二話
門から一歩入ると、そこは見たこともない桃の巨木を中心に築かれた大きな広場だった。木の周囲には人々が——もとい仙人たちが集い、青い旗を立てた下で何やら熱狂的な人垣を作っている。人垣は折に触れてわっと歓声を上げ、落胆の声を上げ、野次を飛ばし、その間を縫って剣戟の音が聞こえてくる。どうやら今、この広場では武術の試合が行われているらしかった。観衆以外の人影は広場にはほぼ見当たらず、中には長剣を足掛かりにして宙に浮き、上空から成り行きを見守っている者までいる。穆哨は首を伸ばしてそちらの方を見ようとしたが、陳青は試合を全く無視して広場の端へと彼を案内した。風天巧と邱明憐もこの催事にさほど興味がないようで、旗をちらりと見ただけですぐに視線を戻してしまった。
「見ないのか?」
穆哨が旗の方を指さして尋ねると、風天巧は「いいや」と答えた。
「青旗ということは大した取組ではないからなあ。金旗なら期待できるが」
「旗の色で実力が分かるのか?」
穆哨が聞くと、今度は陳青が答える。
「仙境の仙人……厳密には『
「まあ、玉佩が何色でも生活そのものにはあまり関係はないんだけどね。むしろ玉佩の色を驕る者には天仙の資格がないとさえ言えるわ」
横から邱明憐が口を挟んだ。よく見ると、彼女の帯には抜けるような青色の玉佩が結ばれている。
「ですが明憐姑はいつ金の玉佩を賜ってもおかしくない。この仙境で、医術においては彼女に匹敵する者はいないのですから」
陳青が笑って言うと、邱明憐は謙遜するように手を振った。
「でも、新しい玉佩をもらうのってすごく大変なのよ。緑から青に変わるだけでも何十年、何百年とかかるもの。私だってもう百年は青のままなんだから……そうそう、それに風天巧だって、今でこそ金の玉佩だけど、緑から金に到達するまで五百年はかかったそうだし」
穆哨は驚いて風天巧を見た。風天巧はいつの間にか指に金色の玉佩を引っかけて、無造作にぶんぶん回している。
「はて、どうだったかな。随分と昔の話をしてくれるではないか、明憐」
扇子の上から覗く目がいたずらっぽく笑う。風天巧は玉佩をぽんと投げて空中で受け止めると、そのまま懐に仕舞い込んだ。横を歩く陳青が眉をひそめているのはまるっきり無視している。
「だが、ひとつだけ注意がある。この玉佩を受け取ったら俗世には戻れない。だから玉佩とともに天仙の位を受理したら、お前は本当の意味で人間ではなくなるのだ。このことをよく理解せずに天仙の位に就き、やはり人界で
ふいに風天巧が真顔になった。穆哨もつられて真顔になり、こくりと頷いてから、思い出したように尋ねた。
「……ところで、その『天仙』とか『地仙』とかいうのは、一体何なのだ? 皆同じ仙人ではないのか」
「皆同じ仙人だが、少しずつ違う。天仙は私や明憐のように天界に迎えられ、仙境に留まることを承諾した仙人で、対する地仙は天界には昇らず地上に残ることを選んだ仙人のことを言う。とはいえ、陳青の誘いに乗って仙境に留まる者の方が圧倒的に多いから、地仙は数が少ないのだがね。あとは死後に地界に下ってから仙骨を得た
やがて一行は一軒の屋敷の前に到着した。扁額には金色の立派な字で「天仙会館」と書いてある。仙境にも人界と同じように集会所があるのかと穆哨が尋ねると、風天巧は大真面目な顔で頷いた。
「二百年ほど前にできたのだよ。私が来たばかりの頃はなかったのだがね。人界の様相が変われば、それに合わせて仙境の姿も変わってゆくのだろう」
風天巧たちに促されて門をくぐると、巨大な回廊に囲まれた翡翠色の池が目に飛び込んできた。池の上には石造りの通路が十字に伸びており、それぞれが回廊と繋がって行き来できるようになっている。池の中心には蓮の花が咲き、橋も花を丸く囲んでいる。静寂の間を縫うようにかすかに鳥がさえずり、奥の方からは琴の音が聞こえてくる。陳青は正面に伸びる通路を指して「行きましょう」と穆哨を促した。
皆の足音と楽の音、鳥のさえずり以外に聞こえる音はなく、広場で見た熱狂は全く別の世界のものだと言わんばかりの静寂が満ちている。
無言で歩く一行を迎えるかのように、歩を進めるごとに琴の音が大きくなった。橋を渡り切って回廊に降り、陳青が正面の扉を開けると、音の主はそこに鎮座していた。
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