第三章11 『苦戦の末に』

 自分の体に鞭打ち、痛みを痛みでねじ伏せて、立ち上がる。

『ちょっ、け、継愛さま!?』

 美甘が絵魔保を用いて慌てた様子で声かけてくる。

『まだ動かない方がいいですよ! 危険です!!』

「んなの、言われんでもわかっとる!」

『だったら、なんでっ……!?』

「トウフウが苦しんでるんじゃぞ! あしだけのうのうと寝ちょるわけにはいかんじゃろうがッ!!」


 ずっと手に持ったまま放さなかった筆を、強く握り直す。

 叫びに気付いた亮大がこちらに気付いて顔をしかめる。

「あぁら、まだくたばってなかったの? しっつこいわねえ」

「継愛……」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔のトウフウに、胸が締め付けられる。


 あしは亮大を睨みやって言うた。

「トウフウを放せ」

「イヤよぉ」

 取り付く島もなく、どころか亮大は愉快そうに笑ってさえいた。

「あちし、可愛い女の子が好きなのぉ。だからこの子にも、あちしのコレクションになってもらうわぁ」


「……そうか。なら、もう慈悲はいらんな」

「はあ?」

 無駄に上ずった声を出して首を傾ぐ亮大。

 あしはままならぬ足を動かし、高台へと向かう。

 一歩一歩が重い。おまけに巨大な剣山を押し付けられているかのように、全身が激痛に苛まれている。


「もう諦めさないよぉ。あぁた、体ふらっふらしてるわよぉん?」

「じゃとしても……あしは、トウフウを見捨てることはできん」

 周りの観客が後ずさるように道を開ける。

 おかげであしは満身創痍であるにもかかわらず、どうにか前へ進むことができていた。


「わっかんないわねえ。あぁただったら、他に好いてくれる女の子を見つるのも別に難しくないと思うけどぉ?」

 明瞭だった視界が、だんだんぼやけてきた。

 じゃけんどトウフウは目が見えんくなっても、あしの居場所を迷わず見つけてくれる。

 ならそれに応えんといかん。


 意識が霞みがかってきたが、それでもやるべきことは迷わない。

「……あしを好いてくれるかどうか、そんなのはどうだっていい」

 高台まで、あと数歩。

 今にも膝から崩れ落ちそうじゃが、心身を叱咤して足を持ち上げる。

「じゃがな、トウフウはあしの字を好いてくれて、努力を認めてくれた。脚の誇り、そして魂を認めてくれたんじゃ」


 斜面が目の前にある。高台に着いたんじゃ。

 そこをよじ登ろうとすると、皮が熱気で膨らんで破裂しそうな苦痛が生じた。

 それを歯をくいしばって耐え、這うように上へ上へと向かう。


「……そんな人を見捨てるなんてっ、できるはずがないじゃろうがッ!」

 高台の上に立ち、亮大を睨みやった。

 景色の像がぶれて見える。限界は遅からずやってくる。

 それまでに決着をつけねば……。

 破れかぶれにも、筆をしまって素手で亮大に挑みかかろうとした時じゃった。


 風が吹いた。

 背中を押すような、爽やかな風じゃ。

 トウフウかと思ったが、にしては風の吹いてくる方向がおかしい。

 屋内で自然と風が発生するとは思えない。

 じゃったら、なぜ……?

 その疑問は、次の瞬間にさらに膨らむことになった。


「さすが、もなかが見込んだ男だ。根性は人一倍といったところか」

 聞きなれた幼い舌ったらずな声。

「も、もなか……か?」

 振り返った先、すぐ傍にいたのは、やはりもなかだった。

 じゃけんどさっきの声はいささか彼女らしくない、尊厳さを気取ったような感じじゃったが……。


「もなか、ここは危険じゃ。すぐ客席に戻れ」

「……もなか? ああ、今はこの姿だからな。そなたが勘違いするのも無理はない」

「勘違い……?」

「うむ。我はもなかではない」

「何をアホなことを……」

「結論を急(せ)くな。今、証拠を目にかけてやろう」

 そう言ってもなかは着物の右の袖を、肩のところまで持ち上げた。


「……なっ、なんじゃと!?」

 もなかの細い上腕には、あしが書いた魂の文字がある。

 それはなんら不思議ではない。

 だが今はそこから、紅い光が立ち上りだしているのだ。そう、トウフウの背中にある文字と同じように。


「そ、それは神に書した文字にしか起きない現象のはずじゃ……」

「なれば結論は自ずと導かれるはずだ。我が神であるという、な」


「もなかが、神……?」

「それは正確ではない。確かにこの器はもなかのものであるが、彼女の意識は眠っていてもらっている。継愛殿にわかりやすく伝えようと試みるなら、二重人格という単語を持ちだすのが手っ取り早いか」

「にっ、二重人格!?」

「あるいは憑依と言い換えてもいい。とにかく、我はもなかの体にいる、別の意識ということを理解しておけ」


 定まってきた視界の中、もなかの浮かべている年不相応に沈着とした表情を目にして、あしは今聞いた話がすとんと腑に落ちるのを感じた。

「……おまんは一体、何者ぜよ?」

「我か? 我は……」

 ふだんのもなかなら絶対にしない、後ろ髪を払うような所作をして、その者は言った。


「我は風神。風を操る神なり」

「ふっ、風神って……、あの強者として名高い!?」

 大して表情を変えず、うなずき、ヤツは続ける。

「名をシナツヒコというが、こちらはあまり通りがよくないようだな」

「ほう、ちっくとそいたぁ悲しいのう……シナモン」

 と呼んだ途端、シナモンはやや戸惑った表情を浮かべた。


「……会話の流れから察すると、我の愛称のようだが?」

「そうじゃ。なんでも西洋には、そういった名前の香辛料が存在するらしくてのう。そこからつけてみたんじゃ」

「まあ、いいだろう。シナツヒコよりは堅苦しくなくてな」

「気に入ってもらえたようで何よりじゃ」


「……なぁに二人で楽しそうにおしゃべりしてるのかしらぁん?」

 亮大が至極不機嫌そうな声音で割って入ってきた。

「トウフウたんだけじゃなくて、他の神を用意しておくなんてねぇ。あぁたの用意周到さにはビックリよぉ」

「おまんの卑劣さにゃ負けるぜよ」

「卑劣ぅ? うふふ、それは頭脳的の間違いよぉん」


「……ようわかった。ならあし等も、頭脳的に行かせてもらうぜよ」

 あしはシナモンを見やり、真っ直ぐに目を見据えて言うた。

「シナモン、頼む。アイツをとっちめるために、力を貸してくれんか?」

 彼女は大人びた微笑を浮かべてうなずいた。


「もとより、そのつもりだ。しかし真っ向勝負は厳しいぞ。我が本気を出しても青龍に勝てる期待値は多く見積もって三対七だ」

「……勝てる確率が三っちゅうことか?」

「ああ。それぐらい青龍という存在は強大な力を持っているのだ」


 さっきまでのあしなら、それを聞いた途端にぶるっておったかもしれん。

 じゃけんど今は違った。

「驚かないのだな」

「驚いとらんちゅうたら嘘になる。じゃが、おったまげるほどでもない」

「何か策があるのだな?」

「ああ、耳を貸せ」


 シナモンが近づけてきた本来もなかのもののこんまい耳に、あしは小声で策を伝えた。

 それを聞いた彼女はにやりと笑った。

「なるほど。なかなか機知に富んだ作戦だ」

「やれるか?」

「当然。我は純なる風の神であるぞ」

 シナモンは掌を上向けて、そこに風を起こした。水芸ならぬ、風芸といったところか。


 亮大はトウフウを放り、あしを顎でしゃくって清流に指示した。

「本気でやっちゃいなさぁい、青龍たん」

 青龍はカッと口を開いて、照明の光に煌めく水流弾を生成する。これまで以上の大きさじゃ。もしも当たれば、さっきのように無事ではいられんじゃろう。


「……一撃で決めてくれ、シナモン」

「合点承知」

 手の平上の風がより一層強さを増し、腕をくの字に曲げて、シナモンは叫んだ。

「空を裂け、斬撃風!」

 と同時に鞭のごとく手を振るった。直後、そこから風の刃――斬撃風が放たれ、超速で青龍に向かって飛来していく。


 青龍は仰け反らずに水流弾を放った。

 防御のための射出じゃろうが、それは斬撃風を防ぐには威力不足。容易く水流弾は真っ二つに破壊される。


 じゃけんど青龍は怯まない。

 自ら斬撃風に向かって突進し、口を開いて牙をむき出しにする。あの鋭い歯で噛み砕くつもりか。人型の時とは違って、えらく好戦的じゃ。

 牙が立てられる、その瞬間。

 いきなり風の刃は進行方向を変えて弧を描いた。青龍の牙は空を噛む。

 斬撃風はほぼ真下、亮大に向かって落ちていく。


「なっ、何よぉっ、なんなのよぉんっ!?」

 ヤツは急な襲撃に逃げることすら敵わずに尻もちをついて、目をつぶった。

「ふっ、狙い通りだ」

 シナモンがそう言った直後。


 斬撃風の刃は狙い通り獲物を刈り取った。

 宙に首が舞う。水滴が宙に散る。

 やがて首は音もなく、地面を転がった。


 亮大が恐る恐る瞼を持ち上げる。

 それから間もなく、ヤツの顔からさっと血の気が引いていった。

「あっ、どっ、どうして……」

 眼前の光景を目にしたせいだろう、顔色が蒼白になっていく。


「どぉして……っ? どぉしてどぉしてどぉしてッッッ!?」

 その手が切り口をペタペタと触るが、現実は変わらない。

 ヤツは喉を振り絞るように叫んだ。


「どぉしてよっ、どぉしてないのよぉッ、あちしの筆の穂がっ!?」

 そう。ヤツの穂首は斬撃風によってほんの数瞬前に斬り落とされていた。地面に転がっている、墨汁のついた白い毛の塊がそうだ。

 それに気づいた亮大は、鼠を捕らえようとする運動音痴の猫のように無様に地面を掻きながら、それを拾い上げた。

 どうにか穂首と筆をくっつけようとするが、無論上手くいくはずがない。


「なっ、なんでっ、なんでなんでなんで筆を狙ったのよぉッ!? そんなのどう考えたってズルじゃなぁい、反則じゃなぁいッ! そうでしょぉっ、審判ッ!?」

 亮大に同意を求められた赤鬼はもじゃもじゃの頭を掻きつつ、かぶりを振った。

「いえ、相手の筆を狙ってはならない、みたいな決まりはないでごわす」

「何言ってんのあぁたっ、頭おかしいんじゃないの!? 金玉ついてる!?」

「おら、実は女なんで……」

「あ、あら、それはごめんあそばせぇ」


 饅頭が入りそうなぐらい太い(大きい)鼻の穴から息を出し、赤鬼は言うた。

「まさかそんなことをする方が現れようとは、おら達もまるで予想してなかったでごわすから……。それに」

 ヤツはずいっと亮大にいかつい顔を近づけ、ドスのきいた声で問い詰める。


「オメェ、普通に人を殺そうとしてたでごわすなあ?」

「え、あ、それはその……」

「確かにここなら不慮の事故ってことにもできっけど、ひよっこの命を試験官が奪ったってなったら、管理問題で外聞悪くなって普段の売り上げにも言え教出るわけ。そういうこともわからねえわけでごわす?」


「あ、あはは、赤鬼たん、顔こっわーいわぁ……」

「わかったなら、これ以上ケチをつけるのはよした方がいいでごわす」

「お、オッケーオッケー。もう文句言わないから、ねぇ?」

 赤鬼は亮大から顔を離し、ふとついでみたいに付け加えた。


「それとこの試合、オメェの負けでごわす」

「はあ!? どういうことよッ!!」

 数秒前の約束をただちに反故にしそうな亮大に、赤鬼は天を指差して言うた。

「もう青龍は、オメェの書契者じゃねえからでごわす」


 赤鬼が指差すのにつられて、あし等は生流を見やった。

 その巨体の変化を探そうとするが、あしにはすぐにわからんかった。

 赤鬼が首を傾ぐあしと亮大達に説明する。


「ほら、青龍の右胸から、書契の証が消えてるでごわす」

 言われて見やれば、確かにそこに一本だけ書かれていた横棒が消えている。

 激しい動揺を隠そうともせず、亮大が叫んだ。

「なっ、なんで……。なんでよ!? なんで書契が切れてんのよ!?」


「決まってるでごわす。書契を結んだ時に使った筆が壊れたからでごわす」

 亮大ははっと地面を転がる穂首を見やった。

「そっ、そんなぁん……」

「よってオメェは失格。この勝負、受験者の継愛の勝ちでごわす」

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