第39話 相談

「はぁ……これは癒されるー」


 琢磨たち男三人で今、眼下に見える相模湾を眺めながら、露天風呂に浸かっている。

 空には多少雲がかかっているものの、露天風呂から見える景色は悪くない。

 景色をある程度堪能した後は、柿原の慰安旅行に至った経緯について話題が移る。


「いやぁ……最近本当に休み取れなくて、今日はもう無理矢理休みとったよね」


 車内である程度睡眠がとれたらしく、ロボットみたいな口調だった柿原も、ようやく人間味のある口調に戻っていた。


「まあ、予備校講師は夏からが本番みたいなところあるからな」

「そうそう。でも、流石にきちぃ」

「ちなみに、前の休みはいつだったん?」

「もう覚えてない。多分、先月の半ばとか?」

「えっ、ヤバっ!?」


 今月は既に下旬へ差し掛かろうとしているから、丸一カ月休みなく仕事していたことになる。


「すげぇな……俺だったらそんな会社即辞めるな」

「俺だって辞めれるなら辞めてぇよ」

「じゃあ、どうして続けてるんだよ?」

「まあ、仕事自体は嫌いじゃないし。人間関係は面倒くさいけど、そこもまあ適当に受け流しておけば、後は自分の作業を黙々と進めればいいだけだし」


 そう言って当たり前のように言ってみせるが、休みなく一カ月仕事漬けとか、琢磨にとっては考えられなかった。


「柿原はさ、将来どうしたいとか考えたことあるの?」

「いや、特にはねぇよ」

「将来の目標もないのに、よくそんな熱心に仕事できるよな」

「まあ、仕事しないと生きていけねぇからな」

「それはそうだけど……」


 今の仕事がきついなら、転職すればいいだけの問題。

 それでも、今の仕事に縋りついているということは、表面上ではきついきついと呻りながらも、自分の人生にとってやりたいことができているからそこ耐えられるのだろう。


「ホント、昇進の話を断ったどっかの誰かさんに言い聞かせたいなぁー」


 すると、今度は岡田がわざとらしく声を上げる。


「うるせぇな、ほっとけ」

「どういうことだ?」


 柿原が岡田に尋ねる。


「いや、コイツな。プロジェクトリーダーつって、いわゆる部長みたいな役職に昇進の話が舞い込んできたのに断りやがったんだよ」

「マジかよ、もったいなっ!」

「うるせぇ……別に俺は部長になりたいわけじゃねぇんだよ」

「そうだよな、お前はただ、網香あみか部長とお近づきになりたいだけだもんだぁー」


 口元をニヤニヤとさせて、意味ありげな視線を送ってくる岡田。

 こいつは後でしばいてやる。


「誰その人? もしかして、琢磨のコレ?」


 柿原がわざとらしく左小指を立てて岡田に確認をする。

 岡田は楽しそうに首を縦に振って頷く。


「コイツ、今の部長の下で働きたいって理由で自分の出世断ったんだぜ? ウケるだろ?」

「それはヤベェわ。琢磨の愛が重い」

「重いとか言うな! それだけじゃなくて、色々と迷ってるというか……」

「女に溺れて昇進断る馬鹿が、何に迷うっていうんだよ?」


 ふざけたように岡田が聞いてくる。

 琢磨は肩まで湯船に浸かりながら、視線を水面に向けた。

 しばし間が空き、二人の視線が琢磨に注目する。


「二人は、将来の目標とか夢って、どうやって決めてるんだ?」

「何だよ唐突に?」

「いやっ、自分のやりたいことやってるならそれでいいんだけど、本当に自分がやりたいことできてないなら、働く意味ないんじゃないかとふと思ってな」

「……」

「……」


 思わず岡田と柿原は見つめ合う。


「それってつまり、転職したいってことか?」


 驚いたように岡田に聞かれて、琢磨は曖昧に首を捻った。


「俺も分からない。だから迷ってるんだ」

「……」


 琢磨の真剣な相談に、二人は思案するように顎に手をあてて考える。

 最初に口を開いたのは柿原だった。


「まあ、俺は自分で今の仕事に満足はしてないけど、嫌いではないからやってるだけだ。別に将来とかやりたいことかと言われれば別だな」

「ならどうして、本当にやりたいことをやらないんだ?」

「そりゃ、やれるならやりたいさ。でも、俺達はもう、夢見るだけじゃダメな年になっちまったってことだよ」

「まあ、そうだよな」


 柿原の言うことは的を得ている。

 俺達はもう、自由に将来を決めれる立場ではないということ。

 大学を卒業して、社会人になり、将来出来る幅が狭まっていることは間違いないのだ。


「岡田は?」


 琢磨が岡田に視線を向けて尋ねると、岡田は自分を指差してドヤ顔で答える。


「俺はまあ、やりたいことなんてねぇから。しいて言うなら金だな!」

「あっ、そう……」


 琢磨は思わず苦笑いを浮かべる。

 まあでも、岡田らしいっちゃ岡田らしい。


「まっ、しばらくは金貯めて、本当にやりたいことが見つかった時に、貯めた金はたいて企業でもするんじゃね?」

「ホント、お前は楽観的だよな」

「ま、人生なんてそんなもんだろ。夢見て諦めて、新しい目標を見つけての繰り返しだ」


 やりたいと思ったことが思いついた時に、それをやり遂げればいいと思っている。


「だから琢磨も、それまでは今の仕事を続けて、もし本当にやりたいことが見つかった時に、またその時考えればいいと思うぜ? ま、今本当にやりたい事があるなら、それに向かって全力で取り組むべきだとは思うけどな。人生は一度きりしかないんだし」


 岡田の言うとおりだ。自分の人生は一度切り、他人に任せるのではなく、自分の意志で楽しい人生を生きるためにやり抜くことが大切である。

 今岡田にとっては、自分の人生を幸福にするためのいわば準備期間なのだ。

 だから、将来本当にやりたいことができた時に自分が行動に移せるよう、出来るだけ社会的地位を高めておく。それが岡田の考え方なのだろう。


 人生において何を基準にして幸福と考えるかは人それぞれだ。

 だからそこ、お金が人生の幸福と考えるならば、投資家やFXなどに手を付けてもいいだろう。

 特に今は思い至らいのならば、そのための準備期間として、社会の仕組みを出来るだけ知っておくこと。それが一番重要なのかもしれない。


「そっか……ありがとな二人とも。よく考えてみるよ」

「おう」

「また何かあったら相談に乗ってくれ」


 二人は快く琢磨の相談に乗ってくれた。

 それでもまだ、琢磨の中に将来の目標は浮かばない。


 これからどうしたらいいのかもわからない。

 だから、由奈とのドライブを通じて、何か可能性をこれからゆっくりと見つけ出していければいいと思う。


 プロジェクトリーダーを断ったことについては、今は後悔していない。

 いつか後悔する日が来たとしたら、それは琢磨が昇進を望んでいるということになるのだろう。

 それも含めて、これからも自分の将来について考えて行こうと誓った。

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