第16話 線香花火
花火が上がる度に、照らされる人混みの中を走った。
誰かにぶつかったり、「危ない」と舌打ちだってされた。
でも、そんなもの一切気にならない。
今は柚葉を追わなくちゃいけないんだ。
そして、会って真正面から伝えなくちゃ。
一言。
柚葉が好きだって。
息が上がる。
会場からだいぶ離れたが、一向に柚葉の背中が見えない。
まぁ、この人混みの中、たった1人の少女を探せと言う方が難しいのかもしれないけど、それでも、諦めるわけにはいかないんだ。
「はぁ…はぁ…暑いな…ほんとに」
額から流れた汗が、顎を伝って滴り落ちる。
ポツンと黒く染まるアスファルトを見て、パッと頭に浮かんだのは、柚葉の涙だった。
—ありがとう、楽しかったよ。
その瞬間、自分の情けなさで腹が立って、歯を食いしばる。
奥の方で、ギリリと嫌な音をたてた。
「もうあんな顔、二度とさせるかよ」
膝の少し上を叩き、行くぞと言い聞かせるように走り出す。
絶対に柚葉を見つけ出す。
この花火が終わる前に。
…。
神社のベンチに座って花火をぼーっと見上げていた。
赤、青、緑と、夜空に咲く花火は、涙で霞んで、水たまりの上にできた油膜のように見えた。
「お兄さん、今頃どうしてるのかな…」
お兄さんが誘ってくれた時、本当に嬉しかった。
だって毎年、姉さんと2人で行っていた夏祭りを、今年は私と行きたいと言ってくれたんだもん。
だから、やっとお兄さんの中で私が一番になったんだと思ってた。
…でも、それはちょっとだけ違くて。
お兄さんの中では、もう1人大切な人がいて、私と同じぐらい、その人に特別な想いを寄せていて。
それにはっきりと気がついたのは、今日、お兄さんを迎えに行った時だった。
手を繋いだ時、ずっと姉さんのこと考えてたな…
もちろんそれを口に出した訳じゃない。
だけど、あの時の浮かれない顔を見ちゃったら、そう思うしかないでしょ?
…。
はぁ…。
たぶんバチが当たったんだ。
あれだけ姉さんの気持ちを利用して、ズルイことして。
…。
でも、本当にお兄さんのことが好きだった。
だから…
「…追ってきて欲しかったな」
一度引いた涙がまた溢れ出してきた。
あぁ、ダメだ。上を向いてると涙が止まらなくなる。
ベンチの上に体育座りをして、顔を
上を向いて歩こう、なんて歌ったの誰だっけ? 全然駄目じゃん…上向いても止まらないよ。
「…やっぱり、別れたくない…」
…。
…。
はぁ、はぁ…はぁ…。
足音と共に誰かの吐息が聞こえた。
まるで何かを必死で追いかけてきたような、そんな息の切らし方をしながら。
ゆっくり顔をあげる。
そして思わず…。
「お兄…さん?」
ボソリと呟いた。
顎からポタポタと汗が滴り落ち、どう見たって大丈夫じゃないぐらい汗をかいてる。
白いTシャツも、汗を吸って肌にビッチャリと張り付いていて、きっと着心地も悪いだろう。
そんな、お兄さんと目が合う。
すると、少し安心したような表情を見せてこう言った。
「やっと…見つけた…柚葉」
小さく跳ねる心臓。
もちろん、罪悪感とか後ろめたさとかもあったけど、何より。
こんな状態になるまで私を、探しに来てくれたことが、なによりも嬉しかったのです。
「…お兄さん、飲みかけでごめんね」
そう言って柚葉から渡されたのは、よく見るスポーツドリンクで、中身が半分ぐらいしかないのを見ると、本当に飲みかけらしい。
「あぁ、ありがとう」
ペットポトルを受け取り、キャップを開ける。
喉を通るスポーツドリンクがいつもより、甘く感じた。
「落ち着いた?」
「だいぶ回復したわ、まじで助かる」
「ふふ、それなら良かった」
小さく微笑み、花火の方へ顔を向ける。
花火で照らされた横顔。
目元が少し腫れていて、彼女が本気で泣いていたんだと思うと、胸の辺りがキュッと締め付けられる。
…それでも、本当にその横顔は綺麗だと思った。
「…柚葉」
「…私ね、お兄さん」
俺の言葉を遮るように言葉を被せる。
今にも泣き出してしまいそうな顔をこちらに向けて口を開いた。
「ずっと、お兄さんは姉さんの人なのかなって思ってた。だって、ずっと姉さんと2人でいてさ、全然私に構ってくれないんだもん」
小さく息を吸って、続ける。
「でもさ、それでもやっぱりお兄さんのことが好きで、諦められなくて。知ってる?私、結構モテるんだよ? でも、やっぱり私は、お兄さんが良くて…」
えへへ…と、頬をほんのりと赤く染める。
照れ隠しなのか、頬を小さく掻く仕草が、かわいい。
「だからさ…お兄さんのカノジョになれたことが本当に嬉しかった…。でも、お兄さんの中ではやっぱり姉さんがいて、お兄さんが姉さんに恋をしてたのも知ってた」
小さく肩が震える。
「だから、もう一回言うね…私たちここで別れよ?」
にこりと笑った。両方の瞼から、大粒の涙をこぼしながら。
……。
「…なぁ、俺の話も聞けよ」
「…え」
少し驚いたような表情を見せる。
そんな柚葉に俺は続けた。
「確かに、ずっと琴葉のことが気になってた。小さい頃からいつも一緒で、なんだかんだで気がつけばアイツが好きだった」
「うん…」
「でもさ、柚葉に告白された時、俺思ったんだ、絶対に柚葉を幸せにするって」
「うん…」
「あはは…でもさ俺、ずっと琴葉が心配だったんだ。俺がいなくなったら、アイツはどうなるんだろうって。そしたら、この有様だよ…ほんと情けねーだろ?俺ってさ」
その言葉に首を小さく横に振る柚葉。
胸の前でキュッと手を固く握っていた。
「でさ、さっきアイツに言われちゃったんだ、柚葉を幸せにしてやれって」
「姉さんが?」
「あぁ、琴葉が」
「…そっか」
「でもさ、俺の気持ちは少し違くて…」
「…え?」
小さく息を吸う。
そして吐き出す息に言葉を乗せる。まるで心の中のものを全てダイレクトにぶつけるように。
「琴葉に言われたからとかじゃなくて、俺の気持ちで柚葉を幸せにしたい」
「…」
「だから、上手い言葉は言えないけど…好きだ…柚葉のことが。大好きだ」
そう言い切った瞬間、辺りから音が消えた。
花火の弾ける音も、ひぐらしの音も。
全部、2人だけの空間から除外されてしまったように。
「…私でいいの?」
柚葉の瞳がうるりと揺れる。
「柚葉がいい」
「…そっか」
そう言って、ふふっと心地良さそうに鼻を鳴らす。
そしてにこりと笑った。
「ありがとう、嬉しい」
その瞳の端から涙がこぼれる。
でも、さっきみたいな悲しい涙じゃなくて、温かくて幸せそうな涙だった。
柚葉の頭をポンポンとする。
「ほら、泣くなって」
「…うん」
小さく頷き、目元を擦り、こちらに顔を向ける。
小さく微笑んで、口を開いた。
「お兄さん、やっと『好き』って言ってくれたね」
「あれ、そうだっけか?」
「うん…今まで好きって言ってくれなかったもん」
「あはは、それじゃ…好きだ、愛してる」
「にゃっ! もー!耳元で囁かないで!」
「柚葉の弱点はっけーん!」
「むぅ…別にいいもん…これから長い時間をかけてお兄さんの弱いところ見つけるから」
「あぁ、やってみ?長い時間をかけてな」
「ふふっ…お兄さんのバーカ」
「なんだよ、それ」
2人で笑い合う。
お互いに、こんなに純粋に笑い合えたのは久しぶりなのではないだろうか。
…。
まぁ、なんにせよ。
こうして、長い夏祭りの夜は、柚葉の笑顔という、1番綺麗な花火を咲かせて、静かに終わったのでした。
「そう言えば、花火、あんまりみられなかったね」
「…まぁ、色々あったしな」
「うん。あ、でも」
繋いだ右手に、キュッと心地のいい圧を感じる。
柚葉は優しく微笑んだ。
「来年も、一緒に行こうね」
「だな」
そんな会話をしているうちに、柚葉の家に着いてしまった。
これで本当に夏祭りは終わり。
そしたらまた明日から、いつも通りの生活だ。
学校行って。柚葉と昼飯を食べて…。
「それじゃ、また明日学校で」
柚葉の手がするりと抜ける。
「おう、また明日」
と、手を振った瞬間だった。
玄関がガチャリと開いた。
「お、やっと帰ってきた」
「姉さん?」
「ん、お帰り柚葉」
にこりと微笑むと、琴葉は俺の方を見て口を開く。
「カズ、まだ時間大丈夫?」
「あぁ、問題ないけど…どうした?」
「ん? それはね…はい、これ♪」
ふふーんと鼻を鳴らし、後ろから取り出したのは、まさかの線香花火の束。
てか、ぱっと見で20本はあるんじゃねーか?なんでそんなに持ってんだよ。
しかも線香花火だけ。
「あまり花火見られなかったでしょ? 小さい頃の余り物だけどあったから、どうかなって」
にこりと笑う。
きっと、俺と柚葉があまり花火を見られなかったことを考えて用意してくれたのだろう。
本当に、良いやつだなって思った。
柚葉の方へ視線を向ける。
すると、にこりと可愛らしい笑顔を返し、小さく手招きした。
「せっかくだから、一緒にやろ?」
「うん、昔みたいにカズと、私と柚葉で」
フワリと風が吹く。
これから本格的な夏がやってくるような、生暖かい風が。
でも、不思議と…嫌いではなかった。
「だな…。よし、火あるか?」
「主催者が用意してないわけないじゃん」
「あ、姉さん、私ローソク持ってくるね!」
「うん、お願い」
そう言うと、柚葉が玄関を上がっていく。
そして、俺と琴葉が2人きりになった。
「琴葉」
「ん?」
「本当にありがとな」
…。
「何もしてないよ、私」
そう言うと、小さく笑う。
「それに、まだ諦めてないからね」
「ん?なんか言ったか?」
「ううん、なんでもないよー♪」
「姉さん! ローソクあったよ!」
「ありがと、柚葉♪ それじゃさっそく…」
蝋燭の火を、線香花火の先端に移す。
パチパチと小さな光が、彼女たちの華奢な笑顔を照らすのでした。
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