のように飲む女よりは、お酒に弱いひとの方が、かわいらしいですよね)


 別に、今更お酒に弱くなりたいとは思いませんが。ちょっとだけセラ様を羨ましく思ったのは認めましょう。


(でもこの気持ちは――前ほどじゃない。前ほど、若旦那とセラ様を見ていても、胸が痛くないです)


 その理由には、ちょっとだけ心当たりがありました。

 まあ、それはともかく。


 こうしていると、ほんとうにピクニックのようです。視界にちらちら入ってくる兵士の方々に申し訳ないくらい。


「しかしこうしていると、ここで百五十年前に死闘が繰り広げられたことなんて、忘れてしまいそうになるね」


 若旦那が、くちくなったお腹を満足げにさすりながらおっしゃいます。本日もたくさん召し上がって、つやつやふくふく、まるまるてかてかしています。

 そのシルエットとは対照的に、すらりとした足を持て余し気味に投げ出したダンケルク様が、ワインを干しながら同意します。

 

「のどかだもんな。手がかりはありそうにないか」

「でもですね、わたし、一つ思い出したんです」


 空を見上げていたセラ様が、私たちの方に向き直りました。


「『黒煙の龍』が首都で攻撃を受け、ほうほうのていでこの丘に逃げてきて――『大魔女』に致命傷を負わされるまで。一晩の時間があったのです」


 夜が更け始めた頃に『黒煙の龍』は首都を脱し、この丘へ逃走。

 大魔女は、大聖女が大怪我を負ったということもあり、夜が明けるのを待って龍を追撃したのだそうです。


「『黒煙の龍』は、一晩中この丘で寝そべって、お星さまでも見ていたのでしょうか?」

「――私がもし手負いのけものなら、どこか隠れる場所を見つけます。三方が壁に囲まれていて、寝込みを襲われる心配のない場所」

「ふむ。その龍が夜を明かしたかもしれない場所に、何かヒントがあるかも、ってことだね」


 手がかりとしては薄い気もしましたが、それ以外に取り掛かるものがないのも確かです。


 私たちは二手に分かれて、丘周辺を探索することに致しました。兵士の方々もいますので、ミス・キャンベルに襲われても問題はないでしょう。

 さて、チーム分けにつきましては。


「婚約者ですので私とダンケルク様が一緒に行くのが望ましいかと」

「……それでいいのか?」


 ダンケルク様の探るような目。なんですか、ダンケルク様もそうおっしゃるつもりだったでしょうに。


「兵士の方々がいらっしゃるので、戦力分担は考えずともよいでしょう。さ、参りましょう」

「よし。じゃあそれぞれ二時間くらい探索して、ここに戻って来るってことで。何かあったら兵士に伝言を頼め」


 とんとん拍子で話が進み、ぽかんとしているセラ様と若旦那。おんなじお顔なのでちょっと笑ってしまいます。

 すたすたと歩き始める私の横に並んだダンケルク様は、意味ありげな視線をよこします。

 口を開いたら負けのような気がして、私は黙ったまま、さくさくと森の中を進みました。


「……そう言や、ウィルはきゅうりのサンドイッチが大好物だったな」

「ええ」

「それでいて、他の具ときゅうりが混ざって入っていると、あんまり食わない。今日のサンドイッチはどれにもきゅうりが入っていなかった」

「そうでしょうとも」

「サンドイッチはお前と聖女さまが作った。――あの聖女さまに、ウィルの好物を教えたんだな」


 こくんと頷けば、呆れたようなため息が返ってきました。


「敵に塩を送ってどうすんだ。しかもあっちの方が優勢だぞ」

「でしょうねえ」

「でしょうねって、お前なあ」

「それを申し上げるならダンケルク様だって、若旦那をお家に住まわせたりして。敵に塩を送るどころか投げつけているようなものでしょう」

「俺はフェアにやりたいだけだ」

「奇遇ですね、私もです」


 ダンケルク様は小さくため息をつくと、そっと私の手に指をからませました。手のひらを探り当て、ぎゅっと握りこまれます。

 腕を組むより、私はこちらの方が好きです。


(手袋越しではありますけれど――。ダンケルク様が、手にびっしょり汗をかいているのが分かりますから)


 ミス・キャンベルが放った巨大な狼を、たった一人で退治しておしまいになったのに。

 誰よりも強い軍人であらせられるのに。

 私と手をつないでいるだけで、こんなにも緊張してしまっている。


「優越感、というのでしょうかね」

「なんだ?」

「いえ、なんでも。さあ、龍の痕跡を探しましょう。百五十年経ってしまっていては、大した手がかりはないかもしれませんが」


 私たちが探索に向かったのは、丘の北側。山と見まがうほどの巨大な崖から、ごうごうと滝が流れ落ちている場所です。

 この滝から流れ落ちる水は、丘を横断し、森の中――若旦那とセラ様が探しに行った場所――へつながっているようでした。

 おっかなびっくり滝つぼを覗き込んでみますが、凄まじい水しぶきのせいであまりよく見えません。

 しかも瀑布の音はすさまじく、声を張り上げなければ、隣にいらっしゃるダンケルク様にも声を届けることができません。


「落ちたら厄介なことになりそうですね!」

「大丈夫だ、必ず拾ってやる! だからあんまり前の方へ行くなよ!」

「それはありがとうございます! それより、滝の裏に何か洞窟のようなものがあるかもしれませんね!」

「可能性はあるな!」


 私が手負いの龍ならば、滝の裏は絶好の隠れ場所のような気がします。

 そう思って、ダンケルク様から手を離し、ほんのわずか身を乗り出した時でした。


 どんっ、と背中に体当たりされ、私の体が宙に浮きました。


「えっ」


 あまりにも重たい体当たりは、私に地面に踏ん張る余地も与えてくれませんでした。

 手がむなしく宙を掻きます。つかまる場所があるはずもなし、私の体は重力に従ってゆっくりと滝つぼの中へと落下してゆきます。


(あ、死にますねこれは)


 滝つぼの深さを考えるまでもありません。何しろ私は泳げないのですから。

 ですが、最後に誰が私を突き飛ばしたのか、くらいは確かめたいです。

 私は首をねじって、私に体当たりを食らわせた人の顔を見ました。


 それは、兵士の中でも最も大きな体を持つ方でした。ダンケルク様が信頼していた方で、私にもよくして下さいました。

 けれど彼の綺麗なブルーの瞳には――どろりと黒くこごる何かが、不穏にうごめいていて。


「黒(ノア)……ッ!」


 叫びもむなしく、私の体は取り返しのつかないところまで落下します。

 せめて、水が冷たくないことを祈りながら、私は静かに目を閉じました。


 ――どこか遠くで、私の名を叫ぶ声を聴きながら。

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