第32話 後輩のお願い

 谷野の失礼な発言は置いておきつつ、車は江ノ島に到着した。

 車を駐車場に置いて向かったのは、島中央部にある展望台。

 夏季期間で夜20時まで展望台が運よく営業していた。

 琢磨と谷野は二人エレベーターに乗り込み、展望階まで向かう。


 外に出れば、暗闇の中で綺麗に輝く三浦半島の光と湘南の海岸線が見える。

 遠くの方を見れば、ぼんやりとではあるが伊豆半島まで肉眼でうっすらと確認できた。

 東京湾と違い、相模湾に面しているため、ロケーション的には最高で、海風が心地よく靡いている。


 谷野は髪を手で抑えつつ、湘南の夜景に感嘆の声を上げた。


「わぁ……綺麗ですね。先輩!」

「あぁ……そうだな」


 こうして夜のドライブで江ノ島の展望台に登ったのは初めての琢磨。

 谷野とは違い、いたって冷静な声で受け答えしたけれど、内心胸高鳴るような感動を覚えていた。


「私、夜の江の島って初めて来ましたけど、やっぱり綺麗ですねー!」


 谷野は終始朗らかな表情で琢磨に語りかけ、琢磨はそれに軽く相槌を打って応じる。


 すると、谷野は突然景色を眺めるのをやめて、海を背にして展望デッキの手すりに寄りかかった。

 そして、すっと表情を緩めたかと思うと、琢磨を射止めるような視線で見つめてくる。


「先輩」

「あ? なんだ?」

「さっきの話の続きですけど、先輩は網香先輩に依存してます」


 躊躇することなく、はっきりと琢磨の現状を口にする谷野。

 琢磨は、自分の現在の状況を言葉として明確に指摘されて、胸の奥にあった何かを言い当てられたような鋭さがあった。

 だから、琢磨は谷野に何も言い返せない。

 自分でもその通りだと腑に落ちてしまったのだから。


「その通り……かもな」


 か細い声で自分の現状を認めることが精一杯だった。

 依存という言葉が正しいのか分からないけれど、少なくとも琢磨は、現状を誤魔化そうとしている。


「そのうえでもう一つ先輩に聞きたい事があります」

「お、おう……なんだ?」


 固唾を飲んで谷野を見つめる琢磨。

 谷野は上目遣いで琢磨を見つめながらも、真剣な様子で尋ねてきた。


「先輩にとって、由奈ちゃんはどういう存在ですか?」

「俺にとって……由奈の存在……」


 正直、はっきり言葉にすることは難しい。

 海ほたるで出会ったときから、ずっと抱えていた疑問。

 由奈は琢磨にとって、どういう存在なのだろうか?

 ドライブ彼女という肩書だけはいい名ばかりの曖昧な関係性。

 そこに友人や恋愛関係は含まれず、かといって同士と呼ぶにもどこか違う。


 琢磨が困り果てていると、谷野は縋るような視線を送ってくる。


「先輩が今の現状を変えたくなくて、網香先輩に依存したいのであれば、私を口実にして、そのまま依存していてもいいですよ?」


 口角を上げて、にこりと微笑む彼女を見て、琢磨は唖然とする。


「いいのか?」


 琢磨は思ってもないことを思わず聞いてしまう。


「はい。こう見えても私、結構都合のいい女なので」


 谷野は腕を後ろで組みながら、寄りかかっていた手すりから離れて、琢磨の元へ近寄ってくる。


「でも、一つ条件があります」

「条件?」

「由奈ちゃんじゃなくて、私がドライブ彼女じゃダメですか?」

「えっ……」


 谷野の提案に、琢磨は困惑する。

 それはつまり、曖昧な関係性を更に混とんとさせる以外の何物でもない。


「でも……」

「由奈ちゃんとドライブデートできないなら、私でいいじゃないですか。会社終わりに一緒に行けますし、わざわざ待ち合わせる必要もないです。網香先輩には事情を説明すればいいですし、先輩にとっても好都合だと思いますけど?」


 谷野はにこりとした微笑みを浮かべて言い募る。

 けれど、琢磨は今即決することは出来なかった。

 琢磨とのドライブを突然やめると言い出したことに、由奈は何か気が付いて欲しかったのではないかと思ったから。


「……考えておく」


 だから琢磨は、後輩の提案を先延ばしにすることしか出来なかった。

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