六話
抜き身の剣を構えてそこに立っていたのは、赤い内衣だけを身に着けた穆哨だった。何の変哲もない長剣をギラリと閃かせ、穆哨は魏凰に狙いを定める。
「そこまでだ、魏凰。鳳炎剣も風天巧も渡さない」
穆哨はそう言いながら戦場をさっと一瞥した。あちこちに転がる人影に焦げた臭い、蒼白な顔で片手を押さえてうずくまる林氷伶、そしてまだ戦意を喪失していないいくばくかの東鼎会の兵士たち――その全員の双眸が揃って穆哨を睨みつけている。
「穆哨、何をしに来た?」
風天巧がとがった声で問いかける。穆哨は振り返りもせずに「助太刀だ」と簡潔に答え、次の一言を言われる前に声を張り上げた。
「魏凰! 俺とお前の一騎打ちで鳳炎剣の所有を決めるのはどうだ?」
「いきなり出てきたと思ったら、随分と思い上がったことを言うのだな?」
魏凰は嘲笑を浮かべると、ぐっと片足を引いて構えを取る。穆哨も剣を構えると、二人はじりじりと睨み合った。
「一招で決めるぞ」
「望むところだ」
衝突のときをじっと伺う二人を、風天巧たちは息を殺して見つめた。
風が梢を揺らす音すら邪魔に思える静寂の中、先に動いたのは魏凰だった。その足が地を蹴ると同時に穆哨も走り出し、二人は真正面から白刃をぶつからせる。剣戟の喧噪、これでもかと踏みしめられた砂が立てる悲鳴、刃が空を切る音が一体となって皆の耳にこだまする。そして一瞬の交わりののち、刃が肉を切り裂いた——
「穆哨‼︎」
声を上げたのは風天巧だった。当の穆哨は肩で息をしたまま、腹部を貫く刃を見つめている。
「……っはっははははは! あれだけ大口を叩いておきながらこのザマとは、笑わせてくれる!」
魏凰の高笑いが森中に響き渡った。魏凰は刃を勢いよく引き抜いて血を払うと、崩れ落ちる穆哨には目もくれずに風天巧を見やった。
「では約束どおり、鳳炎剣を引き渡してもらおうか」
笑みを満面に浮かべ、魏凰が風天巧の方に一歩踏み出した。風天巧は歯ぎしりして迫りくる娘を睨みつける。そのとき、
「小主!」
不意に林氷伶が叫んだ。足を止め、後ろを振り返った魏凰に赤い影が肉薄する。
閃光がひらめき、鮮血が飛んだ。肉が焦げる臭いがやにわに立ち上る。
一拍置いて、魏凰は右腕の激痛に悲鳴を上げた。もう片方の手で押さえつけたその腕は肘から三寸ほどのところですっぱり斬られ、先がなくなっている。その切り口からは一滴の出血もなく、赤くただれて薄い煙を上げていた。
地面に倒れ込み、あまりの痛みと混乱で泣き喚く魏凰を冷ややかに見下ろしているのは他でもない、赤々と輝く剣を持った穆哨だった。
「退くぞ!」
部下の一人に支えられながら林氷伶が叫んだ。その一言に残る面々はすぐさま動き始め、ある者は皆の前に立って先導を始め、またある者は他の怪我人を起こして先に逃がせ、二、三人が魏凰に駆け寄って素早く助け起こした。
「小主、お気を確かに!」
「山を降りてすぐに継いでもらいましょう。立てますか?」
「誰か腕を拾え!」
「お前、先に降りて医師を呼んでこい」
「林様、小主、こちらへ……問題ありません、軽功の得意な者に医師を呼びに行かせましたので……」
こうして東鼎会の追手は敗走した。口々に指示を出し合いながら撤退する一行を穆哨と風天巧は黙って見送っていたが、殿の男が視界から消えた途端、穆哨の体がぐらりと揺れた。
「穆哨……ッ」
慌てて駆け寄ろうとした風天巧は脇に痛みが走って顔をしかめた。どうやら点穴が解けてきたらしい。穆哨は刺された腹を押さえ、未だ赤い光を宿した剣にすがってどうにか気を保っている有り様だ。
「まったく、お前は来るなと言っただろう。それにその剣は……」
「拝借した……お前の作業場から……鳳炎剣が使えずとも、火の功体が使えれば奴らを牽制できると思って」
風天巧は改めて穆哨の持つ剣を観察した。すらりと細く洗練された見た目の長剣だが、中心から発された熱で剣身が赤く光り、表面からうっすら白煙がのぼっている——
「ああー! なんてことを! お前、この剣を溶かす気か!」
突然の悲鳴に穆哨はびくりと肩を跳ねさせた。風天巧は呆れと怒りで目を見開き、途方に暮れたように頭を抱えている。
「穆哨よ、この世には火炎の技に耐えられるよう作られた武器というのがあるのだよ。ところがこれはただの長剣だ、腕が焼き切れるほどの強い気を通したら熱で中心部から溶けてしまう! あと少し戦闘が長引いていればすっかり溶け出していたところだったぞ! ああもう! 私が何年かけてそれを鋳造したと思っている!」
「……そうなのか……?」
呆気に取られる穆哨に、風天巧は大げさなまでに頷いて「そうなのだよ」と答えた。
「まあ、お前には武器鋳造の知識がないのだから仕方あるまいよ。我々も戻ろう、穆哨、どこへ行くにしてもまずはその傷を癒さないと」
風天巧は肩を貸して穆哨を立たせると、手巾を渡して傷口を押さえさせた。
「お前は大丈夫なのか?」
痛みに顔をしかめつつ穆哨が尋ねると、風天巧は軽く笑って言った。
「案ずるな。仙人の体は並みの人間よりもよっぽど強靭だ」
「そのとおり。ですが貴方はそうはいきませんよ、穆哨殿」
突然木々の間から声がして、歩きかけていた二人はハッと動きを止めた。振り返ると、短袍に身を包んだ男が柔らかい雰囲気の女人を伴って立っている。女は風天巧を見ると、安堵とも呆れとも、慈しみともとれるため息をついて口を開いた。
「お久しぶりね、風天巧」
「
風天巧が心底驚いたようにぽつりと呟く。穆哨が首を傾げるうちにも、明憐と呼ばれた女人はさっさと二人に歩み寄り、手に持った小箱を漁り始めた。
「全く、何をしているのかと思えばあばらの骨なんて折って。それにあなた、天界からお達しが来たのに腹部を刺されるってどういうこと?」
女人は二人を手早く引き離すと地面に穆哨を座らせ、血に染まった内衣をがばりと剥ぎ取った。声を上げる間もなく穆哨は傷を縛られ、包帯を巻かれて丹薬を口に押し込まれる。
「はい、終わり。さて、次はあなたの番よ、風天巧」
恐る恐る立ち上がっても痛みはほとんどなく、穆哨は彼女の腕の良さに舌を巻いた。一方の風天巧は珍しくおよび腰で、引きつった顔で笑っている。
「いやあ、私は別に……」
「つべこべ言わない!」
ヒッ、と聞いたこともない悲鳴を上げて風天巧はあっけなく捕まった。同じように座らされて服を脱がされ、骨の具合を見られている風天巧をちらりと見ながら穆哨は単袍の男に尋ねた。
「彼女は一体……」
青年はにこりと笑って答える。
「
明憐姑の名を聞いた途端、穆哨の中で何かがぴたりと当てはまった。船旅の途中で立ち寄った夭丘の町に、彼女の名を冠した薬屋がずらりと並んでいたではないか!
穆哨の反応を見て青年はにこりと笑った。そしてなめらかな仕草で拱手すると、青年は深々と一礼した。
「申し遅れましたが、私は名を
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