「失恋メイドは美形軍人の婚約者で、最強の<秩序>魔術の使い手です」

雨宮いろり・浅木伊都

第1話 失恋とクビ

 若旦那は、そのぽやぽやとした顔に満面の笑みを浮かべ、言いました。


「ねえリリス。私、結婚することになったよ」

「……まあ、それはそれは、おめでとうございます」


 その瞬間、私の恋は砕け散ったのでございます。




 *




 私はリリス・フィラデルフィア。十九歳。

 グラットン家のただ一人のメイドでございます。

 そしてそのグラットン家の次期当主となられるのが、ウィリアム・グラットン様。齢二十二歳の、若旦那でございます。


 なんでも、若旦那は隣町の紡績業を営むお家の、二番めのご令嬢と結婚なさるそうです。

 その方の容貌の美しさは、私でも聞いたことがあるくらいでした。


(正直、若旦那の器量でそんなにきれいな奥様を迎えられるとは、思ってもみませんでしたね……)


 若旦那は分かりやすく人の良い方で、よく言えば温厚、悪く言えばのんき者で昼行燈で寝ぼすけというお方です。

 奥様を迎えられるにしても、もっとふつうの、素朴な方がいらっしゃると思っていました。

 何しろグラットン家は、治癒魔術でそこそこ名が知られているにも関わらず、私以外のメイドを雇う余裕がないほどの台所事情ですので。


(それにしても、ご結婚されるとは。全然気づかなかったです。デートとか贈り物とか、いえそもそもお手紙のやり取りとか、いつされていたのでしょう)


 さてここで率直に申し上げましょう。――私は、若旦那のことが好きです。


 もちろん身分の差くらい理解しています。それをふまえてなお、若旦那と結婚したかったかと言われれば、なんとなく違う気がしますし。

 それでも、グラットン家に雇われてから、八年近く暖めていた思いです。

 こんなふうに、いきなり幕引きになるとは思ってもみなかった、片恋です。


(でも、噂になるほど美しい方が来てくれるんですもの。きっと行方不明の旦那様や奥様は、どこかで喜んでいらっしゃいますね)


 今グラットン家に住んでいるのは、若旦那と馬が三頭、それに加えてメイドの私だけです。

 若旦那のご両親は、二年前に遠方の戦争に行ったきり、お帰りになっておりません。

 いずれ帰ってくると思っているのは、若旦那と私くらいのもので、周りの人は皆もうあきらめろとおっしゃいます。ばかげた話です。まだ生きていらっしゃるのに。


(いえ、今考えるべきはそんなことではありませんね。結婚、結婚ですもの)

 

 華燭の典ともなれば、グラットン家の名に恥じぬよう、徹底して準備をしなければ。

 奥様のお部屋はもちろんのこと、馬車を新調して、それからさすがに御者くらいは雇った方が良いでしょう。若いお嫁さんに恥ずかしい思いをさせるわけにはいきませんから。


 そうして私は、張り裂けた片恋に胸を痛める暇もなく、張り切って準備を進めていたのですが――。





 なんということでしょう。

 噂にたがわぬ、薔薇のようにあでやかな美貌を持つ奥様は、後ろに一ダースものメイドをぞろりと引き連れて、こうおっしゃいました。


「お前がリリスね。長年のお勤めほんとうにどうもごくろうさま。明日からはもう来なくていいわ」

「は……え、っと、それはつまり、クビということでしょうか」

「それ以外のどのような意味があると思って? わたくしには既にこれだけのメイドがいます。お前はもう用なしなの」

「あの、ですが、若旦那は」

「『旦那様』は、家のことは全てわたくしに任せるとおっしゃっていましたわ」


 奥様がそうおっしゃるあいだにも、十二人のメイドはこまごま動き、クロスやらカーテンやらを取り外していきます。


「あのカーテンは、若旦那の」

「ああ、あれね。モスグリーンなんて今時はやらないでしょう?」

「いえそうではなく、若旦那が初めての魔術で焦がしたものらしく、奥様が――いえ、先代の旦那様の奥様が、大事にとっておかれていて」

「その方は亡くなられたのでしょ? じゃあ今ここに住むわたくしの趣味を優先させてもらわなくては」


 ――どうやら、私の居場所はもう、ここにはないようです。

 私は荷物をまとめるために、自室の屋根裏部屋に駆け込みました。


 奥様は寛大にも、たくさんの退職金をお与え下さいました。働かなくても、三か月は宿で暮らしていけそうです。

 それに、ぺらっぺらですが、紹介状も書いて下さったようです。ぺらっぺらですが。


 だから食うに困ることはないのです。ないのですから、そこまで焦る必要はないのですが――。


(どうしてこんなに、みじめな思いなのでしょう?)


 八年ぶんの荷物と思い出をトランクに詰め、私は勝手口の方に向かいます。

 せめて若旦那にお別れを申し上げたかったのですが、いかんせんお出かけ中でございました。

 まさか朝の、


『若旦那、ご朝食の卵がお口もとについていらっしゃいます』

『おやおや』


 が、最後の会話になろうとは。人生何が起こるか分かったものではありませんね。


 馬車を使うのももったいなくて、私は街まで歩いてゆくことにしました。

 歩いていると、いままでの若旦那との思い出がよみがえってきます。なんだか湿っぽくていやですね。

 

「それにしても、女王様のように美しい方は、お心も女王様のように気高くていらっしゃるのですね」

「なんだ、女王の話なんて珍しいな」

「うわあっ」


 変な声が出ました。

 それもそのはず、私の背後には、やたらと背の高い銀髪の男性が立っていたからです。

 すらりとした長躯に、肩ほどまでの銀髪を緩くまとめ、冴え冴えとした緑の瞳を持つこの方は――。


「ダンケルク様! お久しぶりでございます」

「おう、元気か、リリス?」

「おかげさまを持ちまして、息災でございます」


 ダンケルク・モナード様。若旦那の一番のご友人で、国一番の軍人であらせられます。

 よく遠方からお手紙を頂いては、若旦那と一緒に読ませて頂いたものでした。

 ダンケルク様はその整ったお姿のために、女性との数々の浮名で知られており、そのためお手紙がとてもお上手なのです。私もたまにお返事を書かせて頂いたものでした。


「ダンケルク様はイタ・ミカリキスの戦場にお出ででしたね。激戦だったと聞きました」

「ま、それが軍人の仕事だからな。……ところでお前、そんな大荷物でどうした?」

「ああ、その……。先ほどグラットン家よりおいとまを頂戴いたしまして」

「ハア? お前をクビにしたって? ウィルのやつ、またなにか悪いものでも拾い食いしたのか?」

「いえ、その……若旦那はご結婚をなさいまして」


 その言葉にダンケルク様は美しい眉をきゅうっとひそめられました。


「結婚だあ? じゃ、あの噂は本当だったのか! しかし結婚したからと言ってお前を手放す道理もあるまい」

「奥様にはもう十二人のメイドがいらっしゃるようなので……。十三人めのメイドは不要なのでしょう」

「ウィルはお前がクビになったことを知ってるのか?」

「ええと……分かりません。家のことは奥様に一任なさったようですので」


 そう答えると、ダンケルク様はチッと舌打ちなさいました。


「あの女狐め、グラットン家の家禄を狙ってるってのは本当だったか」

「あの、そういうわけですので、今までダンケルク様には大変お世話になりました」


 若旦那を通じて交流のあったお方だ。もう二度と会うこともないだろう。

 そう思って行こうとすると、ぱっとトランクを取り上げられた。


「あの……?」

「まあ待て。そんなに急いで、行くあてでもあるのか」

「ございません。私は孤児ですし。ですが次の働き口を見つけませんと」


 そう言うとダンケルク様はにやりと笑った。


「ならいい。――俺の家に来い、リリス」

「はあ」

「出征中、メイドに暇をやった関係で、俺の家には今御者しかいないんだよ。家ン中荒れ放題で」

「荒れ放題」


 きらり、と自分の眼が光ったのを感じた。ダンケルク様もそれを感じたのだろう。怪しげな笑みが深くなる。


「好きだろ、そういうの」

「ええ、僭越ながら、そういうの大好きでございます!」





 モナード家は生粋の軍人家系であらせられます。

 建国時代から国王陛下を守護し、なんだかものすごい勲章をたくさんもらって軍服がずっしり、という感じの方です。すみません、軍隊については詳しくないのです。

 だから、と結び付けていいものかわかりませんが、お家はかなり質実剛健という印象をうけます。


「……というか、家具がございませんね?」

「ああ」

「そのわりには食べ物と服が散乱していらっしゃいますね?」

「誰も片づけないからな。服は一回来たら洗わないで新しいものを買ってるし、食い物は適当にそこにあるのを食ってる」

「そっ……れは、やりがいがございますね」


 山盛りの服の下に見え隠れする黒い触覚が何であるか、は考えないことにして、私はまずこのお家の全貌を確認いたしました。


「主寝室が一つに客用寝室が五つ、メイド部屋が地下に三つで、食堂、ダンスホール、キッチン、ワインセラー、食糧庫(パントリー)に、居間、そして書斎ですね」

「おう。久しぶりにベッドで寝たいから、主寝室をやっつけてくれると助かるんだが」

「かしこまりました。主寝室と居間、書斎と食堂は今日やれると思います」


 そう言うとダンケルク様は少し驚いたような顔をして、


「今日だけでそこまでできるのか? 無理するな」

「私はグラットン家の、ただ一人のメイドでございま……したので。このていどは無理にも入りません」


 私は踵を二回打ち鳴らします。足の裏に赤い魔術陣が現われ、音もなく部屋中に広がってゆくのが見えました。


「それでは失礼して――。”三度唱えるは我が名、二度唱えるは主の御名(みな)、そして一度唱えるは魔が名――静謐よここに、そして全てを<整頓>へ帰せ”」


 詠唱と共に、部屋中のものがぶわりと空中に浮かび上がります。

 ゴミはキッチンに、汚れ物はひとつに、そして黒い触覚の持ち主たちは家の外へ。

 またたく間に綺麗になってゆく部屋を見て、ダンケルク様が驚いたような声を上げられました。


 これが私の得意魔術。

 散らかったものたちを、あるべき場所へと戻しつつ、本来あるべき<整頓>を取り戻すための掃除魔術でございます。


 ほんとうならば、人はもっと多くの魔術を使えるのです。治癒をしたり、攻撃をしたり。

 ですが私の使える魔術は、初歩的な火と水の魔術に加えて、この掃除魔術だけです。

 メイドとして忙しくしていたため、というのは言い訳でしょうね。もっと研鑽を積むべきでしたのに、お恥ずかしい限りです。


 ダンケルク様は、部屋がどんどんきれいになってゆく様を見て、驚いたような顔をなされています。


「この魔術は……しかし、そんなことが……?」


 さて、三十秒ほどで全ては片付きました。

 収納場所のない大量の本を除いて、ではありますが。


「ダンケルク様、さすがに本棚くらいはお求めになったほうがよろしいかと。ああ、それともあまりこちらには長く滞在なさらないのでしょうか」

「ああ、うん……あ、いや、恐らく半年ほどはいるだろうから、家具は買った方が良さそうだな」

「それがよろしいかと。あとは主寝室、書斎と食堂を片付けて参ります」

「頼む。だがその前に」


 ダンケルク様は私の腕を掴みました。武人らしい、分厚いてのひらをお持ちです。


「リリス、お前、行く当てがないんだろ? ならうちのメイドになれ」

「はあ……」

「給料はウィルの家で働いていた時の倍は出す。俺は部屋を散らかし放題でお前は掃除し放題。優良な職場だろう?」


 ――認めましょう。その瞬間、私の頭にはこんな打算が働きました。


(若旦那のご友人であるダンケルク様のお家で働いたら……また、若旦那のお顔を見ることができるかもしれない)


 その考えを読み取ったように、ダンケルク様はにやりと笑います。


「そう、俺の家で働けば。――ウィルにもまた、会えるかもしれないしなあ?」

「……若旦那は、いえ、ミスタ―・グラットンは関係ありませんが。喜んでここで働かせて頂きます、旦那様」

「決まりだな! ああ、旦那様などとすすけた名で呼ぶな。今まで通り名前で呼べ」

「? かしこまりました、ダンケルク様」


 やけに上機嫌のダンケルク様は、私の腕をぱっと離すとこうおっしゃいました。


「書斎と食堂はやらんでいい。主寝室の片づけが終わったら、家具を買いに行こう」

「家具を……? あの、でも、私はメイドですので、お買い物のお供は――」

「なんだ? 主人の命令が聞けないのか?」


 そうは言っても、私はハウスメイド。家の中の仕事を片付けるのが仕事です。

 ダンケルク様のお供をするには、見てくれも身分もふるまいも、何もかもが足りていないのです。


「大丈夫だ。だいたい俺はジェントリじゃない、軍人の出だ。今さら貴族さまらしいふるまいなど求められちゃいない」

「ですが」

「それに、俺一人で行ったらきっとバカの一つ覚えみたいに本棚ばかり買っちまうぞ。この居間が本棚だらけになってもいいのか」

「……ふふ。その脅し文句は斬新です」

「だろう? さ、主寝室の方を頼む。終わったら出かけるとしよう」

「はい、ダンケルク様」


 たぶん、忙しい方が精神的にも良いでしょう。私はほんの少しだけ足音を大きくたてて、二階の方へ向かいました。

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