-Side:灰時-

▲12▼ 情けない

 灰時は、その様子を呆然と眺めていた。

 一瞬、何が起きたかよく分からなかった。


 それは、いつも通り弟の誠実を送り出すために、くららと二人で玄関にいたときのことだった。『忘れ物』と称して、誠実がくららに口づけたのだ。


 今までの誠実だったら、考えられない行動だっただろう。でも、それを実行した。それはつまり、くららとのことで何か吹っ切れた、ということだろうか。


 兄としては、弟の成長を嬉しく思う反面、くららの恋人としては、少し複雑な気分だった。


「……じ。灰時っ!」


「ッ……!」


 その言葉で、我に返る。気が付けば、くららが灰時を呼んでいた。


「な、何?」


「い、いや……。何って、なんかぼうっとしてるみたいだったから……。……大丈夫か?」


「だ……、大丈夫だよ。大丈夫……」


「……ひょっとして、さっきのこと気にしてるのか?」


「っ……! いや、それは、その……」


 だめだ。やっぱり、くららに隠し事は通用しない。


「うん……。実は。まさか誠実くんがあんな大胆なことするとは思ってなかったから、びっくりしちゃって……」


「でも、きっと思いが通じ合えたってことだよね。二人とも吹っ切れたみないな顔してたし。……よかった」


 ――そう、これでよかったのだ。落ち込む必要なんてどこにもない。


「……灰時」

「じゃあ、俺、部屋に戻るね」


「あっ! ちょっ、待て! ……灰時っ!」


 くららの声を無視して、部屋に戻る。今は、くららの顔をまともに見れる気がしなかった。



 ――情けない。


 自室のベッドに身体を沈ませながら、思う。どうして、自分はこんなにも子どもなのだろうと。歳は一番上で、みんなの兄なのに。幼稚な嫉妬心が渦巻いて離れない。


 別に、誠実のことが嫌いな訳ではない。いや、むしろすごく大切で可愛く思っている。だって、世界でたった一人の弟なのだから。


 だからこそ、誠実のくららへの想いに気付いたとき、その想いを実らせてあげたいと思った。いろいろ問題はあるかもしれないけど、それでも人を好きになる気持ちに間違いなどないのだから。


 ――だけど、一つ問題があった。それは、灰時自身もまた、くららのことが好きだということだ。


 多分、初めて会ったときから、ずっと好きだった。でも、ずっと傍にいられるなら、兄妹きょうだいのままでも構わないと思っていた。けれど、どうしても我慢できなくなってしまったのだ。純粋に二人を応援したかったのに、姉弟きょうだい以上に仲良くなっていく二人を見るのは、どうしても耐えられなかった。


 だから、三人で付き合おうなんて馬鹿なことを言った。三人で付き合うことを提案したのは、他ならぬ灰時だった。


 ――みんながつらい思いをすることは、分かっていたはずなのに。


 それでも――。


(それでも、俺はくららのことが好きで、誠実くんのことが大切だったから……)


 今更、後悔したってしょうがないというのに……。


 こんなことで落ち込んでしまう自分が、どうしようもなく、情けなかった。



◇◆◇◉◇◆◇



「……いじっ!灰時っ……!」


「っ――‼」


 その瞬間、ふいに意識が覚醒する。


「く、らら……?」


 目を開けると、目の前にくららの顔があった。

 どうやらあの後、眠ってしまったらしい。


「灰時……。起きたか?」


「……うん」


 言いながら、ベッドから体を起こす。


「どう、したの……」


「いや、よく寝てたし、起こさない方がいいかなとも思ったんだけど……。もう夕飯食べる時間だろ……?」


「あっ……!」


 言われて思わず、時間を確認する。確かにいつもの夕飯を食べる時間はとっくに過ぎていた。


(しまった……! 今日は、俺が夕飯を作るはずだったのに……!)


「ご、ごめんっ! すぐ、用意する‼」

「あっ、いや、大丈夫だって! 夕飯なら、おれがもう作ったからさ」


「えっ……⁉ くららが⁉」


「な、何だよっ⁉ その顔……! おれだって、一応料理くらい作れるんだからなっ! そりゃ、灰時には敵わないけど……」

「い、いや、知ってるよ。分かってるって!」


 佐々ささ家のご飯は、基本的にはいつも母が作っているが、両親揃って仕事で家にいないことも多いため、そういうときは、兄妹弟きょうだい三人で交代しながら作っていた。けれど今は、誠実は家いないことが多いし、くららは不器用で危なっかしく、いろいろと心配なため、基本的にはほとんど灰時が作っていたのだ。(くららも、「作る」といつも言ってくれるが、そういうときは無理やり押し切って、いつも自分で作っていた)


「だから、さ……。早く、飯食おーぜ」


 そう言って、くららは灰時に手を差し出す。


「うん……。そう、だね。作ってくれて、ありがとう。くらら」


 その手を、そっと掴んで笑顔を向ける。


「へへっ……! おうっ!」


 得意げなくららの笑顔が、まぶしく輝いていた。

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