第48話 久しぶりの誘い
「ただいまー……」
玄関のドアを開けて、私はヒールを脱ぐ。
「あいたたた……」
久しぶりにヒールを履いたせいか、踵を擦ってしまったらしい。
じんじんとした痛みをこらえながら、足を引きずるようにして部屋の明かりをつける。
ベッドに座り、踵を確認すると、擦れて皮膚が削れて血がにじんでいた。
「あはは……やっぱり無理するものじゃないね」
苦い顔を浮かべてひとり言をつぶやきながら、私は深いため息を吐いてベッドに横たわる。
腕を額に当てて、天井をぼおっと見つめた。
「結局、言えなかったなぁ……」
私は、琢磨さんに言うことができなかった。
私の将来について、これからのことについて。
いや違う、私は言いたくなかったのだ。
琢磨さんとのあの時間は、私にとってかけがえのない時間で、救いのひとときでもあったから。
ドライブではない場で琢磨さんと会って改めて実感したのだ。琢磨さんの隣にいる時間が、私にとって一番の心の安らぎの時間であることに。
その事実に気づいてしまったからこそ、私は真実を告げられなかった。
本当はいつかこうなることはわかっていた。
そして琢磨さんは、私にやりたいことが見つかったことを自分の事のように喜んで祝福してくれるのだろう。
けれどそれは、琢磨さんと私の関係性に終止符が打たれる時。
私と琢磨さんのドライブという名の自分探しの旅は終わりを告げ、私達が合うことも二度となくなる。
それがわかってしまったから、由奈は今言うタイミングではないと感じたのだ。
私のわがままで傲慢な気持ちかもしれない。
でも琢磨さんは今日、私に会いたいと思ってドライブでもないのに誘ってくれた。
琢磨さんが、私に対してどういった気持ちを抱いているのか確かめない限り、私は本当のことを言うことはできないと思った。
「はぁ……もっと簡単に色んなものが手に入れられたら、どれだけ楽だったんだろう」
そう嘆いても、私は何も得られていない。
まだスタートラインに立つ決意をしただけで、準備や用意、結果や成果も何一つ出していないのだ。
人生は本当に残酷で、時に苦難の連続である。
どんなにそれが我欲だの他人から非難されようとも、その先に見える一筋の光が自分に掴むことの出来る最高の結果ならば、多少の犠牲を背負うと分かっていても、どんなに遠回りにしてでも、私は二兎を追って二兎を得たい。
※※※※※
休日を終えて、琢磨はいつものように朝の通勤電車に揺られてオフィスに向かった。
「おはようございます」
挨拶を交わして、自席のデスクに着くと、網香先輩が声をかけてきた。
「おはよう杉本君。ちょっといいかしら?」
「はい」
始業前から網香先輩に呼ばれるなんて珍しいな。
そんなことを思いつつ、先輩のデスクに向かう。
「おはようございます先輩。どうかしましたか?」
先輩は何も言わずにPCの画面を人差し指で指差す。
画面を見ると――
『今日の夜。予定空いているかしら?』
と書かれていた。
琢磨がこくりと頷くと、再びキーボードをタイピングして文字を表示させる。
『それじゃあ、今日の終業後、一緒に久しぶりに映画でも見に行きましょう』
琢磨も網香先輩のPCのキーボードを拝借して、タイプする。
『わかりました。いいですよ』
それを見て、網香先輩はにこりと微笑みを浮かべて、戻っていいわよと目だけで示す。
琢磨は軽く一礼してから自分のデスクへと戻る。
デスクに戻れば、ちょうど谷野が出勤してきたところだった。
「おはようございます、先輩……」
「おう、おはよう谷野。……って、随分と眠そうだな」
「はい……昨日家でずっと映画鑑賞してたら夜更かししちゃいまして」
手で口元を隠しながら欠伸をして、随分と眠そうな表情を浮かべる谷野。
「今日は一つ外回り行くから、それまでにはちゃんと頭働かせとけよ」
「はーい」
間延びした返事を返して、自分のデスクへと向かって行く谷野。
あんな調子で大丈夫だろうか……。
琢磨が怪我している間に、谷野は一人でこなせる仕事量も増え、以前よりも見違えるように成長していた。
一社会人として、谷野の独り立ちも近いだろう。
琢磨はそう感じていた。
となれば、琢磨がプロジェクトリーダーを断っている建前上の口実も、あと少しでなくなるわけで、琢磨が網香さんと同じ部署に留まっている理由もなくなる。
谷野が独り立ちするタイミングは、琢磨にとっても、自分のやりたい道へと進む、いい機会なのかもしれないと思った。
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