第3話(4/4) 片思いのワクチン

 涼太りょうたの部屋を飛び出した二葉ふたばは家には帰らなかった。

 静かな自分の部屋にこもる気にはならなかった。


 つい最近、涼太のことを思いながら歩いた線路沿いを歩く。

 線路と道路を区切る金網に触れると、カシャっと乾いた音がした。

 こんな時こそ、学校があれば良かったのに、と思う。

 そもそも休校にならなくて涼太がこのタイミングで帰ってこなければ、涼太に彼女ができたことを知ることはなかった。

 その事実は変わらないのかもしれないけれど、今じゃなくても良かった。今じゃない方が良かった。

 いつも通りに学校に行って、友達とくだらない話で笑い合って、そうしていれば失恋のことなんて、きっとすぐに忘れられたのに。


「そっか、失恋したんだ……」


 自分の置かれた状況に気付いて二葉は立ち止まる。

 何もしないうちに、振られることすらなく、恋が終わってしまった。

 そのことに気付くと、動けなくなる。


「江南か? どうしたんだよ、そんな所に突っ立って」


 うつむいたまま立ち尽くす二葉に、声を掛けたのは安樂隆司あんらくたかし

 ランニングの途中だったらしく、額に浮かんだ汗を拭っている。


「……別に何でもない」

「何でもないって顔してないぞ」

「さすがサッカー部のキャプテン。周りの人間の顔色を窺うのは上手みたいね」


 二葉は自分の口からこぼれる言葉が棘だらけだと自覚したが、どうしようもなかった。


「そんなことねぇよ」

「私なんかに構うより、他に気にすることがあるんじゃないの? インターハイが中止になったりとか、そっちも大変なんでしょ」

「……」


 無言になった隆司の顔を見て、二葉は自分の失態に気付く。

 これじゃあ、完全に八つ当たりだ。

 自分は何かするチャンスがあったはずなのに、それを自分で逃した。

 だけど、隆司たちは、その何かをするチャンス自体が奪われてしまったのだ。


「ごめん、言い過ぎた」

「いや、いいんだ。どうしようもないことだから」

「あのね、私、失恋しちゃって。それで八つ当たりしたの。ほんとにごめん」


 素直に頭を下げる二葉に隆司は逆に慌てる。


「ほんとにいいんだって。分かったから」

「うん。じゃあさ、謝ったついでにちょっと愚痴を聞いてくれる?」


 図々しい話だと二葉は自分でも思うが、隆司は人のよさそうな笑みを浮かべて頷いてくれた。


「あぁ、いいよ」



 近くの小さな公園に移動してベンチに腰掛けると、二葉は涼太とのこれまでを隆司に語った。


「なんかバカみたいだよね」

「まぁ、仕方ないんじゃないか」

「仕方ないって、なーんか人ごとだよね?」

「人ごとだろ? それに、俺に恋愛相談してもいいアドバイスはできないぞ。大した経験はないからな」

「そうなの? 安樂くんってモテそうだから、経験豊富そうだけど」

「いや、たぶんモテてはいるんだけど、別に誰かと付き合ったことはないし」


 そう言う隆司に、二葉は「うわー」とジト目を向ける。


「なんだよ?」

「自分で自分のことをモテるとかいう人ってほんとにいるんだね?」

「事実だから、しょうがないだろ」

「しかも、事実とか言っちゃってるし」

「ったく、俺は何を言えばいいんだよ?」

「いいよ、もう」


 二葉はベンチから立ち上がり、隆司の方に顔だけ向ける。


「話、聞いてくれてありがと。少しすっきりしたよ」

「そっか。それは良かった」

「うん。なんか勝手にいろんなことを期待するだけじゃダメなんだなって分かったよ」

「期待……か」


 不意に声を落とした隆司に驚き、二葉は体ごと向き直る。


「どうかしたの?」

「コロナで部活ができなくなったり、大会が中止になったりしてからさ、サッカー部の仲間にお前には期待してるぞってよく言われるんだよ」

「期待されるのはいいことじゃないの?」

「そう、なのかもしれない。けど、どうなんだろうな?」

「どう、って何が?」

「……いや、いい。これはたぶん俺が自分で抱えなきゃいけない問題なんだと思う」

「大丈夫? 私が言うことじゃないのかもしれないけど」

「あぁ、大丈夫。何とかするよ」

「そっか。ランニングの途中だったのに引き留めてごめんね」

「気にするな。ちょうどいい休憩になったし」


 隆司は二葉に笑ってみせると、「じゃあ、また」と駆け出した。



 残された二葉も家路に就く。

 元来た道をたどると、電車とすれ違った。

 北から南へ向かう黄色い車体に乗る人は、相変わらずまばら。

 いつになったら普段通りの生活に戻れるのだろうか。

 そんなことを二葉は思う。

 コロナのワクチンができるまで無理なんじゃないかと、誰かが言っていた。


「片思いのワクチンもできればいいのに」


 消え入るように小さな声は、電車の音にかき消された。

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