第44話 代償

「……さん。……さん」


 遠くの彼方から、心地よい女性の声が聞こえる。


「琢磨さん!」


 琢磨が明らかに自分の名前を呼ばれていることに気が付き、ふと意識が戻る。

 目を開ければ、視界に映る見知らぬ天井。

 仰向けになって寝転がっているのが理解できる。


「あっ、やっと起きた」


 その聞き覚えのある声に反応して、首を巡らすと、そこには椅子に座った茶髪髪の少女がにこりと微笑みかけていた。


「由奈……」


 ドライブ彼女である相原由奈は、なぜか額に包帯を巻いているが、他に何処か痛めているところは見られない。

 一方の琢磨は、少し左足がズキズキと痛むけれど、それ以外は身体が重い以外あまり身体に不調を訴えるような感じはなかった。


「私達、玉突き事故に巻き込まれたの」

「あぁ……そうみたいだな」

「琢磨さん、頭の当たり所が悪かったのか意識失っちゃって、救急隊員車でずっと車の中で屍のように動かなくて心配したんだからね」

「そうだったのか……」

「一応脳に異常がないか確認のため検査入院だってさ。家族の人にも連絡が行ったらしいよ、あとから来るみたい」

「そうか……」


 事故に遭ったことを改めて実感する。


「ごめんな、怖い目に遭わせて」


 か細い声で由奈に謝る。


「いいって、巻き込み事故じゃ仕方ないし、お互い命に別状がないけがでよかったよ」

「そうだな……」


 由奈はえへへっと笑って、琢磨に微笑みかける。

 その由奈の目頭は、赤く充血していて、涙袋が大きくなっているのが見えた。

 真相はともあれ、そこは何も触れないでおこう。


「それじゃ、琢磨さんの意識も回復したことだし、家族の人と顔合わせるのも気が引けるから、私は先に帰るね」


 そう言って、ベッドの隣の椅子から立ち上がり、由奈はこちらを見下ろす。


「あぁ……一人で大丈夫か?」

「平気、平気! それじゃあ、またね! 琢磨さん」


 ひらひらと手を振って、由奈は病室からささっと出て行ってしまう。

 琢磨は一人病室内に残されて、静寂な病室内に取り残される。

 既に病院の消灯時刻を過ぎているらしく、廊下の明かりはついていない。

 琢磨が寝転がっている部屋だけ明かりがついており、静寂な空間を作り出していた。


 改めて、気を失う直前の出来事を思い出す。

 由奈とドライブ中、琢磨はずっと自分の将来について考えこんでいて、車の運転がおろそかになってしまっていた。


 後から警察の人に聞いた話によると、後方者も渋滞が起こっていることに気づくのが遅れ、琢磨の車同様に急激に減速したが、ブレーキが間に合わずそのまま琢磨が乗っていた車に追突したとのこと。

 そして、琢磨の車はその反動で前方の車両に衝突。

 フロント部分が大きくへこみ、琢磨は車内に挟まれて意識を失ったらしい。


 生憎、へこんだのが運転席側だけだったため、由奈は衝突の衝撃でフロント部分に頭をぶつけただけの軽症で済んだらしい。


 琢磨は左足骨折の重傷。全治数カ月ほどはかかるとの事だ。


 間違いなく、琢磨が自分の将来やりたいことを考えながら運転していたことで前方不注意になったことがこの事故の原因に起因しているのは自明の理。

 けれど、ここで自分を責めたところで何も変わりはしないし、何も生み出すことはない。


 だから今は、この負傷した身体をゆっくりと癒すとしよう。



 ※※※※※



 脳の精密検査の結果、運よく異常などは見られず。

 琢磨は、左足骨折の負傷だけで済んだ。


 しかし、骨折の影響により、松葉杖での生活を余儀なくされることとなった。


 週明け、オフィスに松葉杖姿で現れると皆に大層驚かれ、「大丈夫か?」、「何したんだ?」と声を心配の声を皆からかけられた。

 いちいち説明するのが面倒だったけれど、話のネタにはなったので会話に困らなくてすんだ。特に心配してきたのは、後輩社員の谷野。


『由奈ちゃんは大丈夫だったんですか?』とか『先輩、私が仕事やった方が良いですか?』とか、事あるごとに声をかけて来てくれて嬉しかったけれど、正直途中から超絶うざかった。

 まあ、由奈をのせていたこともあり、余計に心配なんだろうけど。


 一方で、網香先輩は直属の上司なので、事前に『車で交通事故に巻き込まれて、脚を骨折してしまいました』と報告を入れておいたため、オフィスではたいそう驚かれることはなかったものの、一度だけデスクの前に来て『色々と大変だろうから、何か不都合なことがあれば言って頂戴』と労ってくれた。


 網香先輩との会話に、『先輩のお世話は私がやりますから安心してくださーい』と言いながら谷野が割って入ってたのもうざかったな。


 まあとにかく、仕事上あまり外に出向く機会もそれほどないので、仕事に支障が出ることがあまりなくてよかったけれど、網香先輩を助けるどころか、自分が心配をかけさせてしまったことは自省せねば。


 何がともあれ、琢磨はしばらく由奈とのドライブ生活も自粛という形になった。

 足を自由に使えなければ車の運転も厳しいし、仕方がないこと。


 まあ、事故で由奈が軽いけがで済んだことが琢磨にとっては一番安堵していることで、もしも後遺症などが残っていたら、それこそ責任問題に発展していたに違いない。

 かくして、琢磨のドライブ生活は、しばらくの休息を余儀なくさせるのであった。

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