第14話 目醒め

 うっすらと差し込む黎明れいめいの光。昏々こんこんと眠り続けるショーンの口から、かすかだがひどく苦しげなうめきがれる。

 起きているときには絶対に見せない、悲しみと苦悩の入り混じった表情。吐息は荒く、その顔には玉のような汗が光っている。


 彼の熱は、あれからもう三日も下がる気配を見せていない。メラニーが見ている限り、この三日間ずっと、眠りが浅くなるたびに彼はひどくうなされ続けている。けれど、うなされている理由は高熱や傷の痛みばかりではないように見える。


 彼はどんな夢を見ているのだろう。その苦しみを、少しでも軽くすることはできないだろうか。そんなことを考えながら、メラニーは彼の額から温まったタオルを取り、ショーンの汗をそっとぬぐった。冷たい水にそのタオルをひたしてしぼり、再び彼の額に乗せる。


「うぐっ………かあ、さん………やめっ」


 苦しげな声に混ざって、ショーンの口から不意に漏れる言葉。どこか悲痛なその響きに、メラニーは手を止めた。胸がキュッと締めつけられる。

 できることなら、あのとき恐怖に泣きじゃくっていたメラニーに彼がしてくれたように、彼を強く抱きしめてあげたい。あのとき感じた強い安堵感あんどかんを、ショーンも感じてくれるだろうか。

 けれど、今の彼の身体を思うと、それはできない……。


 メラニーはベッドの横の椅子に腰かけ、右手で軽くショーンの頬に触れた。愛おしむように、その指先を彼の頬から首筋伝いに胸へとわせていく。

 指先からみ込んでくる彼の記憶。のぞいてしまうことを一瞬 躊躇ためらったが、メラニーは青年の胸に触れたまま、ゆっくりとまぶたを閉じた。



 ――ぼやけていた景色が、匂いが、だんだん鮮明になる。



 血だまりに倒れる人。燃えさかる炎の色。黒く炭化したものたち。降り注ぐ火の粉と灰。血と、生き物の焼ける匂い。灼熱の中で、自分をかばって次々と倒れていく人々。その先に微笑みながら立っている、黒いローブの魔導士。その顔は、メラニーも知っている。少し若いが、ショーンがこの深手を負う原因となった、あのときの男で間違いない。


 凄惨せいさん……いや、そんな言葉では到底とうてい言い表せないような光景が、少年時代のショーンの目を通してメラニーの眼前に生々しく広がっていた。

 一切の無音。それがせめてもの救いだった。これで音まで伝わってきたら、今の彼女にはとても耐えられない。


 炎に包まれた母親に駆け寄ろうとするショーンを、必死にとどめる二人の神官。彼らにも炎が迫る。一人の神官がその身を盾として炎を受け、もう一人の神官がショーンに向けて光の球を放つ。その光に包まれる直前、彼の目に映ったのは魔導士の楽しげな微笑。「生きろ!」と叫びながら炎に呑まれる神官の姿。

 そして次の瞬間、少年は全く知らない土地……だだっ広い冬枯れの草原にぽつりと一人で立っていた。

 一迅いちじんの風が吹き抜けていく。彼は何度か目をしばたたいてがっくりとひざを落とし、雲ひとつない真っ青な空を見上げた。

 うるんだ景色。しかし涙はあふれてこない。痛いほどの静寂せいじゃくの中、声にならない叫びが枯れた草原に響き渡る――――――。

 そしてその直後、唐突に彼の心は閉ざされた。


 メラニーは弾かれたように目を見開き、我に返った。涙が溢れて止まらない。



「たとえ道半ばでたおれても後悔しないよう、俺は彼らが守ってくれたこの生命を精一杯生きようと決めた」



 初めて会ったあの日、洞穴ほらあなの焚き火の前で静かに語っていたショーンの声がメラニーの耳によみがえる。

 ショーンはずっと、この記憶とたたかってきたのだろうか。その傷の深さは計り知れない。閉ざされた心のどこかで戻りたいと切望しながら、戻れないと自分に言い聞かせて、たったひとりで……。

 うなされ続けるショーンの手が、何かを求めるようにわずかに動く。その手を、メラニーは無意識に握っていた。汗ばんだ大きな手はまだ熱い。ショーンの身体が生きようと闘っている。その熱さに、胸がまた苦しくなる。



「泣いて……いるのか?」


 苦しげな吐息混じりではあるが、深く穏やかな声が響く。気がつくと、ダークグレイの瞳が静かにメラニーを見つめていた。


「ショーン―――」


 言葉が出てこない。何かを伝えたいのに、声にならない。涙が止まらない。メラニーは握っていたショーンの手を放し、両手で口元を押さえた。


「また、泣かせてしまったな。つらい思いをさせて、すまなかった」


 ショーンの右手がメラニーの頬に触れる。その手の熱が、メラニーの涙をあたたかなものへと変えていく。


「……おかえり、ショーン」


 やっとの思いで絞り出した言葉。メラニーは涙を流し続けながら、今できるとびきりの笑顔をショーンに向けた。


 ショーンは一瞬戸惑いながらも、ふわりと表情をゆるめた。


「……ただいま」


 あのときと同じ、おだやかな声。その静かで優しい微笑を見たとたん、メラニーはこらえきれずに泣き崩れた。ショーンの胸に突っ伏して、声を上げてただ泣き続けた。ショーンは彼女が落ち着くまでずっと、何も言わずにメラニーの髪を優しくで続けた。その顔に、深い慈愛をたたえて。

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