霜雪に咲く早梅(四)

 新徳寺の本堂。

 新八と野口は、昨晩から今朝にいたる経緯を聞かされた。

 土方の口調はいつになく重く、溜め息まじりに言葉をつなぐ。ひととおり話し終えてからは、あらぶる心をおさえつけるかのごとく煙管を二度三度と深く吸った。時間をかけて小刻みに波うつ煙を吐く。

 野口は膝のうえに固く結んだ両拳を濡らして落涙させている。

 新八はうんざりとした表情を隠さずにいて、左手で顔を覆ったまま問うた。


「――なぜ、会津からそのような指示が出たのでしょうか」


 土方は忌々しげに煙管の灰を力任せにカンカンと鳴らして叩き落とす。


「わからねえ。ずいぶん考えてみたが、俺も知らされていないことは多い。さっぱりだ」

「ならば近藤さんに口を割らせますか」

「いいや、近藤さんも知らねえのだろう。色々と鎌をかけてはみたが、やれと命を受けただけだったようだ」


 近藤とのつきあいが長い土方がそう言うのならば、本当にそうなのだろう。

 とはいえ、腑に落ちないことを気持ち悪いまま放っておいて、これからも新撰組としてよろしく働けといわれても、新八の気質が受けつけない。

 承服しかねる。

 すると野口が、長い指先で涙を拾いながら言った。


「――私には、いささか心当たりがあります。あれは二三日まえのこと。水戸の吉成さんが芹沢隊長をたずねてきました」

「ほう、それは気づかなかった」

「夜遅くに、お忍びでした。私は同席をいたしませんでしたが、お茶を運んだ折にいくつか話を漏れ聞いてしまいました。先日、会津藩公用人から吉成さんに出頭要請があり、八月十八日前後の活動について尋問を受けたのだとか」

「何と。土方さん、聞いていましたか」

「いいや、初耳だ。野口君、なぜだ。なぜ水戸藩の吉成さんが会津に呼びだされたのだ。おかしいであろう。吉成さんは何か京の治安に関わる事件に関与していたのか」


 涙を飲みながら、野口は懸命に声をしぼりだす。


「あのお方はお顔が広い。どうやらあの日、八月十八日。吉成さんは長州藩の重役と接見しておられたそうです」

「「何だと」」


 新八と土方は目を丸めてたがいの顔を見る。


「おそらく兵をすみやかに引くよう説得していたのでありましょう。水戸は長州と弓矢を交えるいわれはございませんでした。ましてや桜田義挙の後始末において恩義がある会津はおろか、江戸における同志だった薩摩と反目するつもりもございませぬ」


 そのあたりの経緯は土方と新八も心得ている。

 会津藩もよく知っているはずだ。

 なおさらなぜ会津が吉成を呼びだしたのか、疑問は深まるばかりだ。

 野口が消え入りそうな声で言う。


「私の推測に過ぎませぬが、聞いている範囲でおおよその見当がつきます。――薩摩と公卿ですよ。長州が去ったいま、尊攘志士が頼りとするは水戸。薩摩は長州から酷い目に合わされましたから、尊王攘夷論の新たな求心力となりうる水戸を恐れ、先手を打ったのでございましょう」

「待ってくれ、野口君。それと芹沢隊長が、どうして関係があるのだ。藩同士の話ではないか」

「それがあるのです。あるのですよ、新兄さん。芹沢隊長は、水戸で尊王攘夷を志す者にとって憧れの存在でした。ですから私もこのようについて参ったのです。これは安政のころ、勅書をめぐる激しい内訌を経験した水戸の者でなければわからないことでもありますが。あの時、芹沢隊長は藩内外に名を轟かせた人物だったのです。そして芹沢隊長が率いる壬生浪士組だからこそ、京坂の志士たちは集ってきたのです」


 土方が小さな声で呟く。


「会津による口封じ――ということはないか。大和屋の一件も未だに疑義をはさむ公卿があるとも聞く。俺はそれを疑っていた」


 野口が首を横に振った。


「いいえ、それはござりますまい。それならば私はおろか新兄さん、土方さんも、大和屋に関与した新撰組隊士全員に腹を切らせるでしょう」

「そうか、それはそうだ」

「会津候とて元は水戸の近しいお血筋であられますから、水戸者である芹沢隊長を頼りに思っておられました。なればこそ、新撰組という名を与えられたのです。一橋様と近しい水戸者を、よもや会津の面目のためだけにご判断をなされるとは思えませぬ。そんなことをすれば一橋様と水戸の武田様が黙っておられぬでしょうから」

「なるほど……」

「これはもっと大きな潮の流れ、政の力が働いたものと存じます。帝都から長州が去り、はたしてこれから何が起こるかといえば――」


 すかさず土方がつなぐ。


「残った者による主導権争い。政局だ」

「然様でございます。さだめし薩摩は、盟約を保つ証を会津に欲したのかと」

「証とは何だ」

「長州とつながりがある尊王攘夷派論客の粛清、京からの追放。中川宮様ら公卿とともに迫ってきたのでしょう」

「うむ……」


 存外に鋭い野口の分析に、土方は唸る。

 野口は言路整然とつづけた。


「吉成さんが帰られたのち、芹沢さんは斯くも語っておられました。ちかく一橋様、越前春獄公、宇和島候、土佐候も上洛なされるとの由。これらのご面々は、かつて江戸において井伊と争った一橋派。今後はおそらく薩摩や会津とともに、公議による執政をすることになるであろう――と」

「それで何が変わるというのだ」

「江戸にある家老職ばかりでなく、諸侯の見解も政にとり入れられることになります。つまりこれは水戸の宿願、幕政改革のはじまり」


 知らない話が飛びだした。

 江戸開府以来、諸侯が幕政に口だしすることはご法度だった。だからこそ南紀派と一橋派の対立があった。

 そこまで見据えていた芹沢の観に、土方と新八は驚くほかない。


「ところがそこで問題となるのは、過激な不満党のあと始末です。薩摩は一年ほどまえ、寺田屋を契機に藩内で一区切りをつけております。土佐はといえば、土佐勤王党があります。現在、大和国で治安を乱している者どもは土佐者が中心になっているそうですが、不運なことに、吉成さんはその者らとも面識があられました。なにより、一党の将にかつがれた中山様は、新家さんが親兵として仕える正親町様と母ちがいのご兄弟であられます」

「なんと……」


 まずい。それはとてもまずいことだ。

 正親町公董は京から追放された三条実美と近しいので、皆で新家の身を案じていたところでもある。さらに大和国で暴れる天誅組と、間接的とはいえそのように太いつながりがあったとなれば一大事だ。今や天誅組は、帝の御名を騙る賊である。これから跡形もなく徹底的に殲滅されなければならない存在だ。

 もしもすべて会津に露見していたとすれば、新家はおろか芹沢に疑念がかけられるのは必定のこと。

 新八は、首が折れんばかりに力なくうなだれた。


「では、芹沢隊長は濡れ衣をきせられたことを恥じ、新撰組と会津候、一橋様にご迷惑をかけまいとなされたのか」

「はい。間違いなく然様であると私は思います。剛の者である平山さんを斬れる人は芹沢隊長以外にいなかったかと。神道無念流のことは神道無念流で、水戸のことは水戸者同士で始末をつける。これぞ水戸者の士道、気質でございますれば」

「たしかに芹沢隊長らしいといえば、芹沢隊長らしいが、しかし……」


 野口が「そういえば――」と呟く。


「――数日まえ、このようなことを仰られました。もしも芹沢隊長の身になにかあらば、これまで新撰組となるまえに壬生浪士組がやってきた無茶無理の数々、悪名の衣は、すべて芹沢隊長があずかって着てゆかれると。そうすれば、会津と皆のためになるであろう。楠木正成公しかり、悪党ほど衆人に記憶される。そしていつか数百年ののち、心ある者が我が志の真意に気づいてくれるであろうから――と。あの時は冗談だと笑ってはぐらかされたものですが」


 土方はにごった溜め息を吐いて肩を落とす。


「待ってくれよ……。ぜんぶ芹沢隊長のせいにして悪口を言えってのかよ……」


 だがそれは理に適っている。

 会津藩預り新撰組として、市中の協力を得るには過去の悪評が課題になっていた。

 それらをすべて芹沢が指示していたことにすれば、外向きには新撰組が浄化されたことになるはずだ。薩摩や公卿から迫られようとも、誰にも汚名がおよばなくなる。

 新八は、角屋における芹沢の言葉を思いだしてなぞる。


「時は夢の如く流れ、名は燦然と輝きを増す――とはこのことだったか」


 しばらく三人のあいだに沈黙の時が重たくへばりついていた。

 が、それを破ったのは突然あらわれた近藤勇だった。


「おう、諸君。そろっているな」


 それから近藤は、軽い足取りで上座へ向かうと、遠慮もなしに中央に腰をおろした。

 そこはほかでもない、つい昨日まで芹沢が座っていた席のはずだ。

 近藤は胸を張り、四角い顎を持ち上げて主君のように三人を見わたす。


「これより芹沢隊長のご遺志は、この近藤勇が引きうけもうす。葬儀の段取りは某が万事承っておる由、ご安心召されよ。かくなるうえは新撰組の威勢を京に知らしめるべく盛大に、芹沢隊長を送りだそうではないか。諸君、皇国の守護者としてより一掃奮ってまいろうぞ。奸長と不逞浪士めらに、わが天然理心流の気組みを思い知らしめてやる所存でござる」


 中身がない薄っぺらい言葉に、新八はうんざりした。

 この者ができることといえばせいぜい、会津公用人の言いなりとなり、それを傘にきて威張り散らすことぐらいだろう。

 近藤の口元がかすかに緩んだのち、それを隠すように結びなおした一瞬を新八は見逃さなかった。

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