夢醒めて(三)

 隊士の誰もが懸念している一丁一番がある。


「近藤さんと総司の様子はどうです」

「どっちも療養にだしたが、総司の労咳はな……。近藤さんの右肩も、見た感じじゃ骨が砕けているだろうから、治るかどうかあやしいもンだなァ」

「そうですか……」


 近藤と沖田は、鳥羽伏見の戦に立つことができなかった。

 諸藩の裏切りがでて右往左往したこともあったが、主だった隊長格が減ったことも新撰組の戦死者が増えた原因になっただろうか。

 沖田は以前から労咳を患っていたためで、剣を振るのは到底無理であるし、日常の暮らしにも息を荒げて不自由する始末。近ごろますます喀血が激しくなって、げっそりと痩せこけてきた。東下する船中では、隊士を元気付けようと気丈に冗談を言って笑わせてくれたものだが、もう駄目かも知れない――という予感はある。

 いっぽう、新撰組局長という重責にありながら、肝心要のときに鉄砲で狙撃されてしまった近藤については、油断があったと否めない。もちろん心配しているが、新八は半分呆れてもいる。


「だから今どき、馬に乗るのは危うい、射程が長い鉄砲の的になるからやめておけと近藤さんに言ってやったんですよ。人の諫言も聞かず、大名気取りなんかするから、あれは自業自得ですよ」

「あァ、もうそれを言ってくれるな。あン時は俺も止めたンだぜ。なのに近藤さんは、襲撃を恐れたと言われたら名折れだ、新撰組局長として気組みを示さなければ――とかなんとか、意固地に見栄張って馬を乗り回していた。せっかく新八が小林の尻尾をつかんでくれたのにな、やれやれだ」


 昨年の暮れに江戸薩摩藩邸が燃えたころ。

 新撰組が伏見の警護についていた時分の出来ごとだ。

 巡回中の新八は、偶然に密書をひろった。内容を見て仰天する。

 なんと新撰組隊士の小林啓之助が、御陵衛士の残党である篠原泰之進あてに発したもので、内部情報が詳らかに記されているではないか。巡回日はもちろん、その時間、経路、勤番者の名まである。小林は間諜だったのだ。

 新八は悟られぬよう土方へひそかに報告し、土方、新八、島田塊の三人で小林を部屋に呼び出した。

 入るなり、新八が三方の戸を閉めきって密室にしたようすを見て、小林は恐る恐る「はて、なんでありましょう」と訊ねてくる。

 土方は煙管をくわえてジロリと睥睨し「御用の儀は、あれだ」と冷たく突きはなした。

 小林はハッと顔を真っ青にさせ、折れそうなばかりに首を垂らす。

 土方が島田に目配せをするやいなや、島田がうしろから気配なく裸締めで首を絞めた。島田は怪力自慢の剛の者であるから、万力で締められたも同じで、いくらもがいても外れるはずがない。

 その様を無言で、あたり前のように眺める土方と新八。

 小林は目を白黒させながら半開きの口で舌を泳がせ、足を緩慢にジタバタと掻いて畳を鳴らしている。ほどなくして気を失い、五分したらすっかり果てた。畳に小便がたまっている。

 島田は、「こ奴め、小便で反撃してきたな」と苦笑し、死体の首根っこをつかみ、猫を捨てるかのごとく運んでいった。

 ところが、新撰組にとって大事件がおこった。

 近藤が急な用向きで京へ訪問したあとの帰路。島田をふくむ四名をひきつれて暗い夜道をたどっていたが、伏見墨染あたりで松陰に潜んでいた一党の襲撃を受けてしまう。

 襲ってきたのは、袂を分かつようになった元新撰組隊士、御陵衛士残党の鈴木三樹三郎、篠原泰之進、阿部十郎、内海二郎ら八名。闇夜に銃弾飛びかう激しい乱刃のなか、隊士の石井清之進と従者が倒れたが、近藤は鉄砲で右肩を撃ち抜かれたが落馬もせず、何とか危地を脱した――という仕儀だった。

 新八はフンと鼻を鳴らす。


「どうせまた狙ってくるでしょうよ。これからも御陵衛士残党には気をつけなければ。奴等の怨念はとにかく強く深い」

「そうだな」

「――それにしても。平助が死んでまだ二ヶ月ばかりだというのに、ずいぶんと急に状況が変わったもの。あの夜、七条油小路の斬り合いがとても遠く感じられますよ」

「ああ、同感だ。もしもいま、平助が生きていてくれたら助かったンだがなァ。アイツは勇ましかった」

「ええ、そうですよ……」


 御陵衛士残党と新撰組の抗争は、伊東甲子太郎の一件から露骨になった。

 伊東甲子太郎という者は、江戸深川で一刀流の道場主をしていた武芸者であったが、三年ほどまえ、以前に伊東道場へ出入りしていた藤堂平助のとりなしによって、門下生や弟ともども新撰組へ加入する。

 伊東はスラリと整った容姿で弁舌がたち、学識をそなえた文武の秀才肌。人望もある。江戸から行動を一緒にしてきた藤堂平助の紹介とあって、近藤と土方は参謀の待遇でむかえた。

 ところが伊東は水戸学に傾倒していたから、幕府への忠義より勤王を先に重んじる人でもあった。

 おおよそ千葉周作の一刀流玄武館出身者は勤王思想がつよいのだが、千葉が水戸藩の剣術師範をつとめていた経緯によるもの。とりたててめずらしい話でもない。ゆえに玄武館に所縁がある藤堂平助や山南敬助も同様で、両者の思想は近藤よりも伊東に近しかった。

 新八は勤王だとか佐幕だとか、公武合体や尊皇攘夷だとか、論や名札で区分けすることに本質的な意義を感じていないので、どこの誰であろうがおなじ新撰組隊士になったかぎり、まずは仲間だと考える。剣の腕がたち、魁となる度胸がある者を好む。

 その物差しをもって見れば、伊東一派もなかなかの壮士揃い。だから伊東とは深酒を飲み歩いた仲だった。ある時には、門限をやぶって島原の角屋で流連したため、伊東と新八は二人そろって土方から「お立場を考えて自重さっしゃい」と窘められたこともある。

 対して近藤も勤王の志をもっているが、伊東ほどの深い学識と洗練された立ち居振る舞いや、思わず聞きいってしまうような弁舌を持ち合わせていない。二人はまったく別な水で生きてきた者同士すぎたのかも知れない。近藤と伊東が対立するのは必然だったといえる。

 時を経て慶応三年三月。

 伊東は長州探索を口実に隊を割って東山に離れ、御陵衛士と称する。平助と斎藤も伊東と行動をともにした。平助は伊東に心酔していたゆえであったが、斎藤は土方が送りこんだ密偵だった。

 その後、世は薩長有利、倒幕の時勢に変転し、時機をうかがっていた御陵衛士がいよいよ動きを見せる。

 潜入していた斎藤から、看過ならぬ重大な報告がはいった。拠るところ、御陵衛士が「時はいま。勤王党の優勢が濃厚となりつつある。かくなるうえは近藤を斬り捨てたのち、隊士らを説得し、新撰組をまるごと勤王党につくり変えようぞ」と気勢を吐いて目論んでいるという。

 やや無理筋な計画ではあるが、伊東も秀才肌の人であったから、軽輩身分の寄せあつめで教養が低い新撰組隊士が相手なら、あるべき道を説いてやれば正しく導けると自信があったのだろう。

 そこで十一月十八日。

 近藤と土方は、御陵衛士の弱点を資金不足と知り、三百両の資金提供を口実に近藤の妾宅に呼びだした。たらふく酒食で饗応し、すっかり油断をさせて夜道に返す。そして、七条油小路で待ち伏せていた大石鍬次郎らが伊東を襲撃し、斬り捨てた。

 成功の報せを聞いた近藤はニヤリと嗤い喜びを隠さず、にわかに新八と原田左之助を呼びだして、「隊士二十人を引きつれてご出張願いたい」と告げる。とどの詰まり内訌であるが、かつて仲間同士だった新撰組と御陵衛士は、夜闇がたまった七条油小路で斬り合いにおよび、ひしめきあう混戦に至る。

 新八にとって御陵衛士の連中は、酒を酌み交わした見知った顔でもある。面白くて、いい奴もいる。だが新撰組が存続するためであれば割りきるほかない。

 また、この場に居あわせた新八には、もう一つ別な目的があった。

 江戸から行動をともにしてきた平助について、近藤から「若い有為な人材であるから、できるならば今は助けておきたい」と内々に託されてきた。

 正面にきた平助を、見て見ぬふりして逃がそうとしたが、事情をあずかり知らぬ別な隊士にうしろから斬りつけられてしまう。平助は「おのれ卑怯ものめッ」と怒って勇猛に応戦し、ついに囲まれて果てた。

 避けようがなかった成り行きとはいえ、近藤、土方、新八、原田、沖田らは、これを悲嘆せずにはいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る