間違いなく君だったよ~贈与士ミアの贈与録(ギフト・ブローシュア)~

螢音 芳

第1話 ある女子学生の憂鬱

 夏に近づく雨季の季節。湿気った空気が、夏制服の半そでから覗く肌に不快さを与える。加えて、先生の退屈な講義が不快さに拍車をかけていく。睡眠でやり過ごすことができたら、いかに楽だろうか。だが、湿度の高さによる不快感が上回り、許してくれない。

 いや、不快なのは雨季の空気や、先生の講義だけではない。

 私が不快な理由は――。


「エリザさん、神書の第三章十三節を読み上げてください」


 おっと指名が入ってしまった。


「はい、シスター」


 不快さを微塵も表情に出さずに答えると、立ち上がり神学の教科書を持ち上げた。


「神の啓示を受け、聖女エナは祝福の地を目指して旅を続ける。導くのは、世界に漂う魂。形なき光の道をたどって、歩みゆかん」


 世界創生にまつわる一節。神書の中で最も有名で人類の誕生を謳ったものだ。

 聖女は魂の導きを受けて祝福の地へとたどり着いた後、聖都と四つの国が興り、聖女の案内人となった魂は肉体を得て人類となった、というのが大筋のあらすじである。


「かくして、聖都とともに、湖、砂、山、海に国が築かれん。神は偉業を成した聖女に褒美を与えようとしたが、聖女は断り、代わりに導き手たる魂に慈悲をと懇願した。聖女の願いを聞き届けた神は、聖女の髪を元に数多の体を作り上げ、魂たちへと授けた。肉体を得た魂は人となり、各々おのおの国へと散り、その回し手となった――」

「はい、ありがとう。よどみなく、はきはきとした声で実に聞き取りやすい。皆さん、拍手を」


 教室に申し訳程度の拍手の音が響く中、ひと仕事終えた私は無言で着席した。


「神書は、描かれ方が異なりますが、国を超えて各地に残り、今なお語りつがれています。我が国では、聖女の存在を特に重視しています」


 先生が教科書のページを指定すると、人々の肉体がエナの一部から作られていることから、最も重要な臓器である心臓をエナと呼ぶようになった逸話が書かれていた。


「他にも、神話が残した大きな影響として、神が我々に肉体を授けた行為、すなわち贈るという行為が神聖なものであると伝えられているのも、この一節が元であると言われています」


 贈ることが神聖な行為、ね……。

 シスターの言葉に、内心で皮肉めいた感想を抱く。


「この故事を元に、数十年前にエナの祝祭日にさる王族の女性が、緊張状態にある異国の王子へ贈り物を贈り、愛を伝えたことによって国交につながり国同士の衝突を回避した、という話は記憶に新しいですね。それにあやかって、若い女性が男性に想いを伝えるという風潮が生まれましたが――」


 話を右から左に聞き流しつつ、エナの祝祭日の苦い思い出が頭の中をよぎっていた。

 不器用ながらもラッピングされた可愛らしい袋。地面にうち捨てられ、さらにぼろぼろになって無残な姿になってしまった袋。

 ……やっぱり、この季節は嫌いだ。今でも光景を思い出すだけで、じめじめとした空気に、陰鬱な彩りが加わる。

 さらに憂鬱なのは、自分の身分上、この行事から無関係ではいられないことだ。

 ふと、視線を下に向けると、いつの間にか自分の机の上にくしゃくしゃに握りこまれたノートのページが置かれていた。

 音を立てないように慎重に開くと、


『今日の放課後、話題のカフェに行く予定なんだけど、どう?』


 とメッセージが書かれていて、そっと振り向くと、級友が私の視線に気づいて手を振った。

 そういえば、雑誌で特集されていたスコーンのおいしいカフェに行きたいと話していたことを思い出す。

 重い気分に捕らわれている今、行きたい気持ちが、天秤のようにぐらぐらと揺れる。

 ぐっとこらえると、丸まったメモに行けない旨を書いた。

 今日は、両親から押し付けられた先約があるのだ。

 きたるエナの日に備えて、私のセンスを叩き直すべく、贈与士と会う予定が。


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